現メルケル内閣の多彩な顔ぶれ
先日の夜、公共テレビのニュースを見ていて、何人かのドイツの閣僚の発言などを聞いているうちに、現メルケル内閣の顔ぶれの多彩さを改めて認識した。そして日本ではちょっと考えられない人間的顔ぶれではないかとも思った。何を持って多彩というかは、この原稿をお読みになってのお楽しみであるが。
まずメルケル首相自身、歴代のドイツ連邦共和国首相8人のなかで唯一の女性首相であり、またこれまで唯一の旧東ドイツ出身者である。もっとも、彼女が生まれたのは西側のハンブルクだが、生まれた直後に父親が東ドイツの牧師に赴任したため、東側で育っている。東ドイツ時代は物理学の博士号を持つ学者として東ベルリンの科学アカデミーで研究職についていたが、東ドイツの改革運動のなかで政治活動に入った。統一後はキリスト教民主同盟に入党、コール元首相に引き立てられてコール内閣で女性・青年大臣、環境・自然保護・原発 保安大臣を歴任。コール首相の政治献金スキャンダルで党が壊滅的な打撃を受けた時に「キリスト教民主同盟はコール体制から一刻も早く独立するべきであ る」と主張、”恩を仇で返した”という批判を浴びた。しかし、その後幹事長として党の再建に尽力、2000年に党首の地位に就いた。2005年9月の連邦議会選挙で勝利を得たキリスト教民主・社会両同盟は、”理想の連立相手”、自由民主党の不振のため、社会民主党との大連立を余儀なくされたが、メルケル氏は首相に就任、初の女性首相が誕生した。政治活動に入ってから頂点に立つまでのスピードの速さ、51歳という若さ(最年少の首相就任)も記録的だった。2009年9月の連邦議会選挙でふたたび勝利を得たメルケル首相は、自由民主党の躍進に支えられて小党である自由民主党との連立がスタートした。これが現在の第2次メルケル政権だが、待ち望んだ自由民主党との連立は予想したほどスムーズには行かず、さまざまな問題を抱えている。メルケル首相は昨年3月11日の福島第一原発の事故の後、 急遽それまでの原子力政策を180度転換して直ちに老朽原発の操業を停止、2022年までの段階的な脱原発を決定して、世界的 に注目されたのはご存知の通り。現在57歳、アメリカの 「フォーブス」誌の「世界でもっとも影響力のある女性」に何度も選ばれている。
第2次メルケル内閣で現在副首相を務めるのは、自由民主党の党首であるレスラー経済技術相(39歳)だが、彼の生い立ちもドラマに満ちている。レスラー経済技術相はベトナム系ドイツ人で、 彼が生まれたのはベトナム戦争さなかのベトナムの村、1973年 2月24日に生まれたことになっているが、実は正確な生年月日はわからないといわれる。生まれたばかりの赤ん坊の時に名前もなく、サイゴンのカトリック系孤児院に引き渡されたという。生後 9カ月の時にニーダーザクセン州のドイツ人、レスラー夫妻の養子となり、1973年11月にドイツにやってきた。2人の娘がいるレスラー夫妻は赤ん坊にフィリップという名前を付けて育てたが、彼が4歳の時に夫妻は離婚、その後、彼は養父の手で育てられた。養父は連邦空軍の飛行教師。彼自身も連邦軍の衛生士官を務めたりしながら医学を勉強した医学博士。第2次メルケル政権が誕生した当初は保健相だったが、去年11月現職に変わった。自由民主党の独自色を出そうとして、しばしばメルケル首相の路線に抵抗している。
第2次メルケル政権が誕生した当時の副首相は、当時自由民主党党首だったギドー・ヴェスターヴェレ外相だった。2009年の連邦議会選挙では党の歴史始まって以来最高の14,6% の得票率を獲得し、当初その功績が讃えられたが、その後支持率を急速に失い、その責任を取って党首を辞任した。しかし、外相の地位にはとどまった。それにともない後継党首のレスラー経済技術相が副首相に就任した。ヴェスターヴェレ氏はボン近郊、バート・ホネフの父は弁護士、母は判事という家庭に生まれたが、両親が離婚した後父親のもとで育つ。彼自身も法律を勉強した。2004年、同性愛者であることをカミングアウトし、ドイツに同性結婚法が導入された後の2010年 9月17日、スポーツイベント会社を経営するミヒャエル・ムロンツ氏と結婚式を挙げた。外相の外国訪問にパートナーのムロンツ氏が同行することもある。現在50歳。
メルケル首相とともにヨーロッパの金融危機、ユーロ危機と格闘するのは、ベテラン政治家のヴォルフガング・ショイブレ財務相 (69歳)。コール政権の内相として1990年の東西ドイツ の統一交渉に西ドイツを代表して参加、調印にこぎ着けた功労者である。1990年、統一直後に行なわれた連邦議会選挙戦の最中に精神障害者の銃撃を受け、下半身が麻痺、以来車椅子の生活を余儀なくされている。絶望した氏を励ましたのは夫人で、現在まで政治の第一線にとどまっている。身体障害者のトップクラスの政治家は世界でも珍しいのではないだろうか。統一後のドイツの首都の所在地をボンのままにするか、ベルリンに移すかで国を分けての議論が行なわれた時、連邦議会でのショイブレ氏のベルリン擁護の演説が、多くの議員の心を動かし、ベルリン賛成派が僅差で勝利したことは有名。
ドイツ連邦議会に議席を占める政党のなかで一番女性議員の数が少ないのが自由民主党で、女性議員の割合が一番低いのがメルケル首相のキリスト教民主同盟だが、それでも現内閣の首相を含めた15人の閣僚のうち、6人が女性である。そのうちもっとも注目されているのが、フォン・デア・ライエン労働社会相(54歳)。もともとは博士号を持つ医師だが、7人の子どもを生み育て、職業と家庭の両立に努力した。父親は長年、ニーダーザクセン州の州首相を務めた政治家だった。第1次メルケル政権で家庭相を務めた2007年、少子化対策として両親手当を導入、父親が育児休暇を取りやすくするなどの成果をあげたが、それには自分自身の経験が背景になっているといわれる。ほっそりした身体で微笑みを絶やさない氏のどこにそんなエネルギーが隠されているのか、とにかくエネルギッシュ。第2次メルケル政権の途中で労働社会相に転じたが、貧困家庭援助政策などでも社会民主党の政策ではないかと思われるほどの思い切った提案をする。そういう点を評価する人は働く女性を中心に多いが、反面、キリスト教民主・社会両同盟内の保守派の強い反発を招いてもいる。
フォン・デア・ライエン氏の政策に真っ向から反対するのが、彼女の後を継いで32歳という若さで家庭・高齢者・ 婦人・青年相に就任した女性、クリスティーナ・シュレーダー氏(現在34歳)。就任当初は独身だったが、同じ党の政治家と結婚、産休を取って子どもを産んだ。彼女は、1970年代のフェミニズムを目の敵にすることで知られるが、最近出版した著書「我々はすでに解放されている」で、彼女に対する女性たちの批判が高まり、辞任を要求する運動も起こっている。「自分自身は古い世代の女性達が闘いとった権利を享受しながら、彼女たちの運動を正当に評価せず、女性問題担当大臣として当然やるべきことをやっていない」というのが、シュレーダー氏に対する働く女性達の批判だ。女性・家庭政策で閣僚間の考え方の相違がはっきり現われた最初は、大企業のトップクラスに女性を増やす問題をめぐってだった。クオータ制を導入しなければ現在の3%を増やすことはできないとして一律30%のクオータ制導入を求めたフォン・デア・ライエン労働社会相の提案にシュレーダー家庭・婦人相が反対、クオータ制を導入するかどうかは各企業にまかせるべきだという弾力的な案を提案し.保守的な男性政治家や産業界のボスたちに喜ばれている。
こうした多彩な顔ぶれは、21世紀のドイツ社会を反映していると言えそうである。さらに新しく大統領に就任したヨアヒム・ガウク氏は、フランスのオランド大統領より先に事実婚のジャーナリストの女性とともにベルヴュー宮殿(大統領府)入りした。こういうドイツやヨーロッパの実情に触れていると、教師が君が代を歌っているかどうか口元を注視するといったことが行なわれている日本は、まるで中世の社会ではないかと思ってしまう。
私は、ドイツに住んでいながら、現閣僚のことをよく知らなかったので、
とても勉強になりました。
>こういうドイツやヨーロッパの実情に触れていると、
>教師が君が代を歌っているかどうか口元を注視するといったことが
>行なわれている日本は、まるで中世の社会ではないかと思ってしまう。
まったくですね。
ちなみに、連邦政府ではないですが、ベルリン市長が同性愛者である
という事実も、私はとても気に入っています。
自由なベルリンらしくて素敵です。
パリの市長も同性愛者だと聞いたことがあります。
一方、東京は、ベルリン、パリと姉妹都市らしいですが、石原知事は
同性愛者を差別するような発言をしていましたね。
あと、外国人差別発言もありました。
トップレベルの政治家の差別発言が許されるという日本の現状は
とても残念だと思います。