一滴の燃料も使わずに世界一周飛行?

永井 潤子 / 2015年3月7日

ケロシンなどの化石燃料を一滴も使わないで世界一周飛行をするという試みが、いよいよスタートしようとしている。太陽エネルギーのみで空を飛ぶ夢に挑戦し続けてきたスイスの冒険家、ベルトラン・ピカール氏らの計画が成功するかどうか注目されている。

「もしこの週末、気象条件が良ければ、ソーラー・インパルス2号機で東に向かって飛行を開始し、3万5000キロを飛んで、またここに戻ってきます」、アラブ首長国連邦の首都アブダビで、前人未到の計画についてこう語るのは、ベルトラン・ピカール氏である。当初3月3日の火曜日にスタートする可能性があると伝えられたが、当日、気象条件がよくなかったため延期され、次の予定日として3月7日の土曜日が挙げられている。ピカール氏は1999年世界最初に熱気球による無着陸地球一周を成功させた冒険家として知られている。

ピカール氏が太陽エネルギーのみでの世界一周飛行を実現させようと思いついたのは、熱気球による無着陸地球一周を成功させた時だったという。この気球による地球一周計画で使われた液体ガスは合計3.7トンという膨大な量に達したが、最後は燃料が残り少なくなって計画が失敗する危険さえあったという。その時に、人類が限りある化石燃料を浪費している事実に気づき、次はこうした燃料を一切使わず、再生可能エネルギーのみでの飛行を実現させようと決心し、パイロット仲間の同じスイス人のアンドレ・ボルシュベルク氏とともに2003年にソーラー・インパルス・プロジェクトを立ち上げたという。このプロジェクトにはスイス連邦工科大学のローザンヌ校や欧州宇宙機関などが技術協力し、多くの世界で有名な民間企業が財政的に協力、支援している。

長年にわたるプロトタイプでの実験と試行錯誤のあと、新技術を駆使したソーラー・インパルス2号(HB-SIB)が完成し、大陸間横断や長期間の飛行が可能になったという。スイスやアメリカでのテスト飛行で成功したあと、このソーラー・インパルス2号機の機体は今年1月6日に解体されてアブダビに運ばれ、現地で再び組み立てられた。今年1月20日、アブダビでの記者会見で発表されたところによると、世界最初のソーラーエネルギーによる世界一周飛行計画は、赤道付近で地球を一周するルートで行われ、パイロットの体力的な制約を考慮して、約5ヶ月間に12箇所での中断を含む20回の飛行が予定されているという。重量を減らすため、1度に乗れるのは一人だけなので、中継地ではパイロットの交代も行われる。飛行ルートは、出発点のアブダビから東に飛び、オマーンのマスカット、インドのアーメダバードとバラナシ、ミャンマーのマンダレ−、中国の重慶と南京を通過したあと、太平洋を飛び越えてハワイに到着、そのあとアメリカ各地を経てニューヨーク空港に到着する。それから大西洋を越えるが、気象条件によって南ヨーロッパあるいは北アフリカのどこかに着陸し、最終的に出発点のアブダビに戻るという。プロジェクトの運行と監視をするのは、モロッコに置かれた指令センターで、約30人の技術者や気象専門家が協力するということである。操縦は、ピカール氏とボルシュベルク氏の二人が交代で行う。もっとも厳しいのは、一人で5昼夜休みなく飛ばなければならない太平洋と大西洋の横断飛行で、睡魔との戦いも困難な問題の一つだ。

さて、二人が交代で操縦するソーラー・インパルス2号というのは、どういう形をしている飛行機なのだろうか。プロトタイプより少し大きめで、主翼の幅は72メートル、スーパー・ジャンボのエアバスA380の翼とほぼ同じ長さだが、機体の重さはわずか2400キログラムで、エアバスの150分の1の軽さだという。胴体の長さは22.4メートル、尾翼の高さは6.37メートルで、前後の翼には合計1万7200個のソーラー電池がつけられている。また、主翼の右前方には10PSの電気モーターが設置され、機首にはさらに最新のアビオニクス装置がつけられている。広くなったコックピットは与圧されていて、酸素マスクなども供えられているという。このソーラー・インパルス2号機は、最高高度1万2000メートルで飛ぶことができ、最高時速90キロメートルを出すことが可能だ。

ピカール氏は今度の飛行計画の目的を、世界一周の途中立ち寄る各地で「人々にエネルギー問題への関心を呼び起こし、再生可能エネルギーの利用推進を呼びかけることにある」と述べていた。「危険に対する不安はないのか」とジャーナリストに問われた同氏は、「危険を恐れて何もしないことの方が恐ろしい」と答えたとか。ピカール氏の祖父は最も高い成層圏に到達したパイオニアで、父親は逆に最も深い深海に到達したパイオニアだと伝えられ、そうしたパイオニア精神が、ベルトラン・ピカール氏にも受け継がれていると見られている。

追記 : 通信社の報道などによると、ボルシュベルク氏の操縦するソーラー・インパルス2号機は、3月9日、現地時間の午前7時12分(中部ヨーロッパ時間の4時12分、日本時間では12時12分)アラブ首長国連邦のアブダビの軍事基地を出発、オマーンの首都マスカットに向かった。本来は3月7日の土曜日に出発の予定だったが、強風のため、2日遅れでスタートし、12時間あまりの飛行の後、最初の目的地マスカットに無事到着したという。

4 Responses to 一滴の燃料も使わずに世界一周飛行?

  1. 三澤 洸 says:

    ピカールさん、何と懐かしい!!!彼の祖父と父親が大活躍していた1934年に当方が誕生。父が二人のような科学者になることを願って、「洸」(当て字:ヒカル)と命名しました。今日は原発廃止を決定したメルケル首相が来日、原発再稼動に踏み切った安倍首相と会見します。安倍政権になってから、日本はますます危険な方向を目指しています。昨日の朝日「日曜に想う」で冨永格さんが書いていたように、日本にも「世界を動かす和製メルケル」の出現」を切望します。

  2. じゅん says:

    三澤さん、なんという偶然でしょう。大学を出てすぐ入社した東京の民放局で同僚だった三澤さんのお名前のいわれを50年後、私が書いたこの原稿がきっかけで、うかがうことになるとは!太陽熱だけで世界一周飛行を試みるピカール氏の祖父や父親もパイオニアだったことを私は付け足し的に書いただけだったのでしたが…。そういえばあなたのお父様も新型補聴器を発明なさった方ではなかったかしら。貴方がNHKに移られた後、ケルンのドイチェ・ヴェレを訪ねてくださったことも思い出しました。永井 潤子 

  3. 三澤 洸 says:

    今夜21時のNHKニュースで、太陽熱だけでの世界1周のことを報じていましたよ。
    当方の父は戦後に補聴器メーカー(リオン:製品名はリオネット)の経営者に就任し、経営の建て直しに成功しました。
    アジアの聴力の不自由な方々に補聴器を無償提供する事業を起こしました。
    日本では[耳の日]の制定や3歳児の聴力検査を行うことを国が行うように尽力しました。
    NHKの[聴力障がい者の時間」に補聴器等の機材を無償提供して、番組の制作に協力しました。
    戦前、父は内務省社会局(現在の厚生労働省)の外郭団体:日本社会事業協会(現全国社会福祉協議会)から派遣されて、
    米国のニューヨーク社会事業学校(現コロンビア大学社会事業学部)に留学、世界最先端の社会福祉について勉学しました。
    小生が3歳の時でした。
    ケルン訪問の際には大変お世話になりました。感謝しております。
    ライン川畔でドイツワインでの乾杯、今も鮮明に覚えていますよ。
    4月24日に、池田八朗さんの呼びかけで、短波会を開催することになりました。

  4. 三澤 洸 says:

    ソーラーヒコーキが台風の影響で予定外の日本に立ち寄りましたよ。偶然ですね。翼が横に非常に長くて、印象的でしたね~太陽熱発電用のパネルを沢山積んでいるからでしょうか。