メルケル首相の新年の挨拶

永井 潤子 / 2021年1月10日

©️Bundesregierung

ドイツではクリスマスには連邦大統領が、新年の挨拶は連邦首相が行うのが恒例になっている。メルケル首相は去年の大晦日の夜も、テレビとラジオを通じて、市民に新年の挨拶を送った。16年近く首相の地位にあるメルケル首相にとって、今年の新年の挨拶は16回目になるが、多分これが最後になるはずである。

「皆さま、過ぎ去った年は、なんという年だったでしょう!」

メルケル首相は今年の挨拶を、こういう言葉で始めた。コロナ・ウイルスに翻弄され、その対策に今もなお必死なメルケル首相。今年の挨拶がコロナ一色だったのも無理はない。

2020年に私たちは、世界が予期しなかったことに直面しました。未知だったウイルスが、私たちの体と生活に侵入してきたのです。このウイルスは、我々の最も人間的な営みに打撃を加えました。密接なコンタクト、抱擁、会話、お祝いをするということが、できなくなりました。このウイルスのおかげで、普通の行為が危険なものとなり、全くなじみのない予防措置が正常なものとなりました。

パンデミックの年、2020年は、学びの年でもありました。私たちは春には、確実な知識も情報もほとんどないウイルスに対して、反応しなければなりませんでした。そして決定を下さなければならなかったのですが、その決定が正しかったことが証明されるのを、ただ願うことしかできなかったのでした。

コロナ・ウイルスによるパンデミックは、政治的にも社会的にも、経済的にも世紀の課題を私たちに課しましたし、今もそれは続いています。これは多くの人に、しばしば大きすぎる義務を負わせる歴史的な危機と言うことができます。

メルケル首相は、この歴史的な課題に直面して、市民も過大な要求に耐えなければならなかったと指摘し、多くの人が、その要求を忍耐強く受け入れていることに、まず心からの感謝の気持ちを表明した。メルケル首相の新年の挨拶には、市民に対する感謝と励まし、慰めの気持ちが込められているのが常だが、今年も例外ではなかった。

この息つく暇もなかったような年の終わりは、また、仕事の手を一時休めて、哀悼の意を表す時でもあります。私たちの社会は、多くの人が、最後の時に寄り添うこともできずに最愛の人と別れなければならなかったことを、決して忘れてはなりません。私は彼らの苦しみを和らげることはできません。しかし、彼らに想いを寄せます。特にこの大晦日の夜には。

コロナのために愛する人を失って悲しみに沈んでいる人たちやコロナの後遺症と闘わなければならない人たちが、幾人かの、どうしようもない人たちが、ウイルスの存在を否定したり、たいしたことはないと主張したりするのを聞く時、どのように悲痛な想いをするか、私には想像するしかありません。陰謀説は、真実でないだけではなく、危険です。その上、苦しみ、悲しむ人たちにとっては、冷笑的で、残酷なものです。

2020年は、心配と不確実が支配した年でした。しかし、その一方で、多くのことが、ことさら言い立てなくても、思っていた以上に達成できた年でもありました。病院での男女の医師や看護師、施設などでの介護士の活躍がそれを証明しています。また突然コロナに対する闘いで中心的役割を果たすことを余儀なくされた保健所の職員たちの働きにも、それは表れています。さらには、いたるところで支援活動を行っている連邦軍の活動も、その一例です。

数多くの人たちが、パンデミックにもかかわらず、私たちの生活を引き続き維持するために貢献してくれました。例えば、スーパーで働く人たち、物資を輸送する人たち、郵便局で働く人たち、バスや電車の運転手たち、警察官、学校や保育所の関係者、教会関係者、報道関係者たち、などなどです。

また、ほとんどの人たちが、いかに規律を守ってマスクを着用し、他人との距離を置くよう努力しているか、私はそのことに対して繰り返し感謝の意を表してきました。こうしたことは、人に優しい社会に生きているからこそ可能だと思うのです。他人に配慮し、自分自身を一時抑えて理解と分別を示し、公共心を自覚することを意味するからです。

何百万という市民のこうした態度のおかげで、私たちはパンデミックとのこれまでの闘いのなかで、多くのことを免れてきました。来たる年もこうした態度は必要とされるでしょう。

メルケル首相がコロナ・ウイルスの存在を否定したり、その影響を軽視したり、政府のコロナ対策を頭から否定する人たちを、はっきり批判したことが注目される。もちろん新しい年にあたって、希望を述べることも忘れてはいない。

数日来希望が生まれました。希望は最初のワクチンという形で姿を現しました。そして最初にワクチンを接種した人々の顔という具体的な形で。まず高齢者、介護士、医療関係者、集中医療病棟で働く人たち。わが国だけではなく、ヨーロッパ諸国をはじめ他の多くの国々でも、ワクチンの接種が始まりました。毎日毎日少しずつ多くの人がワクチンの接種を受け、続いて他の年齢と職業グループの番になり、最後には希望する人全員が接種を受けられるようになります。私自身も順番が来たら、ワクチンの接種を受けるつもりです。

メルケル首相が、「順番が来たら私自身もワクチンの接種を受けます」と言ったことに、私自身は一番感動したと言えるかもしれない。対照的に、まっさきに、ワクチンの接種を受けた各国の首脳たちの顔が浮かんだ。科学者への信頼を語った部分もメルケル首相らしい。

私は科学者たちにも希望を抱いています。世界中の科学者たちにですが、ドイツの科学者たちにもです。最初の信用できるコロナテストは、わが国で開発されました。そして今また、ヨーロッパや他の多くの国々で最初承認されたワクチンも、ドイツ企業の研究の成果によって開発され、ドイツとアメリカの共同作業で生産されています。

マインツにある企業、バイオンテック社の創設者、ウーア・シャヒン氏とエズレム・テュレジ氏夫妻によると、同社では60カ国出身の従業員が働いているということです。ヨーロッパ及び世界的な協力によって多様な力が発揮され、進歩につながるということを、これ以上良く示す例はないのではないでしょうか。(以下略)

「これからも困難な時期が続くことを覚悟しなければならないが、このウイルスに対抗する有力な手段はワクチンの他にもある。それは私たち自身が手にしていることで、一人一人が規則を守ること、全員が協力して行うことである」とメルケル首相は強調した。終わりに個人的なことを少し言わせていただくとして、次のように発言した。

9ヶ月後に連邦議会選挙がありますが、私はこの選挙には立候補いたしません。そのため今日の皆さまへの新年のご挨拶は、ほぼ確実に私が連邦首相としてさせていただく最後のものとなるはずです。(略)過去15年の間で、去年ほど困難な年はなかったと多くの人が感じています。そして、多くの心配や疑問にもかかわらず、私たちがこれほど多くの希望を持って新しい年を迎えたこともなかったと言えるでしょう。

「これが最後の新年の挨拶になります」と言っていないのは、9月の連邦議会選挙の後、新内閣が成立するまでに前回のように半年近いという長い期間が必要となった場合には、2022年の新年の挨拶もメルケル首相がしなければならない事態になることも予想できるからである。

メルケル首相は「新しい年2021年が皆さまとそのご家族に、健康と『事が順調に運ぶという確信』をもたらしますように、そして神の祝福がありますように、心から願っております」という言葉で、2021年の新年の挨拶を締めくくっている。

ジャケットの色に何か思いは込められていたのか?過去16回の新年の挨拶の様子を紹介する新聞記事。左上が今回、右下が初回。

メルケル首相の今年の新年の挨拶の主題はコロナ危機だったが、去年の彼女の活動はコロナ対策だけではなかった。去年後半、ドイツは輪番制のEUの議長国を務めたが、メルケル首相はその議長国の首相として、EUの今後7年間の予算案と莫大な金額のコロナ支援策に頑なに反対するハンガリー、ポーランド両国の首相の意向も考慮して、ともかく合意にこぎつけた。このことも、彼女の功績に数えられている。混乱する世界情勢の中で、メルケル首相は西欧的な民主主義を守る最後の砦とみなされてきた面がある。メルケル首相が政治の舞台から消えた後のドイツ、ヨーロッパの行方に不安を持つ人も少なくない。

さて、今回の新年の挨拶が16回目で、これが最後となるかもしれないと思って、少し過去のメルケル首相の挨拶を思い出してみた。去年2020年の年頭の挨拶は、20年代の始まりにあたって20世紀の「黄金の20年代」を想い起こし、21世紀の20年代も輝ける10年になることを願った、希望に満ちた挨拶だった。また去年はドイツ統一30年を迎えたため、統一が素早く実現したことを歴史的な幸運だったと感謝の言葉を述べていた。その2020年に、世界中が未曾有のパンデミックに見舞われるなど、誰が予想できただろう。

私がメルケル首相の新年の挨拶を聞いて思わず笑ってしまったのは、2014年の挨拶の時だった。サッカーファンのメルケル首相は「今年はサッカーW杯が開かれるが、ドイツチームの優勝を願っている。ドイツの女子チームはすでにW杯で優勝している。女子にできることを男子ができないはずはない」と言い放ったからだ。

2012年の新年の挨拶も印象に残っている。この年の挨拶は、ヨーロッパとその通貨ユーロが中心だったが、冒頭で2011年3月の日本の未曾有の大地震と津波、原発の壊滅的な影響をあげ、「2011年は、疑いもなく、深刻な変動、変革の年であった」という言葉で、新年の挨拶を始めたのである。しかし、福島の原発事故から教訓を得たのは、事故の起きた日本ではなく、ドイツだった。メルケル首相は福島の原発事故に衝撃を受け、それまでの政策を180度転換させて、その直後に2022年までの段階的な脱原発を決定したのだ。ドイツで反原発の市民の意向が強かったにせよ、メルケル首相が強い意志で決定しなければ、脱原発は実現しなかったと思う。

アンゲラ・メルケル氏が、ドイツ最初の女性として連邦首相に就任したのは2005年11月で、2006年に最初の新年の挨拶をした。その時メルケル首相は51歳、新年の挨拶もやる気満々、「1年間にできることは沢山あります」などと述べながら、国民一人一人に新しいことを始めるよう促している。こうしたことを思い出すにつけ、私はいつか彼女の16回の新年の挨拶をまとめてみようかという気持ちにもなっている。

参考資料:メルケル首相の新年の挨拶(動画はこちら全文はこちら

 

2 Responses to メルケル首相の新年の挨拶

  1. 鈴木波江 says:

    永井様、メルケル首相の今年(`21年)の新年の挨拶をたった今読み終えました。分かり易い言葉で意を尽くした本当に感動的な挨拶で、涙ぐんでしまうほどでした。沢山の人たちが励まされ希望を与えられる素晴らしい挨拶でした。首相の意思に応えて何とかコロナ禍を心を一つにして助け合って切り抜けなければという思いになってきます。
     メルケル首相が政治の舞台から退場された後のドイツ、ヨーロッパが、永井さん同様案じられもしますが、この挨拶によって与えられた希望は人々によって繋げられていく、と信じます。永井さんの良き解説と 思いが伝わり、ご苦労に感謝しながら読みました。有難うございました。

    • 永井 潤子 says:

      鈴木波江さま、

      素晴らしいコメントをありがとうございました。あなたのご感想をたった今読み終えて、こんな風に受け取ってくださっった方がいたのかと、嬉しくなりました。メルケル首相の挨拶を苦労して?まとめた甲斐あったと思いました。ほかの記事もよろしくお願いいたします。永井潤子