映画「不屈の女たち」― 民主化に貢献した旧西ドイツの女性政治家たち
ドイツではきょう、連邦議会選挙が行われているが、この選挙を前にして、あるドキュメンタリー映画が話題になっている。映画のタイトルは「Die Unbeugsamen(不屈の女たち)」だ。この映画は第二次世界大戦後、ライン河畔の小さな町ボンを首都に誕生したドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)、すなわち1949年から1990年10月の東西ドイツ統一まで存在した「ボン共和国」での数少ない女性政治家たちの活動に光を当てた映画なのだ。
この映画の監督、トルステン・ケルナー氏(1965年、旧西ドイツ生まれ)は、この映画を作ろうと思ったきっかけについて、「ヴィリー・ブラント元連邦首相(任期1969年-1974年)の功績について調べているうちに、西ドイツ時代に個性的で魅力的な女性政治家たちが存在したことを知ったのが動機になっている」と語っている。ケルナー氏は映画を作る前に、女性政治家をテーマにした『In der Männer-Republik ― wie Frauen die Politik eroberten(男性共和国の中で ー 女性たちが、いかに政治的権力を獲得してきたか)』というタイトルの360ページもの分厚い本を2020年に出版し、男性の著者がこうしたテーマの本を書いたこともあって、注目された。この本を基に歴史的な映像や資料を駆使し、当時活躍した女性政治家たちにも新たにインタビューして、自ら監督して作り上げたのが、このドキュメンタリー映画「不屈の女たち」なのだ。
撮影は全て、かつての小さな首都ボンで行われたというが、冒頭に当時の連邦議会の誰もいない議場にからっぽの椅子が並ぶシーンが映し出される。それは過去の連邦議会の話であることを示唆すると同時に「そこに座る議員を決めるのは、あなたたちですよ」という象徴的な意味が込められているようだ。映画の最初の部分では、ベルリン・フィルを指揮する権威主義的な指揮者ヘルベルト・カラヤンの姿や、キリスト教民主同盟(CDU)のアデナウアー内閣での男性ばかりの政治家たちの姿などが示される。ドイツで初めて女性の閣僚が誕生したのは1961年のことで、第4次アデナウアー政権のもとでCDUのエリザベート・シュヴァルツハウプト議員が保健相として入閣した。閣僚というドイツ語の言葉には、それまでMinister という男性形しかなかったが、「女性閣僚を意味するMinisterin という言葉を作って、それに女性を意味するFrau をつけてFrau Ministerin と呼んで欲しい」と初の女性閣僚が言ったことがまず紹介される。この場面では、メルケル首相が女性として初めて連邦首相に就任した時、男性形の連邦首相Bundeskanzler にFrauをつけてFrau Bundeskanzler と呼ぶか、女性形のBundeskanzlerin という言葉を新しく作るかが議論され、結局Bundeskanzlerin に落ち着いたことを思い出した人も多かったに違いない。
その後、1953年から1961年まで自由民主党(FDP)の議員だったマリー=エリザベート・リューダースさんの映像が示され、インタビューに答えた彼女の発言が流れるが、それは今から見ると、ちょっと笑えるようなものだった。
私の意見では、アクチュアルな政治において、女性の調停なしには何事もうまくいかないと思います。なぜなら男性たちは言い争うという強い傾向があり、それに対して女性たちは和解するという傾向が強いからです。
とはいうものの、「女性は政治には向かない、権力は女のものではない」と長い間考えられていたと、過去を思い出して語るのは、社会民主党(SPD)の白髪のレナーテ・シュミットさんだ。彼女は1980年から1994年まで、連邦議会議員として、存在感を示した。
私は今でも、ベルリンで最初に参加したある大規模な集会でのことを思い出します。私はこの集会のパネル・ディスカッションに招かれたことを、とても誇りに思っていたのですが、その集会の大きなプラカードには、「女性と権力」の後に「?」が付いていたのです。そしてこの疑問符について理解できないと異議を申し立てたのは、ディスカッション参加者の中で私だけでした。私は権力を持ちたいと思いました。それは、私が正しいと思うことを実現し、影響力を行使するためには、権力が必要だと思ったからです。
映画には、「女性反逆者」、「連帯」、「戦争と平和」、「ラブリー・リタ」、「ペートラとハネローレ」といった12の小見出しが付いていて、次に何が来るのか観客は興味をそそられる。はじめは女性議員が男性議員や男性記者の“セクハラ”にあったり、女性であるために、発言や主張がまともに評価されなかったり、多数の男性議員から笑いのめされたりしたことなどが紹介されるが、観客は次第に女性政治家たちの毅然とした態度や説得力、ユーモアに魅せられていく。ケルナー監督は、何人かの女性政治家が決定的な役割を果たした場面をアーカイヴ映像によって、示していく。監督はコメントをつけず、映像に語らせるという手法を取ったが、それが非常な効果を発揮する。例えば、1982年、当時のFDPの首脳部が、連立の相手をSPDからCDUとキリスト教社会同盟(CSU)に乗り換えるため、SPDのヘルムート・シュミット首相の不信任投票を行った時、FDPのヒルデガルト・ハム=ブリュッヒャー議員は、本会議場で党の首脳部の寝返りを公然と批判する堂々とした演説を行った後、シュミット首相のところに行って握手した。その映像は見る人に強烈な印象を残した。FDPの首脳部が連立の相手を巧妙な方法で換えたことで、その後の長く続くCDUのコール政権が誕生することになったのだが、この時はFDPで財政問題の専門家と見られていた女性、イングリット・マテウス=マイヤー議員も、党の首脳部に抗議してFDPを離党し、次の選挙に出馬もしなかった。潔い態度を示した彼女は、その後SPDに入党し、連邦議会に復帰している。同議員は議員在任中に妊娠し、大きなお腹を抱えて活躍したことでも知られている。
連邦議会での女性の状況を大きく変えるきっかけになったのは、1983年の緑の党の連邦議会進出だった。連邦議会に初進出した緑の党の議員たちは、ジーパンにスニーカーといったラフでカラフルな格好で、花々や酸性雨で枯れた樅の枝などを持って初登院し、話題になったが、彼ら、彼女たちは議会の雰囲気や討議にも新風をもたらした。特に1983年5月5日、妊娠中絶を禁止していた刑法218条改正についての緑の党のヴァルトラウト・ショッペ議員の連邦議会での初演説は、歴史的なものとなった。ケルナー監督は、ここでも映像に語らせている。ショッペ議員は演説に先立って、マイクを低くする動作を3回も繰り返した。それはつまりマイクの位置が男性議員の高さに設置されていることへの抗議の仕草なのだった。ショッペ議員は連邦議会で初めて夫婦の間での強姦という言葉などを使って、男性中心の社会の中でいかに女性たちが長年性的に抑圧されてきたか、妊娠した場合にも男性たちや教会が中絶を認めず、子供を産むように強制してきたかを強調し、「子供を産むか産まないかを決めるのは女性自身である、女性たちには自分の体のことを自分で決める権利がある」と主張した。それに対する男性たちの反応は凄まじいものだった。特に保守派の男性議員たちの、今では考えられないような反応も見られた。「あんたは魔女だ!昔なら火あぶりだ!」といったヤジもあったという。また、ショッペ議員が北大西洋条約機構(NATO)のミサイル二重配備に反対する演説の最後に、落ち着いた態度で「ドイツには新しいミサイルは必要ではない。必要なのは新しい男たちだ!」と言い放った様子も痛快な印象を残す。
1984年4月6日、緑の党が党役員6人を全員女性にしたことは、前代未聞、空前絶後のことで、センセーションを巻き起こした。男性の論理が支配する政治の世界に小党の女性たちが抵抗の姿勢を示したものだが、これに対しては緑の党の男性議員の中にも反発する人が少なくなかったし、男性の有力ジャーナリストからも上からの目線で揶揄された。6人のうちの一人、クリスタ・ニッケルス議員が核兵器反対の演説をした時の様子も、日本人の私には感動的だった。小柄なニッケルス議員は首から千羽鶴を下げて登壇し、広島の原爆の被害者たちが悲惨な状況の中で千羽鶴に夢を託したことを縷々説明して、核兵器の非人道性を訴えた。彼女は演説の後コール首相の席に近寄り千羽鶴を渡したが、その時のコール首相の当惑した表情が、大写しになる。「経験のない女性たちに何ができるか」と当初見ていた人たちも、次第に女性議員たちの力を知るようになった。ニッケルス議員が、ドイツの戦争責任について、自分の愛した父親が、ユダヤ人殺害などに関与したナチのWaffen SS(武装親衛隊)に属していたことを明らかにしながら説得力のある演説をしたことも紹介されている。長年看護婦として、集中治療室で働いたというニッケルス議員は、党役員に選ばれた当初、議会運営に関する法律や資料を徹底的に勉強して、多数を占める保守のCDU・CSUやSPD、FDPなどの他党が小政党で新入りの緑の党の発言を制限しようとするトリックを見抜く能力を身につけたことが、ケルナー監督の本には詳しく書かれている。
「連帯」という小見出しの中では、CDUのバイエルン州を基盤とする姉妹政党CSUのウルズラ・メンレ議員の例が紹介される。比例代表制のリストのトップの男性議員が死亡したため繰り上がり当選した時、彼女は32歳で、「若くて可愛い女性だ」と男性議員たちは歓迎した。しかし、彼女は可愛いだけではない反骨精神の持ち主だった。彼女は保守的な党首脳部の方針に強く反対して、党員を驚かせた。このメンレ議員、緑の党の役員全員が女性になった時には、党派を超えてお祝いの言葉を送り、CSU党内の男性たちの顰蹙を買った。彼女は最近のインタビューで、女性たちの連帯の重要性を語る。
小見出しの「ラブリー・リタ」とは、CDUのリタ・ジュースムートさんのことだ。彼女が第3次コール内閣に2人目の女性として入閣したのは、女性を活用している証拠を見せるためだった。他の党に比べ女性の少ないCDU の支持率が低下するのを恐れた当時のハイナー・ガイスラー党幹事長が、兼任していた家庭相を辞任し、後任に教育学教授のジュースムート氏を推薦したのだった。当たりは柔らかいが芯の強い同氏は、保守党に属してはいるもののリベラルな考え方の人で、女性問題の専門家でもあった。入閣すると同時にそれまでの青年・家庭・保健省に女性省を加えることを要求したのをはじめ、党内ばかりでなく一般的な女性の地位向上を目指す政策を次々に打ち出して、コール首相と事毎に対立した。また、エイズ対策や同性愛に対する考え方でも、コール首相をはじめとする保守派の主張とは異なるリベラルな政策を押し通し、国民の人気を集めた。たまたま当時のフィリップ・イェニンガー連邦議会議長が舌禍問題で1988年11月11日に辞任に追い込まれた。常々ジュースムート青年・家庭・女性・保健相の「造反」に苛立っていたコール首相は、彼女をその後任に任命した。名誉ある連邦議会議長に格上げしたのだが、連邦議会議長には象徴的な権限しかなく、具体的な政策の提案はできなくなるので、もちろん彼女は閣内に留まりたかった。しかし、やむなく連邦議会議長(任期1988年―1998年)に就任しなければならなくなった時、ジュースムート氏は「連邦議会議長に就任しても私は私、自分は変わらない。これからも政治的な発言を続ける」と宣言して、事実その通りになった。
こうした様々な党に属する不屈の女性政治家たちが、男性中心社会だった西ドイツの民主化、社会のリベラルな雰囲気促進に貢献したことがこの映画を通じてよくわかる。ケルナー監督はこのドキュメンタリー映画「不屈な女たち」を、2005年のアンゲラ・メルケル氏の統一ドイツの連邦首相就任で締めくくっている。最後には、若いリトアニア人女性指揮者、ミルガ・グラジニーテ=ティーラさんが、バーミンガム・シティ・シンフォニー・オーケストラを楽しげに指揮する映像が示されるが、冒頭のカラヤンの指揮との違いは明確だ。
1972年5月から27年間、ボンの北約30キロに位置する大都市、ケルンの国際公共放送ドイチェ・ヴェレの日本語放送で記者として働いた私は、まさに「ボン共和国」を生きていたわけで、この映画「不屈の女たち」を見て、すっかり興奮してしまった。映画の中には自分がインタビューしたり、ニュースで取り上げたりした女性政治家たちも出てくるが、初めて知った女性もいる。例えば、若くて可愛い反骨精神の持ち主、CSUのウルズラ・メンレ議員は、その一人だ。また、緑の党のクリスタ・ニッケルス議員の名前は6人の役員の一人として知ってはいたものの、彼女の感動的な演説などは、今回初めて見たのだった。私が彼女たちについてあまりよく知らなかったのは、当時のテレビニュースなどで、こうした女性たちの活動が取り上げられなかったせいもあるかもしれないと思う。ジュースムート連邦議会議長には、日本の土井たか子衆議院議長(任期1993年−1996年)が表敬訪問した時に短いインタビューをしたことがあり、保守党内の有力男性政治家の抵抗に遭いながら女性の地位向上に尽力してきた彼女を尊敬もしていたので、彼女の功績について映画の中でもう少し具体的に取り上げて欲しかったという気がしないでもない。しかし、これまで知られてこなかった女性政治家たちの活動を掘り起こし、様々な政党に属する女性政治家たちが西ドイツ社会の民主化に貢献してきたことを浮き彫りにした監督の功績は、高く評価できる。私はこの映画を見てドイツの女性政治家たちに対する尊敬の念を一段と強くしたが、目指すべき目標を知って、勇気付けられもした。
ケルナー監督は、旧西ドイツがいかに男性中心社会であったかをクローズアップすることに成功しているが、次は旧東ドイツの女性についての映画を製作する予定であることも明らかにしている。同監督は「政治上の男女同権が実現しないと、民主主義は酸素欠乏を起こす」と強調しているが、私は今日行われている連邦議会選挙で、女性議員の数がどれだけ増えるかに注目している。映画の冒頭で紹介されたリューダース議員は80歳の誕生日に「女性たちが闘いを続けなければ、勝ち取ったものも失われる」と語ったが、その予言通り、前回2017年の連邦議会選挙では、女性議員の率は31%で、それまで増え続けていたものが、20年前の率と同じになってしまった。それは、男性が90%を占める右翼ポピュリスト政党「ドイツのための選択肢(AfD)」が初めて連邦議会に進出したためと、女性の多いSPDや緑の党、左翼党の得票が減ったためだった。
なお、8月16日にベルリンで行われた試写会には、メルケル首相も駆けつけて「この歴史的なドキュメンタリー映画の試写会にお招きいただいたことに心から感謝します」という言葉で始まるスピーチをした。「民主国家ドイツは、憲法である連邦基本法で男女同権を謳っているだけではなく、国家に対して、社会に現存する差別をなくすために努力する義務を負わせる条項を追加しています。しかし、今なお完全な男女平等の実現には至っていません。旧西ドイツの先駆的な女性政治家たちは、困難な状況の中で様々な努力をしてきましたが、『ボン共和国』で女性議員の割合が10%を超えたのは、1987年になってからでした。現在は31%で、満足できる状態ではありません。まだまだするべきことが沢山あります。そして男女平等を実現するためには、男性の協力が欠かせません」。このように述べたメルケル首相は、女性だけではなく男性たちもこの映画を見るように勧める言葉で、挨拶を締めくくった。
記事を通じて当時の西ドイツ”ボン共和国”における女性政治家の置かれた状況、少しづつ彼らの地位が向上してゆく様を知ることができました。永井さんの当時を思い出しての感動と興奮がしっかり伝わってきました。私はこの時代のドイツの政治状況をほとんど知らないので大変興味深く読ませて頂きました。メルケル首相のイメージが強いのでドイツではずっと以前から女性政治家の地位も数も日本とは格段の差があるような気がしていましたが、ここまで来るには歴史があったのですね、いろいろと考えさせられます。
また次回のテーマを楽しみにしています。