脱原発、ドイツの歩み 2)

永井 潤子 / 2011年11月27日

メルケル首相の素早いエネルギー政策転換

日本時間の2011年3月11日14時46分、ドイツでは早朝の6時46分、この時を境に世界は変わった。
大災害の報道が伝えられた直後の3月12日に早くも大規模な反原発デモが行なわれたことは1)で伝えたが、メルケル首相も市民の反応に負けず劣らず、素早い動きを見せた。実は第二次メルケル政権は社会民主党と緑の党の連立政権だったシュレーダー政権がいったん決めた脱原発の方針を昨年9月にくつがえし、古い原発の運転期間を8年、1980年以降に運転を開始した比較的新しい原発の運転期間を14年、平均で12年間延長して、原発反対派の人たちの激しい反発を買っていたのだが、そのメルケル首相がこれまでの原子力政策を180度転換するような発表をして、人々を驚かせた。

福島原発事故の翌日、3月12日には、国内のすべての原発の安全点検を命じ、14日には自ら決めた原発稼働期間の延長政策を3ヶ月間凍結すると発表、15日には古い原発7基の運転を一時停止するなど、いわゆるモラトリアム政策を実施した。矢継早やの対策とその豹変ぶりは人々を驚かせ、“朝令暮改“だと揶揄された。マスコミもバーデン・ビュルテンベルク州とラインラント・プファルツ州の2州の州議会選挙が迫っていたための人気取り政策だと書き立て、時間が経てばまた元の政策に戻るのではないかとその真剣さを疑った。

しかし、物理学の博士号を持つメルケル首相は、これまで起こりえないと考えられてきたことが、ドイツ同様科学技術の進んだ日本で起こったことに衝撃を受けたという。後日の外国人記者会での会見でもメルケル首相は「福島原発の事故の凄まじい映像が目に焼き付いている」などと述べて、「福島原発の事故によって原子力の安全性についての考えが変わった」ことも明らかにした。政治家としてのメルケル首相は福島での原発事故が起こった後では、これまでの原発推進策では有権者の支持を得られないと判断したようだが、急激な方向転換にもかかわらず結局有権者の信頼を回復することはできなかった。3月27日に行なわれた2州の州議会選挙ではメルケル首相が党首を勤めるキリスト教民主同盟の票は伸び悩み、特にこれまで一貫して保守陣営が政権の座にあったバーデン・ビュルテンベルク州で政権を失ない、歴史上初めて緑の党の州首相誕生を許したのは、メルケル首相にとって大きな痛手だった。同州では州都シュトゥットガルト中央駅の新建設をめぐって賛否両論の対立が続き、反対派の激しいデモが行なわれていたが、緑の党の得票率の伸びには、福島の原発事故の影響もあったと見られている。

メルケル首相は古い原発の運転を一時停止しただけではなく、福島の原発事故以後の原発問題を検討するため、ドイツを代表する有識者17人からなる政府諮問機関「エネルギーの安全供給に関する倫理委員会」をその直後に発足させた。2人の委員長には長年ナイロビに本部を置く国連環境計画の事務局長を務めたクラウス・テップファー元環境相とドイツ研究協会( DFG, Die Deutsche Forschungsgemeinschaft)のマティアス・クライナー会長が就任。同委員会は、市民に受け入れられる形でいかに短期間に核エネルギーから撤退出来るか、その場合の費用や産業に与える影響、自然エネルギーの利用推進問題などについて議論し、「大きな危険のともなう原子力の利用は、将来の世代に責任を持つことができない」という結論に達した。この倫理委員会は、「脱原発は10年以内,つまり2021年までに可能である」とする報告書を5月末、メルケル首相に提出した。同委員会はまた「ドイツのエネルギー問題の未来は国民全体が考え、つくって行くもの」という意見に基づき、10時間以上に及ぶ議論の様子をテレビで生中継した。こういうことは初めてで、私はそのことに感動した。

これとは別に専門家からなる独立の機関「原子炉安全委員会」も福島原発事故を踏まえてドイツの原発の安全状況をチェックし、5月末までに報告書を提出するよう連邦環境省から依頼された。同委員会のルドルフ・ヴィーラント委員長が4月19日、外国人記者との会見で述べた言葉も強く印象に残った。「福島原発の事故の当事者は想定外の事故ということを強調してきたが、それについてどう思うか」という日本人記者の質問に対し、「福島原発の事故については想定外のことは何もなかった」とはっきり否定したのだ。

こうしたプロセスを経て、ドイツ政府は6月6日、臨時閣議を開き、国内に17基ある原発を段階的になくして行く方針を決定したのだった。運転停止中の古い7基と事故続きの1基の計8基の原発は運転を再開せず、そのまま閉鎖、残りの9基は2015年、2017年、2019年に一基ずつ操業停止、2021年に3基、2022年には最後の原発3基も止めて、全廃するという脱原発に向けての具体的な行程表が決定された。核エネルギーに代わって風力など再生可能な自然エネルギーへの転換をはかって行くことも強調された。こうした政府の決定に怒ったのは原発を運営するエネルギー企業で、4大エネルギー企業の一つ、RWEなどはメルケル首相の方針転換で受けた被害に対し、法的手段に訴える意向を明らかにした。メルケル首相自身は「原発からの撤退はドイツ社会にとって大きなチャレンジだが、代替エネルギーの分野での技術発展で雇用が伸びるなど、チャンスでもある」と見ている。実際にも再生可能なエネルギー分野の雇用は近年、大幅に延びているという。隣国のフランスが原子力推進策を変えないなか、未来に向かって勇気ある一歩を踏み出したことは確かであろう。メルケル首相はフランスなどヨーロッパの近隣諸国から原発エネルギーを買うことにも警告を発している。

「ドイツは原子力時代に終止符を打った」(ジュートドイチェ・ツァイトウング)、「閣議、脱原発を確定」(ターゲスシュピーゲル)、「原子力での“ドイツの単独行”がヨーロッパの調和を乱す」(フランクフルター・アルゲマイネ)、これは政府が脱原発を決めた翌日の各新聞の見出しである。しかし、メルケル首相にとっては最大の難関がまだ控えていた。政府の脱原発の方針は、連邦議会で承認される必要があったのである。それについては3)で詳述する。

3 Responses to 脱原発、ドイツの歩み 2)

  1. みづき says:

    「じゅん」さんの大学の後輩の者です。(と言っても、年はずっと下の若輩者)
    原発事故以降のドイツの動きと日本の動き、どうしてこうも違うのだろう…と
    比べては、考え込んでしまっています。

    私はドイツに住んでいるんですが、ドイツ語がまだまだ下手で、こまかな情報を
    自分で集めることはできませんでした。
    こんなふうに、わかりやすくまとめていただけると、とても参考になります。
    シリーズ第3回も楽しみにしてます!

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