内外の注目を集めた「ナイセ河畔の真珠」の市長選

永井 潤子 / 2019年6月23日

ドイツ東部、ザクセン州のナイセ川を挟んでポーランドと国境を接する人口5 万6000人ほどの小さな町ゲルリッツについて、日本ではほとんど知られていないのではないだろうか。「ドイツ東部で最も美しい古都」「ナイセ河畔の真珠」などと呼ばれるゲルリッツだが、実は旧西ドイツでも、東西ドイツが統一するまで、こんなに素晴らしい町が旧東ドイツに存在するのを、ほとんどの人が知らなかったといっていい。そのゲルリッツの市長選が、このほど内外の注目を集めた。それは、今回の市長選がこの美しい町の今後の政治状況を決める試金石とも言える選挙だったからだ。

ゲルリッツの美しい街並み。装飾を施された建物が多く、かつての豊かさを物語る。

ゲルリッツの町は、14世紀以降、青色染色の織物や塩の交易などで栄え、豊かな町として発展してきた。裕福な商人たちが作り上げてきた豪華な歴史的建造物が、第二次世界大戦でほとんど破壊されることなく残ったことが、現在のゲルリッツを特色付けている。統一後こうした歴史的建造物の多くが修復され、優雅な町のたたずまいが、さまざまな映画の背景として使われてきた。最近では2015年のアカデミー賞の4部門で受賞した「グランド・ブダペスト・ホテル」のロケ地となったことで、映画関係者の間で一躍有名になった。今回の市長選が国際的にも大きな反響を呼んだのは、ポーランドの対岸の町ズゴジエレツと共に「ヨーロッパ都市」を名乗る町ゲルリッツに、排外主義の右翼ポピュリズム政党「ドイツのための選択肢(AfD)」に属する市長が、ドイツで初めて誕生する可能性があったからである。

今年5月26日に行われた市議会選挙では、AfDが30.8%を獲得し、キリスト教民主同盟 CDUの22.0%を追い越して第1党になった。同時に行われた市長選では、AfDの候補者、セヴァスチャン・ヴィッペル氏(36歳)が36.4%を獲得し、1位になった。第2位はCDUの候補者、オクタヴィアン・ウルズー氏(51歳)で、得票率は30.3%に過ぎなかった。過半数を獲得した候補者がいなかったため、6月16日に2回目の投票が行われた。

第3位の緑の党の女性候補者フランチスカ・シューベルト氏の得票率は、CDUの候補者よりわずかに少ないだけだったが、2回目の投票を前に立候補を取りやめ、「世界に開けた候補者に投票を!」と呼びかけた。左翼党の陣営も、AfD の市長が実現するのを阻止するため候補を取り下げ、不本意ながらCDUの候補者を支持する方向に変わった。こうして、「ゲルリッツ市民同盟」や社会民主党(SPD)の支持者などを含め、超党派の「AfD市長の実現を阻止する運動」が生まれた。

AfD のヴィッペル候補者はゲルリッツ生まれ、元警察官(上級警部)で、長年ドイツ連邦軍に属し、2014年以降ザクセン州の州議会議員を務めたが、難民政策についての過激な発言で知られていた。彼は2016年、ドイツ南部で難民によるテロ事件が起こった後、「難民政策に責任のある人たちがテロの犠牲者にならなかったのは残念だ」という趣旨の発言をして、物議を醸した(後で謝罪はしたが)。今回の選挙戦では、「国境なき犯罪の代わりに安全な国境を!」をスローガンに、支持を集めた。それに対してAfD市長の誕生を防ごうと、ハリウッドから映画関係者が連名でゲルリッツの有権者に寛大な候補者を選ぶよう呼びかける声明が届くなど、国際的な波紋も呼んだ。

ゲルリッツの町がかつて経験したことのないほど緊張感をはらんだ今回の市長選挙だったが、2回目の投票では、CDUのウルズー候補が55.2%を獲得し、44.8%を得たAfDのヴィッペル候補 に逆転勝利した。この選挙結果に私もほっとしたが、ゲルリッツの市議会でAfDが第1党という現実に変わりはない。しかし、超党派の市民運動が成果を上げたという点は、参議院選挙を前に野党の共闘が模索されている日本の人たちにも参考になるのではないだろうか。

新市長のウルズー氏は、ルーマニア生まれの音楽家。

ゲルリッツの新しい市長に選ばれたウルズー氏は、ルーマニアのブカレスト生まれの音楽家で、1990 年にオーケストラの首席トランペット奏者としてゲルリッツにやってきた。2年で故郷に戻るつもりだったというが、現在の妻と知り合って、ゲルリッツに残ることにしたという経歴の持ち主だ。その後デュッセルドルフの音楽大学で音楽と教育学を学び、1998年から2014年まで、ゲルリッツの教会音楽大学などで教鞭をとった。CDUに入党したのは2009年のことで、地元で政治活動をした後、ヴィッペル氏と同じく2014年からザクセン州の州議会議員を務めていた。

「世界に開かれたヨーロッパの町ゲルリッツに投票を!」と呼びかけてきたウルズー氏は温厚な人柄で、静かな口調での話し合いを好み、音楽同様ハーモニーを好むと伝えられる。そうした人柄と市民の抗議デモに自身も参加するなどの行為が、超党派の支持をたやすくさせた一つの理由だとも見られている。彼の勝利を「イデオロギーではなく、良識の勝利」と見る人もいる。左翼党の党員の一人は、「生れて初めて今回CDUに投票したが、奇妙な感じだった。しかし、今回はこれ以外に選択肢がなかった」と語っていた。当選が確実になった後ウルズー氏は「市民の多数は開かれた社会に賛同し、閉鎖的な傾向に反対する意思表示をした」と述べたが、「これからはすべての市民の市長として、感情的な対立を乗り越えて、冷静で現実的な政策を取っていく」と強調した。しかし、ゲルリッツ市議会ではAfDが議員の3分の1を占めるため、新市長の市議会との関係は難しいものになると予想される。

ゲルリッツの市長選は終わったが、9月1日にはザクセン州(州都ドレスデン)の州議会選挙が控えている。最近のさまざまな世論調査によると、ザクセン州ではAfDがCDUを超えて第1党になる可能性があると予想されている。現在SPDと連立を組むミヒャエル・クレッチュマー州首相(CDU、ゲルリッツ出身)は、「多くの人はAfDの過激さを過小評価している」と警告し、今後もAfDと連立を組むことはあり得ないと改めて強調した。なぜ、かつての東ドイツ地域で、AfDがこれほどの勢いを持つのか、このザクセン州、及び同じくこの秋に州議会選挙を控える、ブランデンブルク州、テューリンゲン州の東部3洲の政治的動きから、当分目が離せない。

 

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