ドイツ統一30周年、ポツダムでの屋外展示『30年、30日』

池永 記代美 / 2020年9月27日

今年の10月3日、ドイツが統一30周年を迎えるのに合わせて、旧東ドイツ地域にあるブランデンブルク州の州都ポツダム市では、9月5日から10月4日まで、『30年、30日』というタイトルの屋外展示が行われている。これは例年統一記念日に行われる市民の祭典に代わって開かれたもので、市の中心部にある広場や遊歩道のあちこちに30の展示ブースと、ビデオ画面が取り付けられた30本の柱が設置されていて、散歩を楽しみながら見学できるようになっている。天気の良さにも誘われて、先週末、出かけてみた。

1990年10月3日に東西ドイツが統一して以来、ドイツでは毎年統一記念日に、大統領などが演説する式典と市民のための祭典が開かれている。式典と祭典は全国16州の持ち回りで、毎年異なる場所で行われる。それは、その年に各州の代表で構成される連邦参議院の議長を務める州がホストになることが決まっているからだ。一昨年はベルリンで、昨年はドイツ北部のシュレスヴィッヒ•ホルシュタイン州の州都キールで式典とお祭りが開かれた、といった具合だ。こういう仕組みにしたのは、ドイツが連邦制の国であることを強調するためだろうが、祭典目当てに、いろいろな人が今まで知らなかったドイツ国内の土地を訪れることを推奨しているのかもしれない。

展示ブースは街中に点在しているが、この標識をたどって歩くと、全部の展示が見られるようになっている。

さていつもは、大きな広場や公園で沢山の人が集まって開かれる市民の祭典だが、今年はコロナ禍のため最初に書いたように街の随所に展示ブースなどが設置されるという形態となった。30年という節目の年であったため、大規模なイベントを計画していたポツダム市にとって苦肉の策だったと思うが、意外に知らなかったポツダムの街並みを歩くことができて、楽しかった。

展示ブースを出していたのは、16の州、それに 連邦議会や連邦参議院などの国家機関、連邦銀行や連邦軍、地元ポツダム市などで、一昨年訪れたベルリンでの祭典とあまり変わりはない。内容も各州が自慢にしている技術や産業、観光名所などの紹介で、代わり映えがしない。ただし一昨年のベルリンの祭典では、いろいろな州が名物料理や飲み物を屋台で売っていたが、今年はコロナのために飲食の販売は一切なく、その代わり街中のカフェが賑わっていた。展示のなかで、単純だが面白かったのは憲法裁判所のブースだ。一つの判断を下すのに、どんなに多くの資料を読まなければならないかを、山積みになった書類で視覚的に表現してあった。また連邦参議院は、その仕事があまり国民に理解されていないからだろうか、連邦議会だけではなく参議院も立法機関であることも含めて、ドイツで法律がどのように作られるかが図式で説明してあった。しかし複雑な内容で、理解できないところもあった。

ドイツ西部のザールランド州の展示。まだ行った事がないという母親に、研修で同州に滞在したことのある息子が「あそこの人はみんなフランス語がペラペラなんだよ」などと説明していた。

ビデオ画面が設置された30 本の柱は、1990年から今までの重要な出来事を、それぞれの柱が一年ずつ紹介している。たとえば1997年にはドイツとポーランドの国境を流れるオーダー川が氾濫し、ドイツ東北部の広い地域が洪水の被害にあったこと、2002年にはヨーロッパの11カ国で、統一通貨ユーロが導入されたことなどだ。私がドイツに住むようになってこの夏で30年を迎えたので、ここで紹介されている出来事は全てドイツで体験したことだ。ビデオを見ながら、当時のことを懐かしく思い出したり、すっかり忘れてしまっていたことに愕然としたりした。ちなみに2011年の出来事として紹介されていたのは、ドイツが福島第一原発の事故をきっかけに、脱原発を決めたことだった。

2011年の出来事を紹介する柱。ビデオには、脱原発を決めた連邦議会の投票の様子が流れていた。

ポツダム市の展示の一つに、東ドイツ出身と西ドイツ出身の30組のカップルの写真展示があった。どのカップルもとても幸せそうないい顔をしている。ベルリンの壁が崩壊しなければ、彼らは出会うこともなければ、ましてや愛し合うこともなかったかもしれないと思っただけで、私までベルリンの壁の崩壊に感謝したくなった。1990年代の前半は東西カップルといえば、経済力のある西ドイツ出身の男性と東ドイツ出身の女性という組み合わせが多かったが、今回紹介されているカップルは、東ドイツ出身の男性と西ドイツ出身の女性のカップルもあれば、男性同士、女性同士とその組み合わせは多様だ。大きな写真の横に、どんな時に相手が「向こう側」の出身だと意識するか、出身の違いが二人の関係に影響を及ぼしているかなどについての二人の短いコメントが紹介されていた。

子供を産んでからもフルタイムで働きたいというズザンネさん(女/東)と、パートタイムでというクリストフさん(男/西)は子育てを巡って随分議論をしたそうだ。

たいていのカップルにとって、相手が違った政治的、社会的環境で育ったことは二人の性格を補い合ったり、関係を豊かにしたりするもののようだ。子供の時に読んだ本や見たテレビ番組が違って話が通じないなどは、国際結婚のカップルにもみられるエピソードだが、言語は共通でも、東西ドイツが二つの異なる体制と文化を持つ国だったことを改めて実感した。中には、友達の誕生パーティで、ほかの友人はそれぞれの趣味や職業で紹介されたのに、 東出身の自分のパートナーについては、「彼は東出身」とだけ紹介されて、惨めな思いをしたという悲しいエピソードもあった。また、別のカップルのケースだが、西ドイツ生まれの男性は、相手が東ドイツ出身という理由だけで親に結婚を反対されたため、結婚式は親を招待せずに行ったことを明かしている。この夫妻は二人とも1984年生まれで、結婚したのは東西ドイツが統一して少なくとも15年は経っていたのではないかと思うが、まだそんなことを言う人がいたのかと驚いた。

「平和革命から30年とドイツの統一委員会」のパネル展示。文字情報が多いが、熱心に読んでいる人が多かった。

「平和革命から30年とドイツの統一委員会」という、今年の統一30周年のために連邦政府が設けた委員会は、1989年の秋から1990年の秋までに起きた、ドイツ統一への転機となる出来事を紹介していた。それはプラハの西ドイツ大使館の敷地内に逃亡してきていた東ドイツの市民たちに、西ドイツへの入国を認めると西ドイツのゲンシャー外相(当時)が発表したことや、ドイツ東南部のライプツィヒで毎週行われていた月曜デモなどだ。その展示を真剣に見ていた二人の女性に話を聞くと、二人とも旧東ドイツの出身で、現在保育士として働いているという。西ドイツと異なり、東ドイツでは保育士も大学教育を受けなければならなかったのに、東西ドイツの統一により、彼女たちの資格は無効になり、失業した。実務の経験も十分あったのに、職業安定所のプログラムで 研修を受けなければならなかったのが、屈辱的だったという。でも今は安定した職業についていて、東ドイツ時代に戻りたいと思うことはないそうだ。ただ、今の若い人たちを見ていると、自由がありすぎて、何をしたいのかわからない人が多いのではないかと、心配になるそうだ。

今回、展示を見ていて話を聞いたのはみんなポツダム周辺の旧東ドイツ出身の人たちだった。週末だったが西ドイツから来た人に出会わなかったのは、コロナのせいだろうか。ホストのブランデンブルク州の展示ブースの横では、『30年、30日』展の主催者が行うアンケートに協力するよう求められた。最初の質問は、「ドイツの統一はもう完了したと思うか?」というものだった。私は、「そんな質問がある限り、まだ統一は完了していないと思う」と答えた。

ライトアップされた州議会の建物の裏にあるニコライ教会。右下は湖の多い州らしく、水上ハウスを使ったブランデンブルク州の展示ブース。

 

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