Yes, we can
毎日、何千人もの難民がドイツに押しかけて来ていた昨年の夏の終わり。連邦内務相がドイツに来る難民の数を「年間では80万人になるだろう」と発表し、国民が動揺した。しかしその直後の記者会見で、メルケル首相は、オバマ米大統領の Yes, we can に匹敵するような「私たちはやり遂げます(Wir schaffen das)」という言葉を、繰り返し口にした。そして今もそれを繰り返す。難民は昨年、最終的には110万人ドイツにやってきており、それがドイツ社会を大きく揺さぶっている。ドイツ政府は、この一年間に何をやり遂げただろうか。 そしてドイツ社会は今、どうなっているだろうか。
ドイツ社会が亡命者や難民を受け入れる場合には、彼らにただ住む場所と食べる物、着るものを提供するだけではなく、彼らがこの社会で人間らしい生活を営むために必要な条件を整えることも要求される。それには、大人が社会的、文化的活動に参加できることや、子供や青少年が教育を受ける権利も含まれる。このことは「人間の尊厳は不可侵である。これを尊重し、かつ、これを保護することは、全ての国家権力の義務である」というこの国の憲法であるドイツ連邦基本法の第1条第1項の条文から来ている。この条文はドイツ人だけに限定して適用されるものではない。
メルケル首相が難民問題の解決に関し「私たちはやり遂げます」と発言するときに、彼女の頭の中にこの条文があることは間違いないはずだ。ドイツは強い豊かな国だし、国民には助ける準備のあることも承知だ。
ドイツに亡命者や難民を受け入れる準備がある背景には、まず基本法第16条aがある。そこには「政治的な迫害を受けるものは擁護権を享受する」と書かれている。これは、ナチス政府が、政権批判者や反対者を政治犯などとして投獄したり死刑に処したりしたこと、また、ユダヤ人をユダヤ人であるがためのみに絶滅しようとしたことへの反省と、亡命を試みたそういう人たちを受け入れて彼らの命を救ってくれた国々への感謝の気持ちを反映してできた条項だ。そしてドイツは、戦争犠牲者の保護のためのジュネーブ条約に調印している。
ドイツはこの1年間に110万人の難民の衣食住の面倒を見てきた。国が多額の経費を負担したことは評価に値する。しかしそれにも増して感心するのは、数え切れないほど多数のNGOやボランティアの人々が協力して、冬の寒い日などにも難民に暖かい住む場所と食べ物を準備し、冬のコートやブーツなどを提供したことだ。病気になった人たちの面倒も看ている。また難民に生活保障給付金などが支払えるように、一人ひとりを登録する作業も当初は難民が急激に増えたので大変混乱していた。しかし、今はスムースに進んでいる。 ドイツに来た難民の大半は、ドイツに留まり、やって来た国には帰らないだろうと予測されるので、ドイツ語の授業も各地で始まっており、これにもボランティアが多く参加している。子供達は学校に行き出しているし、職業教育を始めた若者も少なくない。
しかし、多くの国民が、今後も同じ数の難民が短い期間内に来るようでは大変だと思っている。そして過去1年間に達成したことと同じことは、繰り返せないとも言っている。しかしメルケル首相は、迫害されている人たちや内戦地域から命辛々逃げてきた人たちの受け入れに上限を設けようとはしない。そして「私たちは(難民受け入れを)やり遂げます」を繰り返してきた。昨年の大晦日の晩にケルンの中央駅前広場で難民を含むアフリカ系やアラブ系の男性が、大晦日を祝いに来ていた女性に性的嫌がらせをしたり盗難を働いたりした後にも、またこの7月に、難民の若者の関わるテロ行為がヴュルツブルグとアンスバッハで発生した後にも、メルケル首相の態度は変わっていない。
メルケル首相は、ヨーロッパにやって来る難民を欧州連合(EU)内で公平に振り分けるという構想を持っているが、旧東欧諸国や英国の反対で上手くいっていない。同氏がリーダーシップを取って、EUとトルコが協定を結んだのは今年の3月だった。協定の内容は、トルコは、トルコを通過してヨーロッパにやって来る難民、特にシリア人やアフガニスタン人が、難民斡旋業者に大金を支払い、業者が仕立てる危うげな船で不法にギリシャに 渡らないようにする。その見返りにEUはトルコに数十億ユーロ(数千億円)の大金を支払い、トルコはその資金で国内に滞在している200〜300万人のシリアからの難民の生活条件の向上を図るというものだ。
3月末頃からヨーロッパに向かう難民の流れは確かに激減した。しかしその直前の2月に、ギリシャから地続きのバルカン半島のマケドニアやクロアチア、スロヴェニア、そしてオーストリアの国々はウィーンで単独に会議を開き、難民の通過するバルカンルートの封鎖を決定している。そのことが難民が現在、オーストリアやドイツまで来なくなった主な理由だと一般には認識されている。EU・トルコ間の協定の効果かどうかは判明していないのだ。しかも、難民は一つのルートが封鎖されれば、他のルートを探すだろうと言われている。また、アフリカ大陸からイタリアを目指す難民の数は現在増加している。
メルケル首相は、アフリカ大陸からの難民の流れを食い止めるために、チュニジアやリビアなどとも、トルコと締結したと同じような協定を結ぼうと考えているようだ。しかしチュニジアが合意するかどうかはまだ分からず、またリビアの政権は安定していないので、協定を結ぶことは難しいと見られている。
ドイツに滞在する権利のない人たち、つまり安全な国から来ているのに戦火を逃れて来たシリア人を装って難民になりすましていたり、あるいは経済的目的が来独の理由だったりしたバルカン半島のアルバニア人やコソボ人は減っている。ドイツもシェンゲン協定の特別条項を適用して国境の検査を一部導入している。その他、不法にドイツに到着した人達の祖国への送還者数は、以前に比べれて少し増えているという。しかし、パスポートを持っていない人達なども多く、送還は今でもあまり効率的に機能してはいない。また、政府は、犯罪者は送還すると言うが、ジュネーブ条約で難民を戦地に送還することは禁じられている。
この9月4日に行われた旧東独地域のメクレンブルグ・フォーポメルン州の州議会選挙では、右翼のポピュリスト新党「ドイツのための選択肢(AfD)」が一気に21.1%を獲得して、メルケル首相の率いるキリスト教民主同盟(CDU、19.1%)を抜いて第二政党となってしまった。同州は今まで社会民主党(SPD)とCDUが連立で政権をとっており、失業率の低下や財政の保全化などの功績は決して少なくなかった。しかし住民の最大の関心事は難民問題にあったようだった。ドイツ統一以後に同地域の発展についていけなかった人達や仕事上フラストレーションを感じている人達、あるいは難民に職場を奪われるのではないかと心配しているような人達が特に多くAfDに投票したと思われる。彼らは、フランスやベルギー、ドイツでも発生した難民や移民、ムスリム教徒たちによるテロ事件が、自分達の身近で起こることを恐れている。また、大勢の難民がドイツ社会に溶け込むことは無理だと考え、むしろドイツが将来的に大きく変わってしまうのではないかと心配している。そのような心配を抱えているにも関わらず、彼ら自身は現存の政治家から理解されておらず、置いてきぼりにされているなどと感じている。そして難民問題の解決に関し「我々にはできない、無理だ」と考えており、声に出して「メルケル首相は辞任しろ」と 言っている人達も多い。
誰も、選挙人僅か130万人のメクレンブルグ・フォーポメルン州とドイツ全国が同じだとは考えていないが、似たような傾向は他の州でも見られている。例えば、今年になって州議会選挙のあったラインランド・プファルツ州、バーデン・ヴュルテンベルグ州、そしてザクセン・アンハルト州では、AfD がそれぞれ12.6%、15.1%、24.2%の投票率を獲得している。ドイツの豊かさと安全が危険にさらされていると感じている人達は少なくないのかもしれない。アレンスバッハ世論調査研究所がこのほど発表した30〜59歳の世代の調査でも「自分の未来に対し楽観的だ」と答えた人は、昨年の57%に比べて37%に減っているという。特にバイエルン州、しかし他のところからも、難民の受け入れに上限を設けるべきだとする強い声が聞こえてくる。
プロテスタント教会の社会学研究所が、昨年秋から3ヶ月ごとに4回にわたって実施した調査によると、調査の対象だった1000人強の人達の88.4%は、昨年秋の第一回目の調査時に「難民を受け入れることでドイツは、困窮状態に陥っている人達を助けている」という文章に同意した。この割合は、それ以来僅か85.8%にしか減っていない。「ドイツはドイツに押し寄せる難民がもたらす問題を”決して克服できない” 」と答えた人は旧東ドイツ地域では4回の調査で毎回17%以上だったが 、旧西ドイツ地域ではこの1年間で 15.6% から11.6%に減っている。”どちらかと言うと克服できない” と答えた人は東では28.3%、西では20.4%だった。
これで見ると、東西の差はあるが、ドイツ人の大多数は難民問題を解決できるとしていることが分かる。ドイツのマスメディアはAfDの台頭やメルケル首相の難民対策に対する批判を連日大きく取り上げているが、多くのドイツ人は Yes, we can と考えているように私には思われる。
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