フクシマの正常化は幻想

永井 潤子 / 2017年3月19日

福島の原発事故から6年目の今年3月11日前後、ドイツのメディアは福島についてどう伝えただろうか。

報道数が多かったのはテレビだが、東日本大震災6年目の被災地域の現状や津波で家や家族を失った人々の苦しみや悲しみを伝えるものが主だった。福島原発の事故については、発生当時の状況を時系列で検証したドキュメンタリー番組を再放送したものなどが目立った。新聞の多くは、今年が節目の年ではなかったせいか、あるいは現在ドイツ、ヨーロッパ、アメリカで次々に起こる重要な問題を追うのに忙しかったせいか、あまり大きく取り上げてはいなかった。そんな中で私が注目したのは、日本、韓国を中心に報道するジャーナリスト、マルティン・フリッツ氏のルポルタージュだった。

「福島の正常化は幻想」というタイトルのこのルポは、ドイツの公共国際放送、ドイチェ・ヴェレが3月11日に取り上げたものだ。フリッツ氏は、実際に福島の事故現場を訪れ、取材した様子を東京電力の幹部の言葉を交えながら、伝えている。

口と鼻を覆うマスク、頭にかぶる布、ヘルメット、布製の手袋と重ねて履く2足のソックス、今福島原発の訪問者に手渡される物はこれだけである。防護マスクをつけ、白いビニールの防護服を着ているのは作業員だけ。「原発敷地内の地面のほとんどがコンクリートで固められて以来、ここの放射線量は東京、銀座のショッピング街と同じように低くなりました」と東京電力のマネージャー、岡村裕一氏が保証する。

フリッツ氏は、この岡村氏の言葉を聞いてホッとしたようだが、その気持ちは長くは続かなかったという。

我々がバスから降りて、原子炉に近づくと、線量計はけたたましく鳴り、毎時160から170マイクロシーベルトの数字を示す。これは通常のほとんど2000倍の数値である。「ここには長いこといられません」と岡村氏。事故現場の片付け作業がかなり進んでいるという最初の印象も、短い間に消え去った。事故を起こした原子炉は廃墟のままだった。むき出しになった鉄骨、崩れた壁、折れたパイプ、そうした風景を見ると、6年前、地震の後に17メートルもの高さの津波に襲われた当時の記憶がまざまざと蘇る。

フリッツ氏は、福島原発の事故発生の経過を非常に簡単に済ませているが、実際には次のような経過をたどった。3月11日、東北地方太平洋沖地震が発生した当時、福島第一原子力発電所では1号機、2号機、3号機が運転中で4号機、5号機、6号機は、定期検査中だった。運転中の原子炉3基は、地震とともに自動的に制御棒が挿入され緊急停止したが、地震による停電で外部電源は失われ、非常用ディーゼル発電機などもその後襲った津波で喪失し、全電源喪失という事態に見舞われた。そのため冷却水を送るポンプが稼働できなくなり、原子炉内部や核燃料プールへの注水が不可能になった。その結果、1・2・3号機とも、核燃料収納被覆管の溶融によって核燃料ペレットが原子炉圧力容器の底に落ちる炉心溶融(メルトダウン)が起き、溶融した燃料集合体の高熱で、圧力容器の底に穴が開いたか、または制御棒導入部の穴やシールが溶融損傷して隙間ができたことで溶融燃料の1部が、原子炉格納容器に漏れ出すメルトスルーが起こった。また、メルトダウンの影響で大量の水素が発生し、1・3・4号機の原子炉建屋で水素爆発も起こった。

フリッツ氏は、こうした複雑な福島原発事故の経過をわかりやすい言葉で非常に簡単に伝えた後、事故現場の作業の進展状況の記述に移る。

現在福島原発では毎日6000人の労働者が働いており、日本最大の、そして最もコスト高な工事現場となっている。そうした状況は今後何十年も変わらないだろう。「我々は4つの問題と闘っています。敷地内の放射線量を下げること、流れ込む地下水をストップすること、使用済み核燃料を取り出すこと、原子炉内の溶融物質を取り出すことの4つです」と岡村氏は語る。しかし、作業はなかなか進まない。

 1号機では今、崩れ落ちた屋根の周りに足場が設けられ、片付け作業が行われているが、その瓦礫が完全に取り除かれるまでには、まだ4年もかかる。そうなって初めて400本の使用済み燃料棒を、冷却プールから取り出すことができるという。その隣の2号機では新しい金属製の足場の上を白い防護服を着た作業員が行ったり来たりしているのが見えるが、その壁の後ろでは、放射能の地獄が荒れ狂っているという。

今年1月に長さ11メートルの竿の先につけられたカメラが原子炉内部に差し込まれ、溶融した燃料棒が流れだし、圧力容器内の作業デッキの上に黒い塊になっているのを発見した。「本来なら作業デッキに人間が入ることができるはずだが、今ここの放射線量は、致死量に達している」と岡村氏。溶けた燃料棒の熱い溶融物が、厚さ2メートルのコンクリートの防御壁の中に60センチも入り込んだと見られるという。

 3号機の屋根は水素爆発によって、曲がりくねった金属の塊に変形したが、この金属の塊はこれまでの作業によって取り除かれ、その下の瓦礫も片付けられた。表面的には1番作業が進展しているように見えるのは、3号機である。

「ここに新しい屋根を作ります」と岡村氏は誇らしげに話す。来年からようやく溶融した約600本の燃料棒の取り出し作業を開始することができるようになったが、4号機とは異なり、取り出し作業は遠隔操作で行わなければならない。放射能汚染がひどいので、そこでは人間は数分間しか働けないからだという。そのために取り出し作業計画はすでに数年遅れている。

フリッツ氏が最後に紹介されたのは、氷の壁のコントロールセンターだった。原子炉周辺の土地を半径1.4キロにわたって深さ30メートルまで凍らせたため、それ以来原子炉の底に流れ込む地下水の量がかなり減ったという。流れ込んだ地下水が放射性濃度の高い原子炉内の水と混じると汚染水の量がふえて行く。その地下水が減ったのは朗報だが、しかし、これまでのところ、この氷の壁も完全には地下水の流入を防いでいないという。こうした事故現場を訪れ、作業がいかに困難かを知った訪問者は、原発事故現場の解体作業に関する楽観的な公式見解に疑問を持つだろう。フリッツ氏のルポは次のような言葉で終わっている。

現場での困難な状況にもかかわらず、日本政府と東京電力は今年の夏までに溶融した核燃料棒の取り出し方法を決める意向だという。福島原子力発電所の内田俊志所長は、その計画を疑問視していることを隠そうとはしなかった。「ロボットやカメラは確かに貴重な映像をもたらしました。しかし、事故を起こした原子炉内部で本当に何が起こっているか、今なお、はっきりわからないのです」と内田氏は語ったのだ。

〈関連リンク
ドイチェ・ヴェレ記事「Die Illusion von Normalität in Fukushima」(ドイツ語版)
ドイチェ・ヴェレ記事「The illusion of normality at Fukushima」(英語版)

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