津波被害者を描いた映画「先祖になる」、ドイツ在住者はどう見たか?

みーこ / 2013年2月24日

映画祭で喝采を浴びた池谷薫監督

今年のベルリン映画祭のフォーラム部門に招待された日本映画「先祖になる」(池谷薫監督)を見た。これは、東日本大震災の被災地で生きる77歳の男性の被災後の生活を追ったドキュメンタリーである。ベルリン映画祭で好評を得たこの映画について、上映後の監督と観客の質疑応答の様子や一緒に見た人の感想を交えながら、紹介したい。


強い意志を持って生きる一人の男性の姿

「おはようございまーす! 今日もよろしくお願いしまーす!」とメガホンをつかんで元気に叫ぶ年輩の男性の姿でこの映画は始まる。カメラがゆっくりと移動し、瓦礫の山が映し出される。ここは岩手県陸前高田市。津波被害がとりわけ大きかった場所の一つだ。男性が叫んだ先には、取り残された家が何軒か並ぶ。そちらからも、「よろしくお願いしまーす!」と声が帰ってくる。震災から39日目という字幕が出る。2011年の4月半ばだ。東北もようやく温かくなってきた頃だろう。

この男性は佐藤直志さん、77歳。陸前高田で農林業を営んでいる。消防団員だった30代の息子を津波で亡くし、家も崩れかけている。しかし直志さんは、仮設住宅に入ってはどうかという周囲の勧めを拒み、あくまで農民、木こりとしての生活を続けると宣言し、実行する。田んぼが津波に浸かってしまったなら別のところに田んぼを借りればいい。家が崩れかけているなら、また建て直せばいい。自分で切り出した木を使って、新しい家を今まで住んでいたところに建て直すのが、直志さんの夢だ。カメラは1年6か月かけて、直志さんの生活を丹念に追う。チェーンソーで木を切り倒す、田植えをする、町内会で家の再建という自分の夢を語る……。強い意志を感じさせつつもユーモアを忘れない直志さんの人柄の魅力が伝わるドキュメンタリーだった。

ベルリン映画祭での反応は?

外国で日本映画を見るというのは面白い体験だ。自分が映画からなにがしかの印象を受け取るのと同時に、「周囲のドイツ人はどう感じているのだろう?」と考えながら、映画を見ることになる。この日も周りの反応を気にしながら見ていたのだが、映画の評判は上々だった。最後のクレジットが流れる間、長い拍手が鳴りやまなかった。

上映後に、監督と観客の質疑応答がおこなわれたのだが、私はドイツ人観客(ベルリン映画祭は国際的なので、観客はドイツ人とは限らないが)からどんな質問が出るのか興味津々だった。ドイツは日本の震災をきっかけに脱原発へと舵を切った国だ。津波よりも原発被害のほうに注目が集まっており、「日本の震災=フクシマの原発被害」という印象を持っている人も多い。福島県と陸前高田の位置関係もよくわかっていないだろう。となると、原発関係の質問が出るのではないだろうか? 例えば、「この映画の舞台となった場所の放射能汚染はどの程度なのか? 住んでいて大丈夫なのか? 政府の見解はどうなのか?」とか、「日本人は直志さんのように、みんな故郷を大切にしているのか? であれば、なぜ危険な原発を作ってしまったのか?」とか。

が、私の予想は外れた。質疑応答で当てられた数人(うち一人は日本人)はみんな「素晴らしい映画をありがとう。被災地で力強く生きる人のことを知ることができてよかった」とお礼を述べ、原発とはあまり関係ない質問をした。原発関連の発言は、一人、「ドイツに住んでいると、技術が発達した国、ロボット、東電、フクシマといったイメージで日本が語られることが多いが、このような地方の暮らしぶりや精神性や宗教的行事などを知ることができてよかった」と述べた人がいたくらいだろうか。ドイツ人は、私が思うほどは放射能や原発のことを気にしていないのだろうか? それとも、直志さんの人間的魅力に敬意を表して、あえて言わないようにした? あるいは、たまたまだろうか?

放射能汚染が気になる人も…

さて、映画が終わったあと、一緒に見た日本人と感想を話し合ったのだが、これもなかなか面白いやり取りとなった。実家が阪神大震災の被害に遭ったMさんは「瓦礫のシーンを見てそのときのことを思い出した」と言っていた。ドイツ在住歴40年になる70代の女性Hさんの感想には、実は少し驚かされた。Hさんは「とても感動した。放射能汚染を覚悟で先祖の地に残りたいと考える人の気持ちがやっと分かった。今までは『危険なのに、どうして安全地帯に疎開しないのか分からない』と思っていたけど、そんなふうに考えるのは失礼だった。安全なドイツに住む私の奢りだった」と語った。岩手県の陸前高田がひどく放射能汚染されているという認識を持っていなかった私は、Hさんがそこまで放射能問題を広域的に考えているということに驚いた。しかしMさんも「映画に出てきた直志さんの生活ぶりを見ていると、テレビやラジオなんかの既存メディアに頼ってましたよね。既存メディアは、放射能について都合のいいことしか言わないから、ちゃんと正確な情報を仕入れられているのかな……」と心配しているようだった。

同じ映画を見に行ったベルリン在住の日本人からもその後いくつかメールをもらったのだが、直志さんの生き方に感銘を受けつつも、この映画が原発事故や放射能汚染についてまったく触れていないことに違和感を抱いた人も多かったようだ。また、翌日の上映後の質疑応答では、原発事故への言及がないことへの疑問を監督にぶつけた人もいたのだという。日によって観客の反応に違いがあるというのは、面白いものだなと思った。

さて、ここまで読んで、陸前高田の正確な位置と放射能汚染度合いが気になり始めた人がいるかもしれない。そういう人には、この地図が参考になると思う。(pdf形式の地図が開きます。)

故郷で暮らすこと、国を離れること

私の感想はと言うと、この映画自体、直志さんの生き方自体は素晴らしいと思った。しかし、映画を見たドイツ人や日本人が、「先祖の地で土着の風習や伝統を守りながら生きていきたい」という陸前高田の人たちの気持ちを、まるで田舎の日本人の普遍的な感情であるかのようにとらえていることには異を唱えたくなった。というのは、私自身、田舎の出身で、土着意識や伝統には、個人を押しつぶす因習や同調圧力もあることを実感しているからだ。感動的なドキュメンタリーを見たあとに我ながら無粋な感想ではあるが、こんなふうに感動をあえて「中和」させないといけないほど、力強い映画だったということである。

自分が見聞きした範囲で、ベルリン在住者の感想をいくつか拾ってみた。ドイツに限らず、海外在住者の多くは、人生のある時点で「海外に引っ越す」という決断をし実行した経験を持つ。だから、故郷で暮らすことをテーマにしたこの作品は、海外在住者と日本在住者ではとらえ方が違うかもしれない。映画は、日本でも2月半ばに公開され、順調なスタートを切っていると聞く。日本在住の人は映画をどう見るのだろうか。

なお、この映画は、ベルリン映画祭でエキュメニカル賞の特別奨励賞(Special Mention)を受賞した。エキュメニカル賞とは、キリスト教関係者の審査員が選ぶ賞である。映画の中には、神棚、神社、上棟式など、神道や仏教に関わるシーンが頻出していたが、そういう映画にキリスト教関係者が賞を与えるということに、私はキリスト教の寛容さを感じ、面白く思った。

関連リンク:

「先祖になる」オフィシャルウェブサイト

「明日うらしま」(在ベルリンジャーナリスト・梶村太一郎さんによる詳しいレポート)

12 Responses to 津波被害者を描いた映画「先祖になる」、ドイツ在住者はどう見たか?

  1. みーこ says:

    記事の最後にリンクした「明日うらしま」の梶村太一郎さんから、次のようなメールをいただきました。
    メールでやり取りをするよりは、ウェブサイトのコメント欄にアップして、記事読者にも読んでもらいたい
    内容だと思ったので、御本人の了解を得て、こちらに引用します。
    そのあとで、私からのお返事を改めて書きます。

    (梶村太一郎さんのメール引用)
    ちょっと気になったのは、陸前高田の放射線値が高いと思い込んでいる方の
    ご意見がありましたが、同地の値はそんなに高いものではありません。
    確かに事故直後には一時的に放射線値が高くなった時期もあったようで、
    そのため同市による測定値では今でもいくつかホットスポットもあるようですが、そこは除染されています。
    同地に住むにさいして最も注意すべきは食物で、これは東京でも同じです。

    映画に出てくる同市の気仙地区はドイツの平均値ほどです。
    ドイツもライン川沿岸や南部山沿いではかなり高いところがあります。岩盤のせいです。
    ドイツは平均でいわゆる自然放射能Hintergrundstrahlungswertは日本の1.5倍から2.0倍あります。
    以下を参照して下さい。

    ドイツ放射線値について:
    http://tkajimura.blogspot.de/2011/08/blog-post_03.html
    http://odlinfo.bfs.de/index.php

    陸前高田市の放射線値:
    http://www.city.rikuzentakata.iwate.jp/kategorie/kurashi/housyanou/housyanou.html

    日本全国の放射線値:
    http://new.atmc.jp/

  2. みーこ says:

    梶村さま

    放射能情報ありがとうございました。

    私自身も、陸前高田の放射能が引っ越ししなければならないほど高いものだとは思っていません。
    (それで、記事の中でも参考のために、放射能汚染マップへリンクをはりました。
    が、実は、最初に記事をアップしたとき、うまくリンクがはれていなかったようで、本日もう一度
    はり直しました。昨日地図を開こうとしてエラーが出た方は、もう一度クリックしてみてください。)

    ただ、ドイツのように遠くに住んでいる人の中には、津波被害と原発被害をあまり区別せず、
    「東北全体、放射能でやられて危険だ」というとらえ方をする人もいるようです。
    また、記事にも書きましたが、「原発に言及せず震災を語るなどありえない」というとらえ方を
    するドイツ在住者もいるようです。

    このあたりの温度差を、私は興味深く見ています。
    私自身は、ドイツに来て日が浅いので(と言っても3年ちょっと経っていますが)、
    震災や原発をどうとらえるかについては、ドイツ在住の日本人(放射能について厳しい見方をしている人が多い)と
    日本在住の日本人(放射能についてはそこまで心配しておらず、「東北を応援していこうよ!」と思っている)
    の間に立っているような気がして、両方の考え方をフムフムと見ているようなところがあります。

    そんなわけで、この記事では、「ドイツ在住者の見方」を日本人に向けて日本語で示したいと思いました。
    この記事を読んだ映画関係者や東北の人が「うちの地元はそんなに汚染されてない。失礼な!」と
    感じる可能性もあり、そこは申し訳ないと思っています。

    それでも、ドイツ在住者(の一部)の感じ方を日本の人々に紹介したいと思い、書きました。
    日本国内に住む人にとっては、ズレた意見に思えるものもあるかもしれないのですが、
    「海外から見ると日本はこのように見えている(少なくとも海外の一部の人はこのように見ている)」
    ということを、日本国内の人が知ることも、日本の復興にとっては大切なことだと思うからです。

  3. 当該のMです says:

    すこし齟齬があったようなのでコメントさせて下さい。

    「陸前高田の放射線値が高いと思い込んでいる方のご意見がありましたが」
    と梶村さんはコメントされたようですが、少なくとも私の疑問の焦点は、陸前高田の放射線値が高さ云々ではありません。みーこさんが記事に書いたとおり
    「映画に出てきた直志さんの生活ぶりを見ていると、テレビやラジオなんかの既存メディアに頼ってましたよね。既存メディアは、放射能について都合のいいことしか言わないから、ちゃんと正確な情報を仕入れられているのかな……」
    というように、「(主に)直志さん触れている情報の質を気にしている」ということです。

    ご理解頂けると思いますが、そもそも原発で事故が起きなければこの様な疑問は持ちません。
    76歳のおじいさんの行動力にただただ感銘を受けた、映画を見て単純にそう思えたでしょう。

    しかしご存知のように福島の原発事故は未だ収束していません。原子炉や建屋が崩壊し放射能が更に広がる最悪のシナリオが現実となる可能性はまだまだ全然ゼロではない、両手ばなしに安心は出来ない、そう考えます。更に言うと「津波被害と原発被害をあまり区別」していないのではなく、今も続く原発被害の事だけを心配しています。3.11がもたらした災害が地震や津波のみであれば、時間と予算さえ掛ければいずれは復興できるだろう、そう楽観的にいられたと思います。

    また放射線量については、直志さんがこの先の人生を全うされる分には問題ない程度の被爆量だろうな、とは思います。
    でも陸前高田でこの先人生の大半を過ごす、子供や若者にとってはどうでしょうか?
    外部被爆のみならず、内部被爆を避けれるだけの十分な食料供給網が彼の地では確保されているでしょうか?
    # そうであれば、その事実は大々的に報道されるべきです(!)

    そして「除染されている」とのことですが、個人的にはあんまり除染の成果は信用しておりません。
    なので、この件に関しては何とも言えないです。

    以上の様な理由から、原発事故の現場から少しでも離れた方が良い、僕はそう思っています。
    それに対して、この映画の見せてくれた現実は、人間としての尊厳を保つ為に、人生を全うする上で何処で生きるかを選択する、という今までの自分の想像の範囲とはまた違った問いかけでした。それゆえこの映画は、深い感銘をもたらしたと同時に、一つ倫理的な疑問を自分の中に残しました。

    以上、乱文失礼いたしました。

  4. みーこ says:

    Mさま

    コメントありがとうございます。
    そうですね、福島の原発事故がさらにひどくなる可能性は、私もいつも考えています。
    福島の原子炉は安定していないうえに、東日本の太平洋岸ではよく地震が起こっていますからね。
    (今日も、栃木で震度6の地震があったというニュースを聞き、ドイツにいながらにしてひやっと
    しました。)

    Mさんがおっしゃる「原発事故の現場から少しでも離れた方が良い」というのは、
    基本的には同意見です。
    でも、自分がとるべき行動パターンとしてはそれでよいとしても(まあ、実際私は現在日本国外に
    住んでいますし)、「そうできない人も多いのだろうな」と思うと、どうしたものか…
    と悩んでしまいますね。
    津波や原発で何かを失ったわけでもなく厳しい選択を迫られているわけでもない自分が、
    被災地の今後について意見を述べること自体、被災地の人を傷つけることになるのでは…
    と悩む部分もあります。

    ただ、「誰かを傷つけるのではないか」とか「面倒なやつだと思われてもイヤだし」と
    みんなが口をつぐんできた結果、日本国内に54基も原発が作られてしまったのかなと
    思う部分もあります。
    意見を表明しないことには、わかり合うことも難しいですから、やっぱり、気を使いつつも、
    言葉を発することから始めないといけないのかなあと、最近思います。

    (Mさんへのお返事というより、コメントを読んで思ったことを、つらつら書いてみました。)

  5. Pingback: 第63回ベルリン国際映画祭 | みどりの1kWh

  6. さっちゃん says:

    もしこの映画を、日本に住む日本人として、数ある震災ドキュメンタリーのひとつとして見たとしたなら、違和感はなかったかもしれません。

    今回は、国際映画祭の出品作品だったので、期待が大きかっただけに、がっかりもしました。ですから意地悪なことを書きます。

    正直言って、一番すごいなと思ったのは、映像や音響の技術でした。最近は性能いいんだなあ、と。
    あの震災を生き抜いた人びとを、至近距離でとてもリアルに捕らえていたと思います。

    直志さんの生命力に驚かない人もいないでしょう。
    でも、テーマは、直志さんの周辺で終わってしまいました。

    日本を外からみて、震災のことを思うと、やはり原発事故のこと、環境のこと、残された子孫のこれからのことに思いをはせます。あまりにもこのことが重すぎるので、ご老人一人のことで終わった映画は物足りなかったです。それだけのことが伝えたいのであったら、上映時間が長すぎたと思います。例えば木を切るシーンを延々と何度も見ないといけませんでした。長すぎました。宗教の儀式の場面も退屈でした。真言宗はいわば、日本の在来仏教の宗派のなかでも、特殊なので、(霊の存在、輪廻転生などに触れる)私など、付いていけない人もいるのではないかと思います。日本の心の代表とするべきではないでしょう。なぜ、そんなに先祖にこだわるのか。日本で一番広く行き渡っている浄土真宗では、本来先祖供養は重要とはしていません。人間は、先祖より、子孫のことを考えたほうがいいと思っている日本人は多いと思います。

    また、津波が来るところになぜ、また根をおろすのでしょうか。この点は、直志さんの奥さんの意見が収録されていて、よかったですが、それでも、あまりにも、男たちの雄叫びのようなもので、「残る」ことが、美化しすぎてたようです。あまり美化されると、かえって懐疑心がもたげてきます。日本全体が、原発があったにもかかわらず、こんな調子で、いいところだけ見させられて美化されてしまうのではないか、、、そんな悪い予感だけが、残りました。

  7. さっちゃん says:

    すみません。上記の訂正です。かっこの場所を付け間違えて、誤解があるかもしれません。「真言宗」が、霊の存在に触れるのであって、「私」が霊の存在に触れているのでは、ありません。私は、霊を、信じている者ではありません。

  8. みーこ says:

    さっちゃんさん

    考えさせるコメントありがとうございます。
    そうですね、日本の震災を機に脱原発へと舵を切ったドイツに住んでいる身としては、
    震災を描きながら原発の話が出てこないことに違和感を覚えるという意見はわかります。

    ただ、東北に家族を持つ知人の話によると、「苦難を体験したがゆえに、現地では連帯感が
    高まっていて、ここでがんばってやっていこう!という機運が高まっている」との
    ことでした。
    だから、映画に描かれていたような感情も現地の一つのリアリティーなのだと思いました。

    ドイツ在住者的な見方(原発について危惧している人が多い)と被災地の人のリアリティーを
    うまくつなげられないかな…ということを、震災以来よく考えます。
    日本在住・海外在住、反原発・原発推進、都会暮らし・田舎暮らしといったことを問わず、
    みんな、故郷や家族や友人を大切にして健康で豊かに楽しく暮らしたいというのは、
    共通の望みのはずですから。

  9. さっちゃん says:

    そうですね。でも、この映画は家族愛を描いていたわけでもありません。先祖は大切にしても、奥さんの当然と思われる不安は無視でした。この映画では、家族愛より、男のロマンがテーマだったのだと思います。男たちの決意みたいなものが描かれていたようです。子持ちの母の言葉とかは出てきませんでした。男たちのロマンを果たしたとしても、子孫がまた津波に襲われてしまうじゃないか、、、てなことばかり、私は考えて、落ち着きませんでした。日本の東北で、この映画を見たとしても、この点は変わらなかったでしょう。

  10. みーこ says:

    さっちゃんさま
    「男のロマンがテーマ」とは言い得て妙ですね!
    七夕祭りで若者たちが高揚するシーンも、ちょっとそういうものを感じました。
    マッチョなものがあまり好きではない私としては、実はちょっと居心地が悪かったです。
    直志さんと別れて一人で避難所に行くことについて「私、今が人生で一番自由!」って
    言い切った奥さんは、何だかすがすがしかったですね。
    知人の男性が「いい映画だったけど、奥さんと別れちゃったのが悲しかったなあ…」と
    言っていましたが、私は実は「いやいや、あれはハッピーエンドなのよ!」と思っていました。

  11. さっちゃん says:

    そうです。マッチョな視点で撮られてましたよね。そこが引っかかりの原因です。監督は一人の人間を撮ればよかったのかもしれませんし、マッチョ美学というのものがあるのかもしれませんが、国際映画祭に出る映画にしては、偏っていたと思います。

    ドイツで見たから、そういう感想を持ったのでは決してありません。今の時代の日本の代表作として、期待して見たから、がっかりしたのです。マッチョ精神は時代を逆行するばかりで、今の日本の問題を解決することなど出来ないと思います。

  12. みーこ says:

    さっちゃんさま

    一人の人の生き方を描いた映画としてはよくても、
    国際映画祭に出品される現代日本の代表作としては、どうかな…?
    ということですね。

    映画は時代を映す鏡だと言われますから、震災を経た日本で、
    今後どんな映画が作られていくのか、注目していきたいと思います。