ベイルートとパリ − テロに対するベルリンの宗教団体による共同声明

あや / 2015年12月6日

ベイルートとパリで陰惨なテロ事件が起きた後数日して、私は調査の関係でベルリン市庁舎に足を運んだ。この日集まったのは、主にベルリンの宗教界の面々。難民をめぐる問題に関して、宗教界がどのような形で社会に貢献することができるのかをテーマに会議が開かれた。

会場に入って最初に目に飛び込んで来たのは、スクリーンに大きく映し出された夜の写真。青白赤、フランス国旗の色が投射されたブランデンブルグ門の前に人々が集まっている写真だ。

会議は、テロの犠牲になった人々への黙祷から始まった。会場に集まったおよそ120人の人たちは、先のブランデンブルグ門の写真を前に厳粛な面持ちで直立している。まるで時間が止まったかのような静寂だった。

会議の進行予定など事務的なことの説明がなされた後、パリで起こったテロ事件に対するベルリン宗教界の共同声明文を議決する段となった。会議のコーディネーターは、事前に配布した草稿に何か修正する必要があると思われる箇所はないか、と参加者に尋ねた。すると、席上からどんどん手があがっていく。コーディネーターがそれぞれの意見をメモする暇がないほどの勢いだった。

この時あがった意見の中で特に印象的だったのは、草稿の第一文に関しての修正意見だ。この第一文には、「パリで起こった嫌悪すべきテロ行為、および世界のいたる所で神の名の下にふるわれるあらゆる暴力を非難する」と綴られていたのだが、修正意見は、パリだけが特別に言及されていることを問題にした。パリの同時多発テロの前日、レバノンのベイルートでも爆弾テロが起こり、43人の市民が命を落とし、239人が負傷した。それだけではない、中東では同じようなことが日常的に起こっているのに、どうしてそのことには言及しないのか、と問うたのである。

スロヴェニアの哲学者、スラヴォイ・ジジェクは、11月19日付けの週刊紙「Die Zeit」に寄せた記事で、「パリのテロや大挙して押し寄せる難民の波は、私たちがいる安全な場所の外にある暴力の世界のことを束の間思い起こさせる。普段であれば、その世界は、遠方の暴力が支配する国々に関するテレビのニュースという形で、つまり私たちの現実には属さないものとして、私たちの前に現れ出る」と書いている。思い起こせば、2001年9月11日にニューヨークで起こった同時多発テロの折もそうであったが、陰惨なテロ行為によって、私たちがはじめて、紛争国と自分たちの日常世界との間が実は「つながっている」ことを本当の意味で意識するというのは、なんとも皮肉である。

学校へ通ったり、買い物をしたり、家族とささやかな食卓を囲んだり、そういうありふれた日常が、一瞬のうちに崩れ去ってしまう。そういうことが、ある日突然自分の身に降り掛かってくるかもしれないという差し迫った恐怖と隣り合わせで生きている人たちについて、私たちはもっと自分の身にひきつけて考えてみなければならない。少しでも安全な場所で暮らしたいという切実な想いについて、もっと考えてみなければならない。

パリ同時多発テロ以降、オランド大統領は「フランスは戦争状態にある」としてシリアでの空爆を強化している。イギリスも、12月3日から空爆を開始。ドイツは、空爆には参加しないものの、フランスからの強い要望を受けて、対ISの軍事作戦に参加することを連邦議会が承認した。

各国の足並みが「テロとの戦い」に向けて次第に揃って行く。しかし、私には空爆が本当に今起こっている問題の解決につながるとはどうにも思えない。辛うじて現地で生活している人たちをさらなる恐怖の底へ突き落とすことにはならないか。そうして、受け入れられる確証もないまま、難民にならざるを得ない人たちを無限に増やしていくことにはならないか。中東研究者の酒井啓子のコラムの言葉を以下に引用したい。

「テロとの戦いで国際社会は一致するというならば、その被害者すべてに対して、共鳴と連帯の手を差し伸べるべきではないのか。そうではなくとも、まずシリアやイラクやレバノンで紛争の被害にあっている人たちに対して、被害者だとみなすことが大事ではないのか。もっといえば、自分たちの国の決定によって被害者になる人たちがいることに、目をつぶらないでいる必要があるのではないのか」

ちなみに、先述のベルリン宗教界の共同声明文は、すべての参加者の賛同を得て「とりわけパリとベイルートで起こったテロに際し、私たちは世界のいたる所で神の名の下にふるわれるあらゆる暴力を非難する」と修正された。

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