新風を巻き起こした緑の党初の女性連邦首相候補
今年秋の連邦議会選挙に向けて、ドイツの緑の党が男女の共同党首のうち、どちらを連邦首相候補に選ぶか、注目を集めてきたが、4月19日、同党は女性のアナレーナ・ベアボック共同党首を連邦首相候補に決定したと発表した。緑の党が連邦首相候補を出すのは、同党の40年の歴史で初めてのことで、女性である点と40歳という若さが新鮮な印象を与えた。緑の党は、この時点での世論調査では保守の政権与党に続いて第2党の地位を占めていたが、最近ますます支持率を高めており、メルケル首相の後継者に女性が再び選ばれる可能性も現実味を帯びてきた。翌4月20日のドイツの新聞のほとんどは一面トップにアナレーナ・ベアボック氏の写真を載せ、大きな記事を掲載した。その新聞論調を中心にお伝えする。
連邦首相候補を発表すると予告していた4月19日の午前11時、緑の党の共同党首は二人揃って記者会見の場に現れたが、口火を切ったのはローベルト・ハーベック共同党首(51歳)で、「二人で話し合った結果、アナレーナ・ベアボックを連邦首相候補に指名することが決まった。自分も首相候補になる気持ちはあったが、一人しかなれないので、退くことにした」と発表した。「彼女はファイトがあり、意思が強く、集中力もある。緑の党の環境重視の政策実現に情熱を抱いている」などと語ったハーベック氏は、「今や舞台は君のもの」という言葉を残して姿を消した。この時点ではメルケル首相のもとで16年間政権を担当してきたキリスト教民主同盟(CDU)とその姉妹政党のキリスト教社会同盟(CSU)が連邦首相候補を巡って、激しい対立状況にあったこともあって、争いもなく、話し合いで首相候補をすんなり決めた緑の党が爽やかな印象を残し、この点も大きな反響を呼んだ。首相候補に決まったベアボック氏は、9月に行われる連邦議会選挙を目指す選挙戦は、ハーベック氏とともに闘うことも強調した。ベアボック氏が正式に連邦首相候補に選出されるのは、6月11日から13日に予定されている同党の党大会まで待たなければならないが、一般党員の間で人気のあるベアボック氏が選出されるのは、間違いないと見られている。
アナレーナ・ベアボック氏は、1980年旧西ドイツのハノーファーで生まれ、8歳の時にベルリンの壁崩壊を経験している。16歳の時に交換留学生としてアメリカのフロリダに滞在、その後ハンブルクの大学とロンドン・スクール・オブ・エコノミックスで政治学や国際法を学んでいる。学生時代に新聞記者として働いたこともあり、2005年から2008年までは欧州議会の緑の党の女性議員の議員事務所の責任者を務めた。この女性議員はある新聞とのインタビューで、「当時から彼女は飲み込みが早く、優秀だった」と絶讃している。ベアボック氏が緑の党に入党したのは2005年のことで、2013年以降、連邦議会議員、2018年以降はハーベック氏と共に緑の党の共同党首を務めている。
当初は北部シュレスヴィッヒ・ホルシュタイン州の環境・農業相兼州副首相を務めたハーベック氏の方が人気が高く、彼女はほぼ無名だったが、その後めきめきと実力を発揮し、その差を縮めてきていた。彼女は西側出身ながら、現在は東部ブランデンブルク州の州都ポツダムに家族とともに住んでいる。2009年から2013年まで同州の緑の党代表を務め、東西ドイツの政情に通じている点も評価されている。10歳と6歳の女児の母親でもある。彼女がトランポリンの選手だったことは、今回初めて知った。彼女の連邦首相候補指名に、メルケル首相が早々とお祝いの言葉を述べたと伝えられる。メルケル首相とベアボック氏が仲がいいことも、私は今回初めて知った。二人の間には、物事を掘り下げて考え、事実に基づく決定を下すという共通点があるとも言われる。
連邦首相候補に指名されたベアボック氏は、首相候補としての最初のスピーチとその後の記者会見で、歯切れよく自らの考えを表明し、好印象を与えた。彼女が特に強調したことは、「民主主義には変化が必要で、ドイツは新たなスタートを必要としている」、「緊急を要する気候変動に対処するためには、経済を含めた、全ての分野での真のイノベーションが必要だ」ということなどだった。彼女が「ドイツにはとてつもない能力が潜んでいます。ドイツ人は自動車や自転車を発明しました。また大変な速さでワクチンも開発しました」と言ったのも、印象に残った。言い方によっては傲慢に聞こえる言葉も、ドイツ人に新しいことを始める勇気を持とうと励ます意味で言ったのだと素直に受け取れたから、不思議である。
彼女の弱点として批判される政権与党としての経験がないということについて、彼女自身は次のように語っている。
確かに私はこれまでに連邦首相だったこともなければ、閣僚であったこともありません。しかし、私は他の人が持っていない、ヨーロッパに根ざした国際法の知識を持っています。私は新たな変革を目指して連邦首相に立候補しました。経験に裏打ちされた現状維持は、他の人に任せます。地球温暖化を防ぐためには、すべての人を巻き込んだ社会全体の改革が必要で、その実現を目指すことが私の世代の使命です。
自分の弱点を巧みに自分の強みに結びつけた主張と言えなくもないが、ドイツの16州のうち唯一緑の党の州首相であるバーデン・ヴュルテンベルク州のヴィンフリート・クレッチュマン州首相は、「自分が2011年に州首相に就任した時も、政権担当者としての経験は全くなかった。それでもなんとかうまくやれていると思うから、経験がなくても学ぶ能力さえあれば大丈夫」と励ます。知らないことがあると徹底的に調べたり、学んだりする能力が彼女にあることは、証明済みである。
ベアボック氏が緑の党の連邦首相候補に指名される可能性は、ある程度予想されていたものの、実際にそうなると、やはり、一種の衝撃的な出来事と受け止められた。以下にドイツの新聞論調の幾つかを紹介する。
「緑の人たちは、この記憶すべき日に多くの発泡酒の栓を抜いたに違いない」と書いているのは南ドイツ・バイエルン州のヴァイデンで発行されている新聞「デア・ノイエ・ターク」で、次のように続ける。
これは政権与党になる可能性が生まれたための興奮で、緑の党はこれからの数ヶ月間、その実現を目指して邁進するだろう。アナレーナ・ベアボックの連邦首相候補指名によって、緑の党は全ての点で見事な一撃に成功した。少しも波風を立てず、これほど調和的に、一致団結して首相候補を選ぶことができたのだ。これ以上のハーモニーはあり得ない。CDU・CSUの連邦首相候補をめぐる争いが、ますます狂気の沙汰を帯びているのを横目に、さらに多くの発泡酒が飲まれたかもしれない。ゼーダー氏(CSU) とラシェット氏(CDU)の間の権力闘争がどういう結果になろうと、両同盟からは真の勝利者は、もはや生まれないだろう。
その後、ノルトラインヴェストファーレン州首相のラシェット氏がかろうじてCDU・CSUの連邦首相候補に選ばれたが、両者の支持者を巻き込んだ深刻な争いのマイナスの影響は避けられそうにない。
「アナレーナ・ベアボック共同党首は緑の党にとって、まさにうってつけの連邦首相候補だ」と見るのは、南西ドイツ、バーデン・ヴュルテンベルク州ロイトリンゲンの新聞「ロイトリンガー・ゲネラル・アンツァイガー」だ。
確かに彼女には実際に政権に参加した経験はないかもしれない。しかし、彼女はライバル政党の首相候補者たちとは完全に対局的な人間的特徴を持っている。まずは若い。専門知識があり、家族を持つ女性である。最近数ヶ月の間、彼女はハーベック共同党首の影から、抜け出すことに成功した。彼女はいわゆる「クォーター制」によって選ばれた女性とは言えないが、それでも彼女が連邦首相候補に指名されたのは、50%の「クォーター制」を実現している緑の党だからである。有能な女性が高い権限を持つ地位を目指す場合に、「クォーター制」が役立つことが、今回またもや実証された。
北西部のミュンスターの新聞「ディー・ヴェストフェーリッシェン・ナーハリヒテン」は次のように書く。
フェミニズムを掲げる緑の党のような政党が、深刻な事態に直面して男性を首相候補に選んだとしたら、人々の納得は得られなかっただろう。野心的なベアボック氏は、二列目のアリバイ女性ではない。二人の子供の母親である彼女は自分の市場価値を知っている。彼女は新鮮で、勇気があり、専門的知識があり、緑の党の新しい現実的な世代を体現している。緑の党の古い世代の原理派と現実派との対立は、大きな目標を達成するためには時間の無駄だと考えている新しい世代を彼女は代表しているのだ。
ドイツ西部のフランクフルトで発行されている全国新聞「フランクフルター・アルゲマイネ」の社説のタイトルは「緑の魔法使いの女性」というものだ。
緑の党は良い選択を行った。もっとも、それ以外の選択はなかったとも言える。(男女同権を旗印に掲げる)緑の党が、ほとんど同じ能力のある二人のうち、男性を連邦首相候補に選んだとしたら、歴史の皮肉と言わざるを得なかった。しかし、アナレーナ・ベーアボック 氏は、現在の女性首相の後継者に緑の党の女性首相を実現させるという目標のためだけに、男性共同党首のハーベック氏を制して、首相候補に選ばれたのではない。彼女は彼よりも間違いをすることがより少なく、東部ドイツでの経験もあり、メディアにも愛されている。しかし、彼が持っていて、彼女に欠けているもの、それは政府の閣僚としての経験だ。この点が他の党の首相候補との競争を難しいものにするだろう。(略)しかし、緑の党が最初の連邦首相候補を選出したのは、同党に内在する「魔法」の始まりに過ぎない。緑の党がさらに「魔法」の力を発揮するためには、連邦議会選挙でCDU・CSUに勝たなければならない。そうでないと、魔力も早々と消え失せて、独りよがりの馬鹿騒ぎに過ぎなくなる。
「彼女以外に誰がそんな勇気があるだろうか?」という見出しの社説は、ベルリンの新聞「デア・ターゲスシュピーゲル」のものだ。
緑の党の歴史上初めて、連邦首相選出の可能性が手の届くところまで来た。全てが歴史的な出来事だと言える。まず第1に(反抗的な若者の党だった)緑の党が大人の政党になったこと、第2に連邦首相候補が女性であること、つまり女性首相の後にまた女性首相が誕生する可能性が出てきたこと、第3に新しい世代が古いベビーブーム世代から政権を奪おうとしていることなどなど。アナレーナ・ベアボック氏は単なるトップ候補ではない。彼女の連邦首相への立候補は、過去数十年の政治の革命を意味し、同時に新しい数十年の始まりを意味するのだ。(略)彼女自身、過去数十年の社会の革命的な変化の申し子である。(略)今緑の党の人たちが考えていることは、より早く、より過激な変化である。地球温暖化を防ぎ、地球の温度上昇を1,5度以下に抑えるという目標をなんとしても達成するため、経済を、公共の福利増進をともなう “循環型経済”に変えるということである。そのためにさまざまな未来の技術やデジタル分野への莫大な公共投資を要求している。もう一つは、社会政策の転換である。第一線に立ってコロナと闘う人たち、職業を持つ女性たち、一人で子供を育てる人たちなどの功績をより評価するよう求めている。これらが1980年生まれのベアボック世代の使命なのだ。彼女は政治文化そのものの改革も目指している。(略)
彼女は、これらのことをまかせたら、それができる人であろう。問題は、彼女にこれらのことをやらせるかどうかである。2021年のドイツ人がどれほど進歩的であるか、これら全ての革命を受け入れる度量があるかどうか、人々が新しいスタートを切る用意があるかどうか、である。あるいは、端的に言うならば、ドイツ人がアナレーナ・ベアボックを信頼するかどうかにかかっている。
フランクフルトで発行されている新聞「フランクフルター・ルントシャウ」も次のように書く。
アナレーナ・ベアボック氏は首相候補指名後のスピーチで、「気候変動防止策を少しばかり取っても、意味がない。やり方を根本的に変える勇気を持とう」と強調した。(略)我々は今大きな問題に直面している。気候変動、パンデミック、その結果としての社会格差の増大、極右勢力の台頭、“一般の風潮に逆らう人たち”の逸脱した行動などなど。明確なプロフィールを持った新鮮な力に、やらせてみようではないか。
緑の党の人気が近年高まってきたのには、男性の共同党首、ロバート・ハーベック氏の功績も大きいと指摘しているのは、ミュンヘンで発行されている全国紙「南ドイツ新聞」の「緑の実験」という見出しの社説である。
原理派と現実派に分裂していた緑の党をどうしたら一つにまとめることができるかを、彼は北部シュレスヴィッヒ・ホルシュタイン州で実証した。同州の環境・農業相として、ハーベック氏は緑の党の理想と農家や酪農家、漁業関係者が現実に直面する問題との間に橋をかけることに成功したのだ。問題の当事者たちと話し合い、緑の党の路線に沿った解決策を共に見出す努力を重ねた。彼の魅力は、その笑顔にあるだけではない。立場の違う人の間を話し合いによって結びつける能力もその一つだ。同州の農業連盟は彼の政策をいつも気に入っていたわけではないが、徐々に彼に信頼を寄せるようになった。これは彼の州政府の閣僚としての功績であった。べアボック氏の実験が成功するかどうかは、ハーベック氏の今後の行動にもかかっている
ベアボック氏が掲げる政治が実現する可能性について疑問を投げかけるのは、東部ドイツのケムニッツで発行されている新聞「ディー・フライエ・プレッセ」だ。
緑の党が目指す教育制度や気候変動政策の改革を、一体誰がやるというのだろうか。今でさえ約20万人の公務員が不足しているのが実情である。資金を用意しても、投資できなければ、何の役にも立たない。緑の党の提案する財産税の導入も、人手不足で失敗するだろう。憲法に違反しない形で、財産税の導入を図るためには、財務行政部門で多くの新しい人材を必要とするからである。
一方、全く別の観点から論じているのは、デュッセルドルフで発行されている経済新聞「ハンデルスブラット」だ。
「緑の党は経済界にとっては恐怖」、保守主義者や自由民主党(FDP)支持者は、これからの連邦議会選挙をめぐる選挙戦で、このように非難する誘惑にかられるだろう。しかし、これは正当ではない。緑の党は、もうとっくに市場経済を受け入れている。そして、それは良いことだ。しかしながら、緑の党にとっては、その政策を実現するのは簡単なことではないだろう。デジタル化促進や気候温暖化防止対策の改革などを中心とする投資を進めると同時に、経済を含む各分野で現在到達している成果を危険にさらしたくないというのであれば、それらの政策の間で、バランスを取っていくのは困難であろうと思われる。
確かに経済界や保守党支持層の間では、緑の党は「社会主義的経済を目指している」といった批判の声が高いが、緑の党の連邦首相候補にアナレーナ・ベアボック氏が選出されたこととその構造改革の提案については、経済界で意外にも賛成の声が多く聞かれるという。ベアボック氏は、緑の党の共同党首に就任して以来3年の間に経済界の要人との対話も精力的に重ねてきたと言われ、そのことも影響しているかもしれない。ベルリンの新聞「ターゲスシュピーゲル」によると、例えば家族経営企業連盟のラインホルト・フォン・エベンーヴォレー会長は「ベアボック氏はこの数ヶ月間、連邦首相候補になるための準備を素晴らしいやり方で行ってきた。彼女に連邦政府や州政府の閣僚経験がないことは、何の妨げにもならない。緑の党の彼女が連邦首相になったとしても、心配ではない。新しいことを始めるのはいいことだ」などと語っている。
緑の党は過去に1度だけ連邦政権に加わったことがある。社会民主党のゲアハルト・シュレーダー政権(1998年から2005年まで)の時で、緑の党からは男性二人が入閣した。ヨシュカ・フィシャー氏が外相に、ユルゲン・トリティン氏が環境相に就任した。その時緑の党の女性党員たちは、二人のうち一人を女性にするべきだとして座り込みまでして抗議したが、無駄だった。古くからの女性党員の中には、そのことを思い出して、感慨無量だった人もいたようだ。ベアボック氏がメルケル首相の後継者になることができるかどうかは、緑の党が、支持を減らしているCDU・CSUを追い越して、第1党になる必要があるが、首相候補決定直後に行われたある世論調査では、緑の党の支持率が28%で、21%のCDU・CSUを超えて第1党になった。ドイツ社会に漂っていた閉塞感が彼女の首相候補指名で吹き飛んだ感じも、しないではない。この高い支持率を連邦議会選挙まで維持できるかどうかが鍵になるが、たとえ第2党になったとしても緑の党の連邦政権への参加は確実である。また、連立の組み合わせによっては、第2党でもベアボック氏が首相になる可能性は残されている。ドイツは未来に向けて新しい試みを始める時期に来ているようだ。アメリカのバイデン大統領が気候変動防止に強力に動き出したことも、ベアボック首相実現に追い風となるかもしれない。
只今記事を読了致しました。メルケル首相退陣後のドイツの社会、政界がどのようになるのか心配もしながら気になっていました。が、この記事で何だか目の前が明るく開けてきた思いです。メルケル首相に続いて
ベアボック女性首相の実現を心から期待します。
それにしても、ドイツの政界、経済界、マスコミの知性の高さと層の厚さに感服するばかりです。
本当に時宜に敵った良い記事をありがとうございました。
鈴木波江
記事をお読みになって、ご感想をお寄せくださいまして、ありがとうございました。各政党とも気候変動防止策を今年の連邦議会選挙の重点策にするようですので、緑の党がどの程度伸びるかわかりませんが、40歳の女性候補が新風を巻き起こしたことは確かです。今後の動きに注目していきたいと思っています。