シェーナウの奇跡、反原発の市民運動から生まれたエコ電力供給会社 1)

永井 潤子 / 2013年4月28日

みなさんはシェーナウという言葉を耳にしたことがおありだろうか?ドイツ南西部、リゾート地として有名なシュヴァルツヴァルト(黒い森)地方の人口2500人ほどの小さな町、シェーナウは、今ではドイツ内外の環境保護派の間で知らない人がないくらい有名になった。27年前、1986年4月26日に起こった、チェルノブイリ原発事故をきっかけに反原発運動をはじめたこの町の市民たちが、今では再生可能電力のみを全国に提供する電力会社を経営するまでになったためだ。

 

シェーナウの町の人たちは、自然に恵まれた暮らしやすい町の生活に満足していたが、そこに降ってわいたのがチェルノブイリ原発事故の影響という大問題だった。放射性物質を含んだ雲は2000キロ離れたドイツにもやってきたが、特に被害が大きかったのはドイツ南部のバイエルン州やバーデン・ヴュルテンベルク州だった。シェーナウ(バーデン・ヴュルテンベルク州南部、フランスやスイスとの国境にも近い)の人たちも、牛乳が汚染されてしまったため子供に飲ませる安全なミルクがない、子供を外で遊ばせられない、庭でつくった野菜や果物が食べられないという事態に直面し、衝撃を受けた。特にお母さんたちは「国境の向こう側にはフランスの原発もある。もしそこで事故が起こったら子供たちの未来はどうなってしまうのか」と強い危機感を抱いた。シェーナウはフランスのフュッセンハイム原発から約30キロしか離れていない。

原発の危険性にめざめた母親たちを中心に「原発のない未来のための親の会」が設立され、まず「情報スタンド」を通じての情報活動が開始された。何を食べていいか、何が駄目かといった放射能から身を守るための具体的な情報発信活動と原発や電力・エネルギーに関する資料配布などが中心だった。そうした活動の中心にいたのが、5人の小さな子供の母親であるウルズラ・スラーデックさんと町の開業医である夫のミヒャエルさんだった。当時家庭の主婦だったウルズラさんは、今ではドイツ全国の13万戸以上に再生可能電力を供給しているシェーナウ電力供給会社(EWS、Die Elektrizitätswerke Schönau)の経営者である。

「原発のない未来のための親の会」は旧ソ連・キエフの子供病院に対する支援を開始し、チェルノブイリ周辺の子供たちを夏休みに保養地シェーナウに招いて、静養させた。その一方で市民たちは、原発に反対するだけではいけないと前向きな運動も開始した。そのひとつが節電キャンペーンだった。原発からの電力を少しでも減らしたいと思ったからだが、だからといって節電のために煮炊きしない冷たい食事ばかりですませたり、洗濯をしない汚れた衣服を着たりするわけにはいかない。エネルギー消費に対する個々の市民の意識を高め、暖房の使い方を適正にし、冷蔵庫や冷凍庫の使用を効率的にするだけで、かなり節電ができること、電気器具のスタンバイによる電力消費が大きいことなどがPRされ、現在の生活水準を下げずに節電するためのさまざまなアドヴァイスがなされた。賞品をめぐる楽しいイベントとして節電コンクールも実施され、町を挙げての節電競争の結果、最初の1年で町の電力消費量は10%減ったという。ブラスバンドや劇団などを動員しての楽しい節電コンクールで、その間には一般住民の環境意識、反原発の意識も高まった。

「親の会」を中心とする市民運動の次の目標は、環境に優しい電力供給を実現させることで、それには電力供給会社の協力が必要だった。ミヒャエル・スラーデックさんたちはシェーナウの電力網を所有している地域の電力供給会社「ラインフェルデン電力供給会社」(KWR、Kraftübertragungswerken Rheinfelden)に対し、3つのことを要求した。1.脱原発 2.再生可能電力の買い取り価格を引き上げること 3.料金体系を節電につながるものに変えるよう要求した。ところがこの地域での独占的な権力を持つKWRは、市民の要求に耳を貸そうとはしなかった。そこでシェーナウの住民30人は、自然エネルギー促進のための小さな会社「市民ファンド」を設立した。既存の水力発電所を強化し、コージェネレーションや太陽光発電の設置などに投資すれば、それだけ原発による電力を使わなくてもすむという考えからだった。

1990年初め、KWRは市民運動が強くならないうちに手を打とうとシェーナウの町当局に有利な条件を申し出た。KWRとシェーナウ町との配電網営業許可契約は4年後の1994年12月31日に切れることになっていたが、KWR は市が今すぐ20年間の再契約を前倒しして結ぶならば、再契約が始まるまでの4年間、毎年、10万マルク(約500万円)を特別に支払うと申し出たのだ。市民運動側はKWRがシェ−ナウに対する電力供給の独占的な権利を今後さらに20年間も持ち続けることに猛反発、そうしたKWRの申し出を拒否し、契約が切れるのは予定通り4年後で、再契約はその時にするべきだという態度を明確にした。そしてKWRに対抗する手段として「配電網購入会社シェーナウ」を立ち上げた。1990年11月のことだった。市民運動家たちには、再契約までの4年間に配電網の営業権利を市民が買い取る準備をしようという長期的な目標があったからだった。「自分たちが電力網を買いとろう」という言葉を市民運動家たちは最初冗談のように言っていたが、その頃には真剣に考えるようになり、既にドイツ全国の専門家たちの協力を得て、その可能性を探っていたのだった。しかし、保守派の議員が多数を占める町議会は、1991年7月8日、有利な金銭的条件につられたのか、KWRとの再契約を前倒して結ぶことを決めてしまった。シェーナウの市民運動の本当の闘いはここから始まるのだが、それについては次回にお伝えする。

 

 

 

 

 

 

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