サッカー欧州選手権とレインボーカラー

池永 記代美 / 2021年7月6日

©️UEFA

6月11日に始まり7月11日に決勝戦が行われる第16回サッカー欧州選手権EURO2020は、準決勝を控えいよいよ佳境に入った。もちろん、どのチームが優勝カップを手にするかが一番注目されているのだが、この大会では、試合以外のことで、大きな関心を呼んだ出来事があった。

サッカー欧州選手権は欧州サッカー連盟 (UEFA) が4年に一度開く大会だ。名前に欧州とついているが、中東のイスラエルや中央アジアのカザフスタンなども含めた55の国と地域が予選で出場権を争い、大会は24チームが参加して行われる。過去の大会では一つの国、もしくはせいぜい二つの国が開催国となったが、今回は、東はアゼルバイジャンの首都バクー、西はスコットランド最大の都市グラスゴーなど、11カ国の11の都市が開催地となり、分散型で行われている。 サッカーが欧州の国々を結ぶ架け橋になることを願ってのことだという。ちなみに大会の名前がEURO2020となっているのは、昨年開催されるはずだったが、コロナ禍で今年に延期されたからだ。

街頭テレビの時代に戻ったような景色が街角で見られる。ドイツがゴールを決めると、大きな歓声が上がる。

欧州には現世界チャンピオンのフランスや、イタリア、スペイン、ドイツなど強豪チームを擁するサッカー大国が多い。それだけに欧州の人々にとってEURO2020は、東京オリンピック•パラリンピックよりずっと大切なスポーツイベントだ。コロナ規制のため、まだ飲食店の中の席が自由に利用できないドイツでは、 ビアガーデンやレストランの屋外席が、ミニ•パブリックビューイングに様変わりし、試合のある日は大賑わいだ。夏のカラッとした空気の中で飲むビールはひときわ美味しい上に、サッカーの応援はコロナ禍で溜まったストレスを発散するには打ってつけでもあるからだ。

そんなお祭り気分の中の6月20日、あるニュースが流れた。ドイツ•ナショナルチームの主将マヌエル•ノイアー選手が、フランス戦 ( 6月15日)やポルトガル戦 ( 6月19日)で付けていたレインボーカラーの腕章は、大会で禁止されている政治的意見の表明の疑いがあるとUEFAが問題視し、取り調べを始めたというのだ。数時間後には、UEFAが指定した腕章とは異なる腕章をノイアー主将が付けたことが取り調べの理由だったことや、取り調べは中止されたことが判明したのだが、UEFAがレインボーカラーの腕章を禁止しようとしたという印象がドイツ社会一般に広まり、騒ぎは大きくなった。

レインボーカラーはレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの人たち、つまりLGBTのシンボルだ(注:自分の性がわからない人や性的少数者の全般を示すQをつけてLGBTQと表記することもあれば、男女どちらかの性に特定されたくない人を意味するインターセックスの頭文字I を付けてLGBTIいう略が使われることもある)。そしてレインボーカラーを掲げたり身に付けたりすることは、性的指向で人を差別しない寛容な社会を目指すという意思表明でもある。LGBTの解放運動は1968年6月28日、ニューヨークのゲイたちが集まる酒場で、捜査に来た警官に客たちが抗議を行ったことで始まったと言われており、それを記念して6月は「プライド月間」と呼ばれている。今では世界各地で毎年6月に、LGBTに関するイベントやキャンペーンが行われ、ドイツサッカー連盟(DFB)もそれに連帯して、6月に行う試合ではノイアー主将がレインボーカラーの腕章を付けることを決めたという。DFBのこうした姿勢にUEFAも理解を示し、ノイアー主将は6月23日のハンガリー戦でもレインボーカラーの腕章を付けて良いことになった。DFBによると、レインボーカラーの腕章の使用は、ナショナルチームの選手たちが希望したそうだ。

しかし、レインボーカラーを巡る騒ぎは、これで一件落着とはならなかった。6月23日にドイツ対ハンガリー戦が行われるバイエルン州の州都ミュンヘン市の市議会が、試合に合わせてスタジアムをレインボーカラーにライトアップしたいとUEFAに申請したからだ。これはハンガリー議会が 6月17日に、 青少年向けの出版物や映画で同性愛やトランスセクシュアルに関する情報を提供することを制限したり、広告で同性愛を普通のこととして描くことを禁止したりする法律(以降、反LGBT法) を成立させたことに抗議してのことだった。ところがこれに対してUEFAは、ミュンヘン市の申請はハンガリー議会に向けられた政治的なものであり、政治的中立の立場をとるUEFAはこの申請を受け入れられないと回答した。このUEFAの判断を、ミュンヘン市長ディーター•ライター氏は、「LGBTのコミュニティに連帯を示すことをUEFAが禁止したのは恥ずべきことだ」と厳しい言葉で批判し、スタジアムのライトアップ以外の方法で、ハンガリーと世界に対してメッセージを送りたいと語った。

レインボーカラーにライトアップされたベルリンのオリンピック•スタジアム https://twitter.com/Oly_Berlin

ミュンヘン市の申請を拒否したUEFAへの抗議は、瞬く間にドイツ各地に広がった。「ミュンヘンの代わりにハンガリー戦に合わせてレインボーカラーにライトアップする」と、ベルリン、ケルン、デユッセルドルフ、ヴォルフスブルクなどブンデスリーガに所属するクラブのスタジアムや地方の公共スタジアムが、合わせて46も名乗り出たそうだ。ハンブルクにある斬新な建築で有名なコンサートホール、エルプ•フィルハーモニーもライトアップに参加した。大衆紙ビルトはこうした抗議の嵐を、「レインボーカラー対UEFAは46対1」という見出しを付けて報じた。当のミュンヘン市は、新市庁舎の前でレインボーカラーの旗を掲揚し、1972年のミュンヘン•オリンピックの会場にあるオリンピック塔や試合の行われたスタジアム近くの風力発電施設をレインボーカラーに照らし出した。スタジアムの前では人権団体が1万1000本のレインボーフラッグを観客に配り、バイエルン州のマルクス•ゼーダー首相は、レインボーカラーのマスクを着けてスタジアムで試合を観戦した。

こうしたカウンターパワーに恐れをなしたのか、スタジアムでの観戦を予定していたはずのハンガリーのヴィクトル•オルバーン首相はミュンヘンに姿を現さなかった。しかし同国のペーテル•シーヤールトー外相は「スポーツと政治を混同するのは良くない。歴史がそれを物語っている。ドイツはそのことをよくわかっているはずだ」と、ナチ•ドイツがプロパガンダに利用した1936年のベルリン五輪を念頭にドイツを批判した。ちなみに試合は1対2でリードされていたドイツが、試合終了直前に点を入れて引き分けとなり、決勝トーナメント進出を果たした。ゴールを決めたレオン•ゴレツカ選手が、雄叫びやガッツポーズではなく、両手の親指と人差し指でハートの形を作り喜びを表現したのが印象的だった。なおドイツはその次のベスト16同士の戦いで、イングランドに2対0で負けた。

ドイツのメルケル首相、フランスのマクロン大統領など16人の首脳が作成した公開書簡の一部 ©️Bundesregierung

ハンガリーの反LGBT法を巡っては、今度は場所を変えて延長戦が繰り広げられた。「基本権、とりわけ性的指向による差別は許されないという欧州連合(EU)の基本的価値観が脅かされつつある」として、EU加盟27カ国の内の16カ国の首脳がEU理事会議長や委員長などの首脳陣に向けて作成した公開書簡を、ドイツ対ハンガリー戦の行われた翌日の6月24日に発表したのだ。それは「LGBTIコミュニティの差別に対してこれからも闘い続け、彼らの基本権を守ることを改めて保証する。敬意と寛容はEUというプロジェクトの核心だ」という内容だった。書簡には6月28日に「プライド•デイ」を迎えるのを機に作成したと書かれていたが、ハンガリー政府に向けられたものであることは誰の目にも明らかだった。

6月23日、ドイツ連邦議会での質疑応答で、ハンガリーの反LGBT法は間違っていると明言したメルケル首相。©️Bundestag

奇しくも書簡が発表された24日から二日間に渡って、ブリュッセルで久しぶりに対面式のEU首脳会議が行われた。ハンガリーの反LGTB法について首脳会議初日の24日、2時間に渡り議論が行われたが、そこに同席していた外交官によると、そこでは首脳同士とは思えないほど感情的な言葉が飛び交ったそうだ。例えば2015年に同性婚をしたルクセンブルクのグザヴィエ•ベッテル首相は、「本や映画で同性愛になると信じているとすれば、人間とは何かを理解していない。オルバーン首相は越えてはいけない一線を越えた。EUがそれを認めるなら、自分はもうEUに住みたくない」と語ったそうだ。ハンガリーから投票権を剥奪するべきであるとか、同国がEUの一員であり続けることを疑問視する声も出たそうだ。オルバーン首相は、「新しい法律は青少年を守ることを目的としている。性教育は学校や施設ではなく、親だけに行う権利がある」と性的指向に関する情報提供の制限を擁護したが、ウルズラ•フォン=デア=ライエンEU委員長は、「ハンガリーの反LGBT法は恥だ」と、法的手段に出ることも辞さないことを明らかにしている。ハンガリーが軌道修正を行うのか、対立が続くのか、今後の展開が注目される。

このように、EURO2020のレインボーカラー騒動を通じて、保守的で強権的な政治を行うオルバーン首相が率いるハンガリーとEUの対立がより明らかになった。EU首脳会議ではポーランドとスロベニアが、ハンガリーを支持したという。それに11カ国が公開書簡に署名しなかったことも気にかかる。皮肉なことだが、EURO2020は欧州の架け橋になったのではなく、そこに存在していた亀裂を明らかにしたと言えそうだ。一方、ドイツの多くの市民、政治家、自治体、組織、企業がLGBTへの連帯を言葉や行動ではっきり示したことは喜ばしいことだった。ベルリンには同性愛者が多く住んでいるため、街中のホテルやカフェ、そのほかの店先でもレインボーカラーの旗をよく見かける。しかし今回は、ベルリン以外の多くの都市でも、LGBTへの連帯行動が起きたのだ。これは政治的発言でも誰かを非難するものではなく、人間のあり方についての信念や姿勢を明らかにするものだ。ドイツのナショナルチームは早々と負けてしまったが、EURO2020では優勝カップより貴重なものをドイツ社会は手にしたのかもしれない。

ベルリンのLGBTが多く住む地域にある地下鉄の駅には、プライド月間中、大きなレイボーカラーの旗が掲げられていた。

最後にEURO2020とコロナについても触れておきたい。UEFAはスタジアムの観客数を、基本的には現地の判断に任せたという。そのため、ブダペストのスタジアムは満席、バクーは収容人数の50%、ミュンヘンは20%といったようにばらつきがでた。ロンドンのウェンブリー•スタジアムは、予選などでは観客数を収容人数の半分以下の4万人に制限したが、デルタ変異株が流行しているにも関わらず、イギリス政府とUEFAの話し合いで、準決勝と決勝では収容人数の3分の2の6万人まで観客を入れることにした。ドイツのスポーツ担当でもあるホルスト•ゼーホーファー連邦内相によると、ミュンヘン市が無観客か観客数を低く抑えたいと伝えたのに対しUEFAは、それなら開催地から外すと通告してきたそうだ。「こうしたUEFAのやり方は非常に無責任だ。商業主義が国民を感染から守ることより優先されるべきではない」と、ゼーホーファー内相は厳しい言葉でUEFAを批判した。世界保健機関 (WHO) によると、実際に、スタジアムや飲み屋でサッカー観戦する人の間でコロナ感染が増えているという。マスクを付けずに声援をあげ、得点が入れば抱き合って喜ぶなど、コロナ感染対策のためにしてはならないことが、観戦中にはどうしても起きてしまう。今回は分散型の大会であることも裏目に出た。ファンの移動と共にウイルスが欧州各地に広まってしまうからだ。もうすぐ始まる東京オリンピック•パラリンピックがEURO2020の失敗を繰り返さないことを強く望んでいる。

 

 

 

 

 

 

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