『ヤクザと原発』ドイツ語版出版記念講演会

みーこ / 2017年3月26日

『ヤクザと原発 〜福島第一潜入記〜』(鈴木智彦・著 文藝春秋・刊 文春文庫版もあり)という本がある。著者の鈴木智彦さんは、暴力団やヤクザの世界を取材するノンフィクション・ライター。「原発はヤクザの利権になっている」という噂を解明すべく、福島の原発事故から間もない2011年夏に、身分を隠してヤクザルートで福島第一原発に作業員として潜入取材した。この本のドイツ語版『Inside Fukushima』がこのほど出版され、日本から鈴木さんを招いての記念講演会が、3月13日(月)にベルリンで開かれた。

著書『ヤクザと原発』のドイツ語版を持つ鈴木さん

原発のことを調べていると、私のような門外漢にも、原発と裏社会はどうやらつながっているらしいということがうっすらと見えてくる。「反原発市民運動の指導役となった物理学者、故・高木仁三郎さんには、本人や家族に対する脅しやいやがらせが後を絶たなかった」という話や「もんじゅのナトリウム事故の調査担当者は不審な自殺を遂げた」という話を読むと、そのたびに背筋がひやりとする。

原発と裏社会の関係はどうなっているのか? われわれ一般人が払う税金と電気代で運営されるこの巨大産業に何か怪しいところがあるのなら、ぜひ知っておくべきなのではないか。……そんな疑問や欲求に答えてくれるのが、この本である。

暴力団やヤクザの世界を専門とするライターの鈴木智彦さんは、原発が爆発したとき、ヤクザと原発利権の解明に挑んだ。福島原発も日本全体も大震災のショックでまだ混乱状態にあった2011年夏、これまでの取材で培ったコネを駆使し、ヤクザルートで作業員として潜入取材を敢行する。将来被曝による健康被害が起こったときのために、取材前に全額自腹で造血幹細胞を採取したという。まさに体を張った取材だ。

さて、この本のドイツ語版『Inside Fukushima』が3月に出版され、日本から鈴木さんを招いての記念朗読・講演会がベルリンで開かれた。会ではまず、本の一部の朗読がおこなわれ、その後、鈴木さんの話、質疑応答と進んだ。120人ほど入れる会場は満員。椅子がなくて立っている人もいて、質疑応答では次々に手が上がった。ドイツ人と日本人の比率は8:2くらいだっただろうか。福島、原発、ヤクザというテーマで、これほど多くのドイツ人が集まるということに驚いた。

鈴木さんの本の内容も興味深いが、この記事では、朗読・講演会で特に印象に残った鈴木さんの発言とそれについての私の感想に絞りたい。なお、朗読・講演会の前日には、鈴木さんを囲む小規模な会もおこなわれ、そこで鈴木さんが隠し撮りした写真やビデオを見る機会も得た。そこでの感想も併せて記す。

隠し撮りした写真について解説する鈴木さん

まず、鈴木さんが「作業員の世界は男の世界。格好悪いことはできないという空気があった。安全や健康に気を付けることは臆病なこととみなされる。その空気に馴染めないと仲間に入れてもらえず、共同作業の際、不都合が生じる」ということを何度も繰り返していたのが印象的だった。

隠し撮りビデオの中に、作業員が一日の作業を終え防護服や手袋を脱いで線量を計るシーンがあったが、線量計を体に当てる速度がとても速い。「え、こんなに速くてちゃんと計れるんですか?」と参加者から驚きの声が上がったが、「ほんとはダメですよ。でも、チャッチャとやるのが男らしい。そういう雰囲気なわけです」と鈴木さん。「だいたい、この計測作業自体、ちゃんとやってるよというアリバイ作りみたいなところがありましたね」

また、鈴木さんが潜入取材していた7月半ばからの2か月ほどは、1年で最も暑い季節だ。作業員は常に熱中症の危険にさらされており、少しでも体調が悪くなったら休むようにと言われていたが、だれも事前に体調不良を訴えない。ギリギリまで我慢して、突然バタリと倒れるパターンが多かったと言う。なぜなら「体調が悪いなどと言うのは男らしくないから」だ。

さらに、熱中症予防のため少しずつ水を飲もうにも、ぴったりしたマスクを常に着けているため簡単には飲めない。作業員用の診療所もあるにはあるが、体調が悪くてもだれもそこには行こうとしなかった。なぜなら診療所は遠く、原発周辺は立入禁止の危険区域のためバスが走っていないので、自分でタクシーで行かないといけないからだ。タクシー代1万円は自腹だ。危険な仕事をしてでもお金を稼ぎたいと考える労働者のだれが、そんなお金を払いたいと思うだろうか?

これらの話を聞いて私が感じたのは、「どんなに制度や体裁を整えても、現場の雰囲気やそこにいる人間の都合で、実際の運用は変わる」ということだ。それでいい物事も多いだろうが、原発のような危険な現場では、それではまずい。原子力工学や放射能の専門家がいくら「安全には配慮している。管理態勢は万全だ」と言おうが、実際はそうもいかないのだ。

紙製の防護服を見せる鈴木さん

もう一つ印象的だったのは、講演会のためにわざわざドイツまで来た鈴木さんの思いだ。「ぼくもマスコミの一員で取材をする側なんですが、自分が取材を受けるのは嫌いです。ヤクザ専門ライターなので、マスコミから『山口組について教えてくれ』という依頼が来ることもあるけど、そんなときは『山口組事務所の電話番号を教えてあげます。自分で電話して聞けばどうですか?』と言って追い返す」と聴衆を笑わせたあと、こう続けた。「でも、原発潜入取材体験について聞かれたときは、必ず取材を受けるようにしている。こういう特殊な体験をした以上、自分にはそれを伝える責任があると思うから。これまで40か国のメディアの取材に答えてきた」

外国メディアの取材を受けるようになって、鈴木さんはメディアのあり方について,考えるところがあったのだと言う。「ヤクザ関連の取材記事を書くとき、日本の雑誌からは『取材相手を仮名にせよ』という指示が来る。ヤクザが怖いからだ。原発作業員の名前も仮名。ところが、外国のメディアは本名も全部書いちゃう。最初は驚いたが、そのうち『日本のメディアのほうが変なのかもしれない。ぼくも含めて』と思うようになった」

原発の是非や原発報道のあり方については、鈴木さんは次のように語った。「反原発団体で講演をすると、原発労働の問題点ばかりにフォーカスし『だから原発はダメなんだ』と解釈される。一方、賛成派のところで講演をすると、『ちゃんとやってるんだな。じゃあ大丈夫。原発は安全だ』となる。原発反対派も賛成派も互いに話し合うことはなく、相手のことを、バカだバカだと言い合うだけに終始してしまう。そもそも、日本では原発のことを話すだけで変な人だと思われる雰囲気もある。とても大切な問題なのに残念だ。日本は福島の原発の事故のあともさらに原発を推進しようとしているが、それがおかしなことだと気付くためには、外からの目、つまり外国の報道が役に立つこともある。自分が海外で講演をすることで、日本の原発報道に外国からの風が入るきっかけになればと思って、こういった講演を引き受けている」

2011年におこなわれたこの原発潜入取材では、『週刊ポスト』編集部(小学館)と文藝春秋から多額の取材費が支払われたと言うが、現在の日本のメディアの原発への関心を鈴木さんに尋ねると、「全然ダメですね。原発はもう『売れないネタ』ということになってます」という答えが返ってきた。これは私のようなドイツ在住者でもうすうす感じていることだ。日本の新聞のウェブサイトを見ていると、原発の記事は明らかに減っているし、ネット上で話題になることも少ない。

「大切なことを報道しないメディアが悪いのか? 関心を持たない一般市民が悪いのか?」と考えながら講演会から家路に着いたが、その翌日インターネット上で目を疑うようなバカバカしい日本語記事を発見してしまった。「文春記事『ベッキー禁断愛』に雑誌ジャーナリズム賞大賞」という朝日新聞の記事だ。出版社や新聞社の編集者100人による投票で選ばれ、今回で23回目を迎える「雑誌ジャーナリズム賞」の大賞をとったのがテレビタレントの不倫スキャンダルだったという記事だが、一体これのどこが「ジャーナリズム」なのか? この記事が話題を呼んだという事実はあるにせよ、同業者が称賛し賞を与えるようなものなのか?

「メディアは第四の権力」「メディアの役割は権力を監視すること」などと言われるが、この体たらくでは、メディアを監視する機関がもう一つ要ることになる。その役割を担うのがわれわれ一般市民ということになるのだろうか。そのためには自分は何ができるだろうかと思いを巡らせている。

2 Responses to 『ヤクザと原発』ドイツ語版出版記念講演会

  1. 折原(埼玉県) says:

    このような本をドイツ在住の方が読んで、紹介する、ということに感心させられます。おそらく書評でも、取り上げる前に避けられてしまうのでしょう。「メディアを監視する機関がもう一つ要ることになる」という視点、ほんとうにそのとおりだと思います。日本の司法の場合も、全く同じで「司法を監視する機関がもう一つ要る」と言えます。「その役割を担うのがわれわれ一般市民ということになる」ということですね。やはり「闘う民主主義」がないと、どうしようもないのですね。

    • みーこ says:

      折原さま

      コメントありがとうございます。
      こういう本がドイツ語に訳され、発売され、講演会に人が集まり、質疑応答で盛り上がるということに
      私も驚きました。
      ドイツの人が今も福島の原発事故のことを気に掛けているのに、日本政府は事故のことを忘れたかのように
      ふるまっているというのは、とても残念なことです。