感動的なシーンで終わった今年のベルリン国際映画祭

永井 潤子 / 2015年2月22日
taxi

金熊賞を受賞した「タクシー」 © Berlinale

ベルリン国際映画祭(ベルリナーレ)コンペティション部門のグランプリ、金熊賞は、予想外の作品に与えられることが多いと言われてきたが、今年は下馬評通りの作品が栄冠に輝いた。受賞作品発表の場でダーレン・アロノフスキー審査委員長が「金熊賞は、厳しい制限の下で作られた、芸術的インスピレーション溢れた作品に…」と言い始めただけで、会場内に歓声の声が沸き起こった。それが、イランのジャファル・パナヒ監督の「タクシー」を意味することは明らかだったからだ。

パナヒ監督は2010年、体制批判の声明に署名した後逮捕され、20年間の職業禁止とインタビューや外国への旅行禁止、禁固6年(執行猶予)という厳しい判決を受けた。「タクシー」は、そのパナヒ監督が禁を犯して自らタクシーの運転手に扮し、テヘランの街を移動しながら、車のなかに取り付けた固定カメラで撮影したものだ。「泥棒はみせしめのために死刑にするべきだ」をめぐる乗客同士の議論、金魚を入れたガラス鉢を持って乗り込み、早く早くと、せかす年配の女性二人、交通事故にあって瀕死の重傷を負った夫と泣き叫ぶ妻など、さまざまな乗客の姿や会話からイランの現状が浮き彫りになるという映画である。映画の観客は最初本当にパナヒ監督がタクシー運転手としてお金を稼ぐのだと思うが、やがて一人の男性乗客が「貴方はパナヒ監督でしょう?僕にはすぐわかった。撮影しているんですよね?」などと言うので、監督の意図がわかる。後半パナヒ監督はこのタクシーで実の姪を迎えに行くが、学校で映画を作る予定の10歳の可愛い姪は、教師から教えられた映画を作る条件(禁止事項がいっぱいある)を立て板に水のような早口でおじさんに教える、その場面が秀逸だった。そこから表現の自由がいかに制限されているかがわかるわけだが、ユーモアを込めながらの巧みな体制批判とパナヒ監督の悠揚迫らぬ風貌が強く印象に残った。そのほか、映画作家に対し20年の職業禁止を言い渡す国の首都、テヘランの町並みが、東京の住宅街などとあまり変わらないことにも意外な感じを抱いた。

出国を禁じられているパナヒ監督自身は授賞式に参加できなかったが、パナヒ夫人と映画に出演した姪は出席し、金熊賞のトロフィーを手にした姪が感極まって泣き出すという感動的なシーンも見られた。ベルリン映画祭は2011年にパナヒ監督を映画祭の審査員に招いたが、それは不可能なことだった。この年の映画祭では、空席のままの審査委員の椅子が提示され、パナヒ監督の作品数本が 特別上映されて、同監督への連帯の気持ちが表明された。「タクシー」の金熊賞受賞を一番喜んだのは、一貫してパナヒ監督を支持してきた映画祭の最高責任者、コスリック氏かもしれない。今回も金熊賞のトロフィーだけがぽつんと置かれた風景が、受賞者の不在を痛感させた。こうした受賞式の様子はドイツ、オーストリア、スイスのドイツ語圏3国の合同公共テレビ局3SATで生中継された。翌日のベルリンをはじめとするドイツの各新聞は、タクシー運転手姿のパナヒ監督の写真とともに、「タクシー」の芸術性と映画製作者としての監督の不屈の精神、今年の審査委員会の決定を高く評価する記事を載せた。フランスでの連続襲撃事件などイスラム過激派のテロが各地で起こる中、表現の自由と基本的人権侵害に抗議する強力なシグナルがベルリンから発信されたわけだが、過激派のテロ事件が起こらず、無事に大規模な映画祭が終わったことに安堵する記事も見られた。授賞式が行われた2月14日、新たにデンマークでのテロ事件が報じられた。

C. Rampling T.Cortnay今年はいい映画が何本もあったので、銀熊各賞の選択は難しかったというが、「タクシー」と並んで金熊賞の呼び声の高かったイギリス映画「45 イヤーズ」は、最優秀主演女優賞と最優秀主演男優賞を独占した。45年もの幸せな結婚生活の後、夫に昔スキー事故で亡くなった、愛した女性がいたことを知って揺れ動く妻役のシャーロット・ランプリングと夫役のトム・コートネイの二人の年配の俳優がそれぞれ最優秀主演賞を獲得したことは、当然の決定と受け取られた。

P. Larrain_2

審査員大賞に輝いたパブロ・ラライン監督

銀熊賞の審査委員大賞はカトリックの司教の性的虐待をテーマにしたチリのパブロ・ラライン監督の「ザ・クラブ」に、銀熊賞のアルフレッド・バウアー賞は、原住民、マヤの若い女性の運命を取り上げたグアテマラのジャイロ・ブスタマンテ監督の「イクスカヌール火山」に与えられた。普段はパリに暮らす監督自身もこの地方の出身で、撮影舞台となったコーヒー園は祖父の所有地だったとか。さらに、チリのパトリシオ・グスマン監督のドキュメンタリー映画「ザ・パール・ボタン」に、最優秀脚本賞が与えられるなど、今年はラテンアメリカ勢が健闘した。チリでは1970年代のピノチェト軍事政権下で大量虐殺が行われたが、19世紀末から20世紀初めにかけても原住民に対する迫害と大量虐殺があった。グスマン監督は水を中心とする美しいチリの自然を示しながら、過去の非人間的な負の歴史を伝えるドキュメンタリー映画を作ったのだが、最後は海底から引き上げられた鉄道の線路についていた小さなパールボタンで終わるところが強く印象に残った。ピノチェト政権は虐殺の犠牲者の遺体を30キロの重みのある鉄道の線路にくくりつけてヘリコプターから海に投下したというが、何十年も経って引き上げられた線路には、人間の着ていたシャツについていたと思われる小さな貝のボタンが一つポツンと残されていたのだ。

J. Buztamante

「イクスカヌル火山」のブスタマンテ監督と主演女優

P. Guzman

「ザ・パール・ボタン」のグスマン監督

Radu Jude

「アフェリム!」のラドゥ・ジュデ監督

銀熊・最優秀監督賞にはルーマニアのラドゥ・ジュデ監督の「アフェリム!」とポーランドの女性監督、マルゴスカ・シュモウスカ監督の拒食の少女を扱った「ボディー」の2本が同時受賞し、東欧諸国の活躍を印象付けた。「アフェリム!」(ブラボーという意味だそうである)は、19世紀のルーマニアを舞台に、奴隷のように扱われていたジプシーの問題を取り上げたルーマニア、ブルガリア、チェコの合作劇映画だ。また銀熊・芸術貢献賞も2本同時受賞で、その1本はロシアのアレクセイ・ゲルマン・Jr.監督の「アンダー・エレクトリック・クラウズ」のカメラワークに対して与えられた。1917年の十月革命から100周年を迎える2017年を前に、旧ソ連崩壊後20年余りたった旧ソ連の救い難い状況を示す7つのエピソードからなる映画だが、タイトルが「電気の雲の下で」となっており、いたるところで鼻血を出す人々に出会うことなどから、チェルノブイリの原発事故を漠然と予想させるが、映画にはそれに対するはっきりした説明はない。

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「ボディ」のマルゴスカ・シュモウスカ監督

もう1本の芸術貢献賞はドイツのセバスチャン・シッパー監督の「ヴィクトリア」の撮影に対して与えられた。ベルリンの街角で、スペイン出身の若い女性、ヴィクトリアが4人の若者と知り合い、成り行きで彼らが銀行強盗をする際の運転手をしてしまう。お金は奪ったものの、その後の警官との打ち合いで、仲間は散り散りになり、彼女は好意を抱いた若者と二人ホテルに逃れるが、負傷した彼は、間も無く死亡する。ヴィクトリアは遺体のそばで号泣するが、ひとしきり泣いた後、彼が奪ったお金を持って一人立ち去るという映画だ。ノールウエー人のカメラマン、ストゥーラ・ブランド・グロブレンは、この2時間20分の映画をまったくの休憩なしに撮り続けて、そのまま全然カットせず映画を作るという新しい試みが評価された。

Momoko Seto

「アウディ賞」に輝いた瀬戸桃子監督

日本映画では短編部門に参加したフランス在住の瀬戸桃子監督の「プラネット・Σ(シグマ)」が新設のアウディ賞を受賞した。コンペ部門の日本映画、SABU監督の「天の茶助」は、天界で大勢の脚本家が人間の運命についてシナリオを書いているという奇想天外の発想とユーモラスな場面に、観衆はよく笑っていたし、終わった時の拍手も多かったが、賞には届かなかった。緑の魔女たちがもっとも注目したフォーラム部門の舩橋淳監督の「フタバより遠く離れて、第2部」は、原発事故の被災者の悲惨な状況が観衆にショックを与えたというが、詳しくはあきこさんの舩橋監督とのインタビューを読んでいただきたい。同じくフォーラム部門に参加した山本政志監督の「水の音を聞く」の主題は、アルフレッド・バウアー賞を受賞したグアテマラのブスタマンテ監督の映画に通じるものがあると感じたが、在日の人たちの社会問題が前面に出ている映画を予想していた私には、いまひとつ物足りなかった。

nagai_c食とかかわりのある映画部門、キュリナリー・フィルム部門に参加した森淳一監督の映画「リトル・フォレスト冬・春」は、東北の山村で一人暮らす、若い女性の自給自足の生活を紹介するもので、そのなかで自然の食物がいくつも取り上げられた。上映前、着物姿の主役の橋本愛がドイツ語でした挨拶は、喝采を浴びた。上映後この映画からインスピレーションを得た一流コックによる食事が提供された。映画はそれなりに興味深かったが、その後の食事には質量ともに失望した。食事の時、同じテーブルに座ったドイツ人男性は銀行マンで、東京で2年勤務した経験があるといい、この映画が漫画を基に作られたことを知っていた。「こんなテーマの漫画があることに驚いた。とにかく日本の漫画はテーマが多岐にわたり、ゲーテやマルクスの著作まで漫画になってしまう。しかもそのレベルが結構高いのだ」と話していた。しかし、肉食派の彼は野菜と穀物、お魚中心の食事には不満で、「きょう出た食事は日本食とは程遠い」と息巻いていた。

私自身は今年、ディズニーの新版「シンデレラ」をふくめ、さまざまなジャンルの映画を見て、例年以上に映画祭を楽しんだ。同時に世界中で紛争が止まない現状のなかで、各地の人々が現在抱える社会的、政治的な問題について、あるいは過去の負の歴史について発信し続ける、今年65周年を迎えたベルリン映画祭の重要性を再認識した。90歳近いフランスのマルセル・オヒュルス監督は、新しくデジタル化された約40年前の映画「ザ・メモリー・オブ・ジャスティス(正義の記録)」(ニュルンベルク裁判で裁かれた「人道に反する罪」についての278分!もの長いドキュメンタリー映画)で、今年ベルリナーレ・カメラ賞を授与されたが、「映画は世界を変えることができる」という彼の言葉を「そうあって欲しい」と願いながら聞いた。

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