福島の原発事故が発端 - 国境を越えた原発停止運動
ベルギー、オランダと近接するドイツの町アーヘンは16世紀初頭まで、神聖ローマ帝国の皇帝の戴冠式が行われた町として知られている。この町はここ数年、歴史上の都市としてではなく、ベルギーの原発停止を求める町として注目を集めている。そこに住む活動家を訪ねて、話を聞いた。
「福島第一原発の事故が僕たちの活動を始めるきっかけになった」と開口一番に語るのは、アーヘンで反原発運動をしているイェルク・シェレンベルグさんだ。福島原発の事故の様子を伝える映像を見て彼の頭をよぎったのが、ベルギーの老朽化した原発は大丈夫かという疑問だったという。ベルギーには、南部のティアンジュと北部のドエルに合わせて7基の原発があり、ティアンジュ原発には3つの原子炉、ドエル原発には4つの原子炉がある。ティアンジュはアーヘンから65kmのところにあり、この距離は福島市と福島第一原発の距離と同じなので、「僕たちはティアンジュ原発のことを、アーヘン1号機、アーヘン2号機、アーヘン3号機と呼んでいる」とシェレンベルグさんは言う。
ドエルおよびティアンジュにあるベルギーの原子力発電所の実情について、「アーヘン反核エネルギー活動団体(AAA、Aachener Aktionsbündnis gegen Atomenergie)は様々な資料を集め、どのような問題があるのか、もし福島のような過酷事故が起きれば、どのような影響が出るのかを調べ始めた。いろいろな分野の専門家、技術者たちの協力を得て、7つの原子炉の状況とその運営会社のあり方、ベルギー連邦原子力管理庁(FANC、Federal Agency for Nuclear Control)について調べるうちに、7つの原子炉の中でもドエル3号機とティアンジ2号機が特に危険であることがわかった。原子力圧力容器の内側にティアンジュ2号機では3150ヶ所、ドエル3号機では1万3000ヶ所のひび割れがあり、最大約18センチのものがあることが判明したのである。
ドエル3号機は1982年10月、ティアンジュ2号機は1983年6月にそれぞれ稼働を始め、前者は40年後の2022年10月、後者は2023年6月に廃炉が予定されている。この2機は2012年、ひび割れのため一時停止、2014年には“予期せぬ結果”のため一時停止されたが、いずれの場合も翌年に再稼働されたという経緯を持っている。国際原子力機関(IAEA)でさえ、ベルギーの原発は老朽化し、維持管理が不十分だと評価しているが、AAAは中でもドエル3号機とティアンジュ2号機が最も危険であるとして、即時停止を要求している。両機合わせて1万6000カ所を超えるひび割れは、原発が稼働することで金属の脆化を進ませ、原子炉に深刻な影響を与える。
AAAは原発を運営するエレクトラベル社(Electrabel)のひび割れに対する無責任な対応を問題視している。さらに、ベルギー連邦原子力管理庁がドエル3号機のひび割れの大きさを知っていながら、事実よりも小さいという虚偽の発表をしたため、同管理庁への信頼が裏切られたことも指摘している。
シェレンベルグさんは、「電力会社、原子力管理庁、経済界が力を合わせて、危険な原子炉の状態を隠ぺいする原子力ムラがある。ベルギーの原発に関する法律はA4半ページほどのごく簡単なもので、原発の新設はしない、電力供給が不足する可能性があるかぎり原発は停止しないという2点に要約できる。経済界が電力供給の不足の可能性を主張する限り、原発の停止はない」と言う。稼働中の原子炉に重大な損傷が起き、万一爆発する事態が起これば、放射性物質が大気中に放出されるまで24時間かかるので、その間に最低限の対応はできると一般的に言われている。しかしAAAに協力する専門家たちは、ドエルやティアンジュで原子炉爆発が起きた場合、2~3時間の猶予しかないと予想している。ティアンジュからわずか65kmしか離れていないアーヘンとその周辺の地域住民に、この事実を知らせることはAAAの重要な課題である。
シェレンベルグさんは、反核、反原発を党是としてきたドイツのみどりの党の議員たちが、AAAの活動に消極的だったことをいぶかる。社会民主党も積極的ではなかったという。「原発反対、原発推進という政策的議論ではなく、市民にとって安全かどうかという点だけを議論したから、政策にこだわる党の協力が得られなかったのではないか。僕たちは、徹底的に住民が安全か、安全でないかということにこだわる超党派の市民団体だ」というシェレンベルグさん。彼と仲間の活動は、アーヘンでは着実に実を結んでいるように見えた。ノルトライン・ヴェストファーレン州最大の書店であるマイエルシェ書店はアーヘンが創業の地であるが、アーヘンの市街地中心にある同書店のガラス張りの建物には、「TIHANGE ABSCHALTEN (ティアンジュを止めろ!)」と書かれた黄色の旗がかけられていた。また、私がアーヘンでシェレンベルグさんに会った当日は大雨、TIHANGE ABSCHALTENと書かれた黄色の傘をさして歩く人がたくさんいた。
アーヘンの新聞である「アーヘナー・ナハリヒテン」は2011年3月14日、福島原発事故直後、アーヘン市内で行われた反原発の集会について、「1970年代、80年代の反核運動のうねりがよみがえったようだ」と書いている。この集会に集まった人たちの中からAAAが生まれた。
「原発は住民にとって本当に安全か」、ただその点だけに焦点を絞る運動は、政党を越えて広がっている。シェレンベルグさんは「僕たちの安全を脅かすようなことが少しでもあれば、その点について多くの、いろいろな立場の専門家に徹底的に聞いてみる。そこから、原子力ムラの中でも原子炉のリスク評価について一致しないことがわかり、矛盾も見えてきた。その矛盾を明らかにしてきたし、今後もそうしていく。政党よりも住民のネットワークが重要だ」という。原発の脅威を身近に感じるアーヘンの住民は、TIHANGE ABSCHALTENと書かれた黄色の雨傘、自動車に貼るシールで意思表示をしている。
今年の3月に「じゅん」さんが「隠されていたフランス原発事故の真実」という報告を寄せてくださいましたが、周辺諸国だけでなく、やはり原発は全部なくす必要がありますね。
私は2013年に「瓦礫のなかから」という小説を書きました(幸いこの作品は「神戸エルマール文学賞」という賞の、次点佳作賞となりました)。3・11後のボランティア体験を柱として、原発問題も含めて創作したものです。そのなかで、ひとりの女性に次のように語らせました。ちょっと長い引用で恐縮ですが、関係あるものだと思い紹介させていただきます。
〈「ドイツに住んでいる、陽子さんというそのおばさんの話によると、なんとフクシマの事故の翌日の3月12日には、ドイツ南部でドイツ国内の原発廃止を求めるデモがあり、6万人の市民が参加していたと言うんです(去年の11月にベルリンでお会いしたみどりの1kWhの方に、このデモは前から計画されていたものだったと教えていただきました)。もう、驚きです。どうしてなのかというと、1986年のソ連のチェルノブイリの原発事故によって、ドイツ南部のバイエルン州を中心に、土壌や野菜、粉ミルクなどが放射性物質に汚染された深刻な経験があったからでした。ミュンヘンが州都になっているバイエルン州は、チェルノブイリから、なんと1300キロも離れた土地にあるんですよ。
同じように、チェルノブイリから1000キロ以上離れたノルウェー南部の牧場では、トナカイから1キログラムあたり2万ベクレルという放射能が検出されました。チェルノブイリがあるベラルーシの安全基準値は、キログラムあたり10ベクレルとなっていて、なんと、その安全基準の2000倍もの放射能が検出されていたんです。原発の事故は、そんなに遠くの国々まで巻き込んでしまった訳です。
私は日本にあてはめるとどうなるか、地図で確かめてみました。フクシマから北海道の稚内までだいたい950キロほどしかないんです。南の鹿児島まででも1200キロほどです。一発の原発事故で、日本中どこでも深刻な放射能汚染にさらされてしまう可能性があるということですよね。
そしてそこからさらに私が思いを巡らしたのは、日本だけでなく、中国や韓国や台湾にある原発です。毎年、中国から黄砂が日本に飛散してきますよね。降下量は日本で1年間に1平方キロメートルあたり1トンから5トンもあるそうなんです。黄砂の季節ではなくても、日本付近は偏西風帯にあるため、1年を通して西風が中心となっています。フクシマは太平洋に面した本州の東岸にあったため、幸い、いや、そんなことを言っちゃ、とんでもないことですね。ごめんなさい。地球上に放射性物質をまきちらしていることに変わりないわけですからね。それらのほとんどは太平洋側に飛び散っていきました。でも、日本海側や西日本の原発、はては韓国や中国の原発が事故を起こせば、日本全体に放射性物質が飛散し、深刻な放射能汚染が確実に予想されるじゃないですか。
調べてみたら、中国の上海や青島の南側にも原発があります。東京から1800キロも離れていません。それに中国で稼働中の原発は確か15基、建設中は26基あり、さらに40基以上もの新設計画があるんです。フクシマの事故後も、その計画に変更はないそうです。もっと怖いのは、玄界灘を挟んで200キロほどしかない韓国の原発ですね。稼働中の原発は21基あり、さらに建設中の原発も21基もあるんですね。世界中ではなんと439基もあるんです。考えてみれば、ほんとに寒気がするほど恐ろしい世界の風景ですよね」〉