Author Archives: 永井 潤子

日本のマスメディアの無意味な報道とかすかな光

先頃、1年半ぶりに日本に一時帰国した。今回の帰国の主な目的は、10月初めから2週間、ドイツ在住の韓国人女性たちと一緒に韓国と日本をグループ旅行することだったので、東京の我が家にはその前後10日ほどしかいられなかった。その短い滞在の間に強く感じたのは、日本のマスメディアの報道の緊張感のなさだった。 続きを読む»

「日本軍『慰安婦』メモリアルデー」のベルリンでのスタンディング・デモ

8月14日の午後4時半、ドイツ統一の象徴であり、今ではベルリン観光の最大スポットとなっているブランデンブルク門前のパリ広場に、年配のアジア人女性たちの大きな写真をかかげたり、プラカードや横断幕を持ったりする人たち、70人あまりが三々五々集まってきた。多くの人が色とりどりのバラや百合の花、あるいは野の花など、思い思いの花を手にしていた。これらの花は戦時下の性暴力の犠牲となって筆舌に尽くしがたい苦しみを味わったこれら写真の女性たちにささげられた。女性たちの多くは、加害者の謝罪も正当な公的補償も名誉回復も得られないまま既に亡くなっている。この日は、今年はじめて国際的に行われた「日本軍『慰安婦』メモリアルデー」で、ベルリンでもその一環として国際的なスタンディング・デモが行われたのだった。 続きを読む»

原爆投下の日の「平和コンサート」

ハンス=ディートリッヒ・ゲンシャー氏

ハンス=ディートリッヒ・ゲンシャー氏

ベルリンも今年の夏は猛暑が続いた。広島原爆忌の8月6日、暑い夏の日のさわやかな夕べ、ベルリン広島通りにある日本大使公邸で今年も「平和コンサート」が催された。2009年に始まったこの「平和コンサート」では、毎回ゲストの講演が注目されてきたが、5回目の今年の講演者は東西ドイツ統一に大きな役割を果たしたドイツの元外相、ハンス=ディートリッヒ・ゲンシャー氏(86歳)だった。長年「核のない世界」実現のために尽力してきた同氏は「核兵器廃絶に向けて今こそ真剣に努力するよう」国際社会に呼びかけ、特に原爆の被害を受けた唯一の国日本と核兵器を持たないことを宣言しているドイツの果たすべき役割を強調した。

続きを読む»

日本の参議院選挙結果についてのドイツの新聞論調

7月22日に行なわれた日本の参議院選挙の結果について、翌日のドイツのメディアは、さまざまな見出しでかなり詳しく伝えた。「安倍首相、思い通りの政治が可能に」(ベルリンで発行されている全国新聞、ヴェルト)、「日本はアベノミクスに高い代償を支払う」(ベルリンの日刊新聞、ターゲスシュピーゲル)、「民主的な一党国家への道を歩む日本」(フランクフルトで発行されている全国新聞、フランクフルター・アルゲマイネ)などである。

続きを読む»

シェーナウの奇跡、反原発の市民運動から生まれたエコ電力供給会社 3)

mitarbeiter1_011986年4月26日、チェルノブイリで起こった原発事故をきっかけに南西ドイツの小さな町、シェーナウで生まれた市民運動。その市民運動が大きなうねりとなり、多くの困難の後、シェーナウ電力会社(EWS, Die Elektrizitätswerke Schönau)が設立され、1997年7月1日、EWSはシェーナウの町への電力供給を開始した。市民が電力供給の権利を手にしたドイツ最初のケースだった。EWSは今ではドイツ全土の13万戸以上に自然エネルギーのみによる電力を供給する電力会社に発展したが、その経営方針は、今でも市民運動の理念に基づいている。 続きを読む»

シェーナウの奇跡、反原発の市民運動から生まれたエコ電力供給会社 2)

シェーナウの町議会が、これまで町への電力供給の権利を独占してきたラインフェルデン電力供給会社(KWR)の金銭的に有利な申し出を受け入れ、KWRとの再契約を前倒しで結ぶことを決定したのは1991年7月8日のことだった。市民運動側は今後20年間もKWRの独占体制が続くことに猛反発し、ただちにこの決定に異議を唱え、「町議会の決定を無効にするための住民投票を行うよう」要求した。彼らはすでに「自分たちで電力会社をつくり、KWRから電力網を買い取る」準備を始めていたが、この住民投票は、民主的な手続きに従って目標を実現するための長い、困難な闘いの始まりに過ぎなかった。

続きを読む»