ベルリンでは9月後半、東日本大震災と原発事故関連のチャリティーコンサートや講演会が立て続けに催された。まず、9月16日の日曜日、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のメンバーによる「相馬子どもオーケストラ」設立支援コンサートが開かれ、その1週間後の23日には福島の代表を迎えて「福島の子どもたちの内部被曝を考える」という講演会が、ベルリンの市民団体主催で開催された。さらに26日の水曜日、フィルハーモニー近くの教会では、東日本大震災で親を失った子どもたちを支援するためのコンサートシリーズがスタートした。これら3つの催しについて、個人的な感想を含めてお伝えする。
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野田政権は、9月14日、「2030年代に原発稼働ゼロ」を目指す新しいエネルギー政策「革新的エネルギー・環境戦略」をまとめた。福島第1原発事故の後「脱原発」の世論が高まったのを受けて、これまでの原発政策を大きく転換させたものだ。しかし、「40年で廃炉の基準を厳格に守る」「原発の新増設はしない」とする一方で、「原子力規制委員会が安全を確認したもののみ再稼働させる」として、再稼働を認める方針も明記した。また、太陽光や風力などの再生可能エネルギーの発電量を30年までに3倍にするとしながら、具体的な行程表は示されないなど、不十分で矛盾した点も見られる。それにもかかわらず世界第3位の原発大国、日本が脱原発宣言を行なったことは、国際社会に強い印象を与えたようだ。ドイツのメルケル首相は9月17日にベルリンで行なった内外記者との会見で「日本の脱原発の決定を歓迎する」と述べ、「再生可能なエネルギーの導入やエネルギーの効果的な利用、送電網建設などの問題で我々の経験を交換し、この分野で日本との協力を一層強化していく」考えを明らかにした。以下、日本政府の脱原発決定について9月15日のドイツの新聞論調をお伝えする。 続きを読む»
この夏私はオーストリアで10日間、すばらしい休暇を過ごした。なによりもオーストリアの自然、アルプスの高い山々と湖のある美しい風景が、印象に残った。とくにすばらしかったのは、ザルツカンマーグート地方にある絵のように美しい湖畔のハルシュタットの風景で、古くから岩塩の発掘で潤ったというこの小さな可愛らしい街は、1997年以降ユネスコの世界遺産に登録されている。こうした美しい街や由緒ある温泉保養地に泊まりながら各地の夏の音楽祭でオペラ やオペレッタを7つも見た。私の人生ではじめての贅沢な旅で、オペラファンとしては夢のような毎日だったが、この旅行で思い出したのは、オーストリアが 30年以上も前に脱原発を決めたことだった。そのいきさつを改めて思い起こし、現在のオーストリアのエネルギー事情についてお伝えする。
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長年ベルリンに暮らす“6人の魔女たち“が、日本に住む人たちのためにドイツの脱原発のプロセスや再生可能エネルギーについての情報を伝える日本語のサイトを立ち上げたのは、去年の8月15日だった。福島原発の事故による放射能の危険について、日独のマスメディアの報道に大きな違いがあったこと、また、日本に住む日本人とドイツに暮らす私たちの間の原 発に対する意識に大きな温度差があったことなどから、自分たちもドイツの多彩な情報を日本の人たちに伝えたいと願ってのことだった。実際に被害を受けた人 たちはなるべく被害を過小評価したいという心理が働くものだが、私たちは遠くに離れているからこそ、過酷な原発事故の現実を直視することができるのではな いか、との思いもあった。
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「原発がないと経済や産業が成りたっていかない」とか「自然エネルギーで電力需要をまかなうというのは非現実的」と信じている人が、日本ではいまだに多いようだ。しかし、ドイツにはさまざまな科学的知見と最高水準の技術を生かして複数の再生可能エネルギーを複合的に利用し、“エネルギー自治“に成功している市町村がすでにいくつもある。具体例として模範的な緑の村、南ドイツ・バイエルン州のヴィルトポルツリート(Wildpoldsried) 村を紹介する。
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「人間は自分たちの力で制御できないものを作り出してしまった」福島第1原子力発電所の事故の後、私たちはその恐ろしさを痛感した。複数の原子炉での人類初ともいえる今回の大事故をきっかけに、科学技術の限界や人間のおごりについて思いをめぐらした人は少なくない。文豪ゲーテの詩「魔王」の中にその象徴的な意味を見出した独文学者については前回ご紹介したが、もうひとりの独文学者、仙台で東日本大震災を経験した佐々木克夫東北大学教授も、福島原発事故に同じゲーテのバラード「魔法使いの弟子」を思い浮かべた。
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