ベルリンの雇用局も難民や移民のための「仕事メッセ」を開いて、就職斡旋に力を入れている。
2015年をピークに、大勢の難民がドイツに流入して以来、今年の夏で5年が経つ。内戦や身の危険を逃れてドイツに来たシリア人やアフガニスタン人、エリトリア人やイラン人。当初、彼らの運命に同情し、彼らを心から歓迎するドイツ人が大勢いた。しばらく前から労働力が不足気味のドイツにやって来た彼らを、将来の労働力として歓迎する経済人たちも少なくなかった。しかし、彼らを迎い入れるための経費は莫大だし、彼らを受け入れ、ドイツ社会に統合することは並大抵の作業ではない。彼らの中に初めからドイツ語を話した人はほとんどおらず、彼らの生活様式もドイツ人とは異なっているからだ。 しかも、彼らの多くはトラウマを背負っている。だが、ドイツ人が難民を受け入れる努力は、確実に実っていると思われる。 続きを読む»
ドイツ北部の街ハンブルクは、ハンザ同盟時代の「帝国直属都市」の伝統から、現在も市でありながら州と同等の扱いを受けている特別市である。2月23日に行なわれたハンブルク市議会の選挙は、今年2020年に行なわれる唯一の州選挙だったため、ドイツの政党の現状を示す選挙として、その結果が注目されていた。二大国民政党の全国的な退潮傾向が続く中、ハンブルクでの社会民主党(SPD)の予想以上の得票は、国民政党の今後のあり方を示す明るい兆候と言えなくもない。
19世紀後半に建てられた立派なハンブルク市庁舎©️www.mediaserver.hamburg.de
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先週ドイツは政治的な激震と津波に見舞われたような状況になった。まず、2月5日水曜日の午後、ドイツ全国に衝撃が走った。この日東部テューリンゲン州の州議会では新しい州首相選出の選挙が行われていたが、そこで予期しない、驚くべきことが起こったからだ。議会内最小の政党、自由民主党(FDP)の候補者によって、第一党である左翼党のボードー・ラメロー州首相が再選を阻まれ、その地位から追われるという事態になったのだ。よりによってリベラルなはずの自由民主党の候補者が奇襲作戦のような手口で、保守政党のキリスト教民主同盟(CDU)と右翼ポピュリズム政党である「ドイツのための選択肢(AfD)」の支持を得て、1票差で、新しい州首相に選ばれた。その陰謀めいたやり方と極右政党の支持を得たことが、「ワイマール共和国時代の二の舞」と批判を浴び、直ちにテューリンゲン州議会前やベルリンの自由民主党本部前などでは、多くの市民の抗議のデモが起こった。
選挙翌日の新聞は、予想と全く異なる結果になったテューリンゲン州首相選出の様子を詳しく伝えた
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ナチス・ドイツのアウシュヴィッツ強制収容所が、ソ連軍によって解放されたのは1945年1月27日のことだった。解放75周年を迎える今年は、1月27日を中心に、各地で追悼式典が行われる。その中でも、エルサレム、アウシュヴィッツ、ベルリンで行われる記念式典には、ドイツのシュタインマイヤー大統領とイスラエルのレウベン・リブリン大統領が揃って出席する。今日は、ドイツのメルケル首相が昨年12月6日、アウシュヴィッツを訪問して行った感動的な演説を振り返ってお伝えする。
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新年明けましておめでとうございます。2020年が世界の平和と環境にとってよりよい年になり、みなさまにも希望と幸せをもたらす年であることを、心からお祈りいたします。執筆者から一言ずつ、新年のご挨拶を申し上げます。
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11月20日の夜、ベルリンの比較的小さなイベント会場「アウスラント(ドイツ語で外国を意味する)は、19時の上映開始30分ほど前からほぼ満席、若い人たちが多くてムンムンするような熱気に包まれていた。後から来た人たちは階段に座ったり、冷たいコンクリートの床に直接腰を下ろしたりしなければならず、定員オーバーで入れない人も数人出てしまったという。主催者が確認できた入場者の数は86人、快適な環境で見られなかった人が多かったにもかかわらず、難しいテーマの122分もの長い映画「主戦場」をみんな食い入るように見て、その後のミキ・デザキ監督との質疑応答にも熱心に参加した。 続きを読む»