ドイツ、2038年までの「脱石炭」を閣議決定
1月29日ドイツ連邦政府は、2038年末までに褐炭と石炭による火力発電から撤退することを決めた法律を閣議で承認した。ドイツでは2022年末までに脱原発を行うことが決まっているが、それに続いて「脱石炭」も決めたことになる。
1月29日ドイツ連邦政府は、2038年末までに褐炭と石炭による火力発電から撤退することを決めた法律を閣議で承認した。ドイツでは2022年末までに脱原発を行うことが決まっているが、それに続いて「脱石炭」も決めたことになる。
フランスのフィリップ首相はこのほど、2018年のマクロン大統領の「エネルギー転換に関する10年計画」に示されたように、フランスで最も古い原発であるフェッセンハイム原発の原子炉第一号機をこの2月22日に、第二号機を6月30日に停止すると強調した。ライン川を挟んでドイツの国境からわずか100メートルも離れていないこの原発は、1977年の操業開始以来40年以上が経っており、何度も大小の事故を起こしているため、フランスやドイツ、そしてスイスの環境保護団体、またドイツ政府からも、1日も早く停止するように求められてきた。ただ、フランスはこの廃炉で完全な脱原発に踏み切るわけではない。現在フランスの発電量の72%を占める原発の割合を、2035年までに50%に下げる計画を立てているのだ。
先週ドイツは政治的な激震と津波に見舞われたような状況になった。まず、2月5日水曜日の午後、ドイツ全国に衝撃が走った。この日東部テューリンゲン州の州議会では新しい州首相選出の選挙が行われていたが、そこで予期しない、驚くべきことが起こったからだ。議会内最小の政党、自由民主党(FDP)の候補者によって、第一党である左翼党のボードー・ラメロー州首相が再選を阻まれ、その地位から追われるという事態になったのだ。よりによってリベラルなはずの自由民主党の候補者が奇襲作戦のような手口で、保守政党のキリスト教民主同盟(CDU)と右翼ポピュリズム政党である「ドイツのための選択肢(AfD)」の支持を得て、1票差で、新しい州首相に選ばれた。その陰謀めいたやり方と極右政党の支持を得たことが、「ワイマール共和国時代の二の舞」と批判を浴び、直ちにテューリンゲン州議会前やベルリンの自由民主党本部前などでは、多くの市民の抗議のデモが起こった。
ドイツでは毎年1月に、ドイツ語学研究者らが、過去1年間に耳にすることの多かった「不愉快な言葉」を選出する。「2019年の不愉快な言葉」大賞は「環境ヒステリー(Klimahysterie)」に決まった。昨年は、グレタ・トゥーンベリさんが発端の地球温暖化対策を求める生徒たちのデモ「Fridays for Future」が大いに盛り上がり、多い時には全国で何十万人もの生徒らが授業を休んでこのデモに参加した。それをサポートする「Scientists for Future」も誕生した。そしてドイツ政府は、これらに応じるかのように脱石炭や環境対策を決めた。市民や政治家たちが、こうして熱心に環境問題に取り組むことを批判する時に、頻繁に使われたのがこの「環境ヒステリー」という言葉だった。
ナチス・ドイツのアウシュヴィッツ強制収容所が、ソ連軍によって解放されたのは1945年1月27日のことだった。解放75周年を迎える今年は、1月27日を中心に、各地で追悼式典が行われる。その中でも、エルサレム、アウシュヴィッツ、ベルリンで行われる記念式典には、ドイツのシュタインマイヤー大統領とイスラエルのレウベン・リブリン大統領が揃って出席する。今日は、ドイツのメルケル首相が昨年12月6日、アウシュヴィッツを訪問して行った感動的な演説を振り返ってお伝えする。
ドイツ南西部、バーデン・ヴュルテンべルク州にあるフィリップスブルク原発2号機が計画通り2019年12月31日をもって、永遠に稼動を停止した。2号機(加圧水型原子炉)は、1984年12月に運転を開始し、35年間にわたって電力需要の多いこの地域に電力を提供してきた。最後の段階では、この地域の電力需要の6分の1をカバーしていたという。1979年に稼動を開始した古い1号機(沸騰水型原子炉)は、すでに福島原発事故直後の2011年3月17日に稼動を停止しているため、フィリップスブルク原発は、ここに40年の歴史を閉じたことになる。ドイツは2011年の福島原発の過酷事故の後、2022年までの段階的脱原発を決定した。当時は17基の原発があったが、これで稼働中の原発は残り6基となった。 続きを読む»