亡命者・難民への生活保障給付金は国内の生活保護支給額と同じに

ドイツに住んでいて「この国は凄い」と思うことが時々ある。この国の憲法であるドイツ連邦基本法の第一条、第一節に書かれている「人間の尊厳は不可侵である。これを尊重し、かつ、これを保護することは、全ての国家権力の義務である。 」という文章が、机上の空論でなく、実際に行政が取るべき行動の規範として機能しているからだ。そして国民の間には、この人間の尊厳ということに関し、コンセンサスが得られている。

政府が果たして基本法に従った政治を行っているかどうか(例えば、国内のある法律が人間の尊厳を傷つけることはないか)を判断するのはドイツ連邦憲法裁判所の役割であるが、その憲法裁判所がこのほど、政治的な理由で保護を求めて、あるいは内乱から身の危険を守るためにドイツにやって来た外国人たち(亡命者や難民)への生活保障給付金の給付額が、国内の生活保護受給者の受け取る額に対し大幅に少ないことは、人間の尊厳を傷つけるという理由で違憲の判決を下した。日本では昨今、生活保護受給者に対し不当なバッシングが起きているというニュースをしばしば耳にするが、日独両国間に存在する、人間一人一人の尊さ(尊厳)に対する捉え方の相違を感ぜずにはいられない。

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1周年を迎えたmidori1kwh.de

長年ベルリンに暮らす“6人の魔女たち“が、日本に住む人たちのためにドイツの脱原発のプロセスや再生可能エネルギーについての情報を伝える日本語のサイトを立ち上げたのは、去年の8月15日だった。福島原発の事故による放射能の危険について、日独のマスメディアの報道に大きな違いがあったこと、また、日本に住む日本人とドイツに暮らす私たちの間の原 発に対する意識に大きな温度差があったことなどから、自分たちもドイツの多彩な情報を日本の人たちに伝えたいと願ってのことだった。実際に被害を受けた人 たちはなるべく被害を過小評価したいという心理が働くものだが、私たちは遠くに離れているからこそ、過酷な原発事故の現実を直視することができるのではな いか、との思いもあった。

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月曜日から金曜日へ - 長い闘い

7月29日の日曜日の午後、「アンティ・アトム・ベルリン(Anti Atom Berlin)」が、日本での国会包囲行動に連帯するデモを行うことになっていた。ところが、ベルリンは朝からバケツをひっくり返したような雨。この豪雨にいささか気勢をそがれたが、雨天決行ということなので、降りしきる雨を恨めしく思っていた。しかし、ベルリンはころころと天気が変わるので、午後には何とかなるかと思っていたら、やはり午前中に雨はやみ、気温もデモにはちょうど良い感じになってきた。

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土でできたベルリンの礼拝堂

東西ベルリンを隔てる“悲劇の壁”があったベルナウアー通り。その壁を記念した壁公園の中に、「贖罪礼拝堂」が建っています。ここは以前「贖罪教会」のあった跡です。この礼拝堂の棟上式は1999年の壁崩壊10年後に、竣工式は2000年11月9日の壁崩壊記念日に行われました。完成後10年しか経っていませんが、昔からずっとこの土地に建っているかのような印象を受けるのは、使用されている建材のせいでしょうか。ここでゲニウス・ロキ1)を感じました。この礼拝堂についてはマスメディア、専門書、パンフレットなどで数多く紹介されていますが、私はこの建物を“みどりのめがね”をかけて見学しました。 続きを読む»

魔法使いの弟子

「人間は自分たちの力で制御できないものを作り出してしまった」福島第1原子力発電所の事故の後、私たちはその恐ろしさを痛感した。複数の原子炉での人類初ともいえる今回の大事故をきっかけに、科学技術の限界や人間のおごりについて思いをめぐらした人は少なくない。文豪ゲーテの詩「魔王」の中にその象徴的な意味を見出した独文学者については前回ご紹介したが、もうひとりの独文学者、仙台で東日本大震災を経験した佐々木克夫東北大学教授も、福島原発事故に同じゲーテのバラード「魔法使いの弟子」を思い浮かべた。

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福島の原発事故とシューベルトの「魔王」

みなさんはシューベルトの代表的な歌曲「魔王」をお聞きになったことがおありだろうか。私は今年5月19日に亡くなったドイツのバリトンの名手、フィッシャー=ディスカウ)の CDで、この「魔王」を久しぶりに聞いてみた。子供の死という恐ろしい出来事を予感させるような前奏で始まるこの曲は、ドイツの文豪ゲーテの詩をもとにつくられている。子供をさらう魔王、子供と父親の会話、語り手の語りからなるシューベルトの曲は非常にインパクトが強く、私は改めて強い印象を受けた。ゲーテの詩に基づくこの「魔王」を原発事故と結びつけて講義した大学教授がいる。 続きを読む»