電気を市民の手に - 動き出した「ベルリーナー・エネルギーティッシュ」

「ベルリーナー・エネルギーティッシュ(Berliner Energietisch)」という単語は、独和辞典には載っていない。Tischは机、テーブルを意味する。これにエネルギーという言葉がくっついて、「エネルギー問題を協議するテーブル」とでも言えば良いだろうか。エネルギーについて、テーブルを囲んで話し合おうということだ。

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パッシブハウスに生まれ変わった築40年の高層住宅

緑の町と知られているフライブルグ。そこに建つ築40年の集合住宅が改修され、世界初のパッシブ高層住宅として生まれ変わりました。ドイツ・パッシブハウス研究所が認めるパッシブハウスとは、暖房や給湯などに使う熱エネルギー需要が年間1㎡につき15kWh以下、それは床面積1㎡に対して費やす燃料が年間わずか1.5Lということです。冬の気温が零下15~20度にも下がっても、家の中はどこでも20度が普通ですが、このような環境に立つ高層住宅のエネルギー負荷が年間15kWh/m²と計算されました。しかし現実はどうでしょうか。

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エネルギー転換は共同体の事業

昨年4月4日から5月28日まで、ドイツ連邦政府の諮問機関「エネルギーの安全供給に関する倫理委員会」が会合を重ね、5月30日に「ドイツのエネルギー転換 - 将来に向けた共同体の作業」と題する報告書を提出した。それから9ヶ月以上を経た3月7日、ベルリンで「エネルギー転換プラットフォーム (Plattform Energiewende)」という研究活動グループが発足し、その記念の集まりが開かれ、政界、経済界、メディアから多くの人々が参加した。「みどりの1kWh」からも3名が出席した。

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脱原発、ドイツの歩み3)

「30年戦争の終わり」、歴史的な連邦議会の決定

 

「脱原発は、原子力利用をめぐる30年にわたる激しい議論の末の成果であり、これからの世代にまたがる大規模で重要な国家的プロジェクトである」と熱を込めて語るのは、レトゲン連邦環境相、2011年6月30日、ドイツ連邦議会でのことだ。この日の連邦議会ではメルケル政権が6月6日の閣議で決めた脱原発の政策と関連法案の審議が行なわれたのだが、環境相は政府を代表して脱原発の具体的な行程表について説明するうちに徐々にエスカレート。「ドイツほど自然エネルギー促進に野心的だった工業国はない」と鼻高々で述べ、「脱原発を実現することのできる国があるとすれば、それはドイツ」とさらに調子が高くなっていった。

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脱原発、ドイツの歩み 2)

メルケル首相の素早いエネルギー政策転換

日本時間の2011年3月11日14時46分、ドイツでは早朝の6時46分、この時を境に世界は変わった。
大災害の報道が伝えられた直後の3月12日に早くも大規模な反原発デモが行なわれたことは1)で伝えたが、メルケル首相も市民の反応に負けず劣らず、素早い動きを見せた。実は第二次メルケル政権は社会民主党と緑の党の連立政権だったシュレーダー政権がいったん決めた脱原発の方針を昨年9月にくつがえし、古い原発の運転期間を8年、1980年以降に運転を開始した比較的新しい原発の運転期間を14年、平均で12年間延長して、原発反対派の人たちの激しい反発を買っていたのだが、そのメルケル首相がこれまでの原子力政策を180度転換するような発表をして、人々を驚かせた。

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ドイツ市民は脱原発をどう思っているのだろうか

ドイツ政府と議会は、福島の原発事故を契機に、原発から撤退することを早々と決定したが、同国の市民は脱原発及びそれに伴う変化をどう考えているのだろうか。電気料金の値上がりや、各地に新しい発電所が建ったり、高圧送電線が近所を通過することは避けられないとされている。

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