福島の原発事故が起きた約2ヶ月後の5月初め、テレビ局のアルテ(Arte)で「第4の革命」という映画が放映されました。アルテについてはご存知の方も多いと思いますが、一言で紹介するなら、ドイツとフランスの共同出資による、文化番組を中心とするテレビ局です。
福島の事故について、メルトダウンしているというドイツと、メルトダウンはしていないという日本の報道の格差に戸惑い、何をどのように考えればよいのかわからない時期に、アルテが放映した「第4の革命」は再生可能エネルギーがもたらす未来の可能性を見せてくれました。
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ドイツ初の原子炉は研究用として1957年にミュンヘン郊外のガールヒングに建設された。初の商業用原子力発電所は1962年にマイン川沿岸の小さな村カールに完成している。当時、ドイツ経済は急成長を遂げており、原子力発電は大いに歓迎され、第二の産業革命を生むとまでも言われた。1960年代末までに西ドイツで運転を開始した原子力発電所は 6カ所に及んだ。
1973年のオイルショックは原発建設に一層の拍車を掛けたように見受けられた。1970年代に西ドイツで運転を開始した原子力発電所は11カ所となっている。1980年代には新たに13カ所で発電が開始されている。殆ど全てが1970年代に計画されたものである。
しかし一方で、放射能の危険に対する知識が国民の間に次第に広まっていくと、原発に対する不安も徐々に出てきた。
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福島第1原発の複数炉の事故に世界でもっとも敏感に反応したのは、ドイツの市民とマスメディアと政府だったと言えよう。物理学の博士号を持つメルケル首相は悲惨な事故を目にして原発の安全性について矢継早の対策をとった後、脱原発の方針を固めた。段階的に原発を廃止して2022年までにすべての原発から撤退するという保守・リベラル連立政権の方針を、連邦議会が賛成多数で承認したのは福島原発の事故からわずか3ヶ月あまりというスピードぶりだった。ドイツの脱原発の決定は、長年にわたる反原発の市民運動、緑の党や社会民主党を中心とする脱原発の政治的運動抜きには考えることができない。そのプロセスについて日本のマスメディアであまり詳しく報道されなかったということなので、数回にわたってお伝えすることにする。
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ドイツが今年6月、脱原発を決定した。そして世界は、ドイツがはたして脱原発に成功するかどうかを、見守っている。
「ドイツは2050年までに国内の電力需要を完全に再生可能エネルギーでカバーできる」とする研究結果を発表したのは、ドイツ連邦環境庁 (Umweltbundesamt) のヨッヘン・フラスバート (Jochen Flasbarth) 長官。既に1年前の2010年7月のことだ。その直前に、ドイツ環境問題専門家委員会 (Sachverständigenrat für Umweltfragen) と再生可能エネルギー研究連合 (Forschungsverbund Erneuerbarer Energien) もそのことが技術的に可能だという判断を下している。
環境庁は、2050年のドイツの電力需用量を506テラワット時と見ている。それに対し、2050年にドイツ国内で供給可能となる電力は、太陽光、風力、水力、地熱、バイオマス発電などの潜在能力を十分に活用した場合687テラワット時と予測している。従って、この発電値が達成できれは、原子力発電は無くて良い。電力の輸入も必要としない。
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