Author Archives: 永井 潤子

メルケル首相の新年の挨拶

ドイツでは、大晦日に連邦首相が国民に対して新年の挨拶を送るがことが恒例になっている。メルケル首相の、首相就任以来14回目の今年の新年の挨拶は、珍しく、いくらかの自己反省を込めたものだった 続きを読む»

メルケル首相の後継者としてCDUの党首に選ばれたAKK

©️CDU/Tobias Koch

12月7日、ドイツ中の注目が、ハンブルクで開かれたキリスト教民主同盟(CDU)の党大会に向けられたと言っても言い過ぎではないだろう。10月29日、メルケル首相が18年間その地位にあった党首を辞任すると発表し、その後継者を選ぶ選挙が行われたからである。候補者として名乗りを上げた3人、かつてメルケルのライバルだった経済通の弁護士、フリードリッヒ・メルツ氏(63歳)、前ザールラント州首相のアネグレート・クランプ=カレンバウアー幹事長(略称AKK、56歳)、イエンス・シュパーン保健相(38歳)は、立候補以来ドイツ各地の8ヶ所で集会を開き、一般党員の前でそれぞれの考えを明らかにしてきた。3人揃っての公明正大な選挙活動の結果、党員だけではなく多くの一般市民の関心も高まった。メルケル首相は、党首は辞任するが連邦首相の地位には2021年の任期までとどまる用意があると発表していた。しかし、CDUの党首を選ぶことは、次期連邦首相候補を選ぶことに通じると考えられているので、その結果が国際的にも注目された。代議員の投票の結果、次期党首に選ばれたのは、唯一の女性候補、アネグレート・クランプ=カレンバウアー氏だった。 続きを読む»

ドイツの女性参政権100年に思う

ドイツの女性参政権100年の記念式典でスピーチするメルケル首相©️Bundesregierung/Steins

「ツバメが1羽飛んで来たからといって、夏が来たことにはなりません。私が首相だからといって、男女平等が実現しているわけではありません。社会の各分野で完全な男女平等を実現するべきですが、そのためにさらに100年待つようなことがあってはなりません」。こう強調したのは、この13年間、ドイツの連邦首相の地位にあるアンゲラ・メルケル首相で、並みいる女性たちから拍手喝采をあびた。11月12日にベルリンの歴史博物館内のホールで開かれたドイツの女性参政権100年を祝う記念式典でのことだった。 続きを読む»

ベルリンの壁崩壊から29年、ドイツ統一から28年

28年もの長い間東西ドイツを分断していた「ベルリンの壁」が、思いがけなく事実上崩壊したのは、1989年11月9日の夜のことだった。当時旧東ドイツの改革を求める市民のデモが高まりを見せていたなか、東独の政治局員が記者会見でおこなった間違った発言がきっかけとなって、東西の境界線検問所に多数の東ベルリン市民が押し寄せた。混乱を恐れた検問所の係官は、検問所を開放せざるを得なくなったのだ。11月9日、ドイツは「ベルリンの壁」崩壊の29回目の記念日を迎えた。 続きを読む»

メルケル時代の終わりの始まり

10月30日、ドイツ中の新聞が一面トップにメルケル首相の大きな写真を載せた。ほとんどが前日のベルリンでの記者会見の写真を載せた中で、首都ベルリンの新聞「ベルリーナー・ツァイトゥング」は、彼女がキリスト教民主同盟(CDU)の党首に就任した直後の2001年の写真と前日の写真の二つを並べて掲載した。同じくベルリンで発行されている新聞「ターゲス・シュピーゲル」は、彼女が連邦青年女性相に就任した1991年の写真のみを載せたが、キャプションには「アンゲラ・メルケルは30年近く我々と共にあった」と書かれていた。前日の10月29日、メルケル首相は18年間務めたCDUの党首を辞任すると発表したのだった。ドイツ各紙のさまざまな論調をご紹介する。 続きを読む»

統一28周年を迎えたドイツ  ① 警鐘を鳴らした政治家たち

10月3日、ドイツは統一28周年の記念日を迎えた。東西ドイツを隔てていた「ベルリンの壁」が思いがけなく開かれたのは、1989年11月9日のことで、翌1990年10月3日、東西ドイツは早々と統一を実現させた。それから28年、東西の間に壁が存在した時とほぼ同じ年月が過ぎ去った。しかし、東西の差は今なお存在する。今年のドイツ統一の日は、統一を喜ぶだけではなく、統一の現状を批判し、社会の分断に警告する声が今までになく目立った。 続きを読む»