Author Archives: ツェルディック 野尻紘子

コロナ禍と二酸化炭素

コロナ禍は、ドイツの二酸化炭素の排出量にどう影響するだろうか。ドイツのエネルギー転換のシンクタンクであるアゴラは 、ドイツでロックダウンが敷かれ、社会生活の一部が停止した3月末に、この国の今年の二酸化炭素排出量を1990年比でマイナス40〜45%になるだろうと予測した。しかしロックダウンが解除されてからも、市民は感染を回避するために公共交通機関を避けて自家用車を優先させたり、多くの企業でインターネットなどを利用した在宅勤務やビデオ会議が導入されたり、娯楽面でも動画配信サービスが活発に利用されるなど、エネルギーの消費は減るだけではないように見受けられる。

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ドイツ、「国家水素戦略」を決定

ドイツ政府はこのほど、半年以上前から予定されていた「国家水素戦略」を決定、発表した。水素は、消費の際に地球温暖化の原因となる二酸化炭素を排出せず、用途の幅が広く、運搬と貯蔵も比較的容易で、将来のエネルギー源として世界中の工業国から大きな期待が寄せられている。地球上に無限に存在し、枯渇の心配がないことも魅力的だ。国家水素戦略は、コロナ危機による景気の落ち込みの回復を目指すドイツ政府の景気対策・経済振興策の一環として6月初頭に発表され、70億ユーロ(約8400億円)という巨大な規模のものだ。

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コロナ対策措置に苛立ちだした市民

新型コロナウイルスの拡散を防ぐために実施された規制措置が、ドイツの憲法である基本法にうたわれている行動の自由や集会の自由などの基本的権利を制限するとして、それに反対する人たちのデモが数週間来続いている。ここにきて、そのデモに極右や「新型コロナウイルスは疑わしい権力の陰謀だ」などと主張する人たちが大勢便乗参加し、規律を乱したり暴れたりして問題を起こしている。更に、行動を束縛されて不満に思ったり苛立ったり、あるいは自分の将来を心配したりする市民もそれに加わり、各地の大都市の広場で抗議運動を展開している。これが大きな社会問題に発展する可能性は少なくない。

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コロナ危機とドイツの学校

ドイツで、新型コロナウイルスの感染者数を抑えるために、ロックダウンが始まったのは、3月半ばだった。学校や幼稚園が閉鎖されたのもその頃で、イースターの祝日(今年は4月12/13日)より4週間も前のことだったが、学校のイースター休みを前倒しにして、しかも延長したような形のこの閉鎖に、反対する人はいなかった。ドイツの教育行政は本来なら州の管轄で、いつもなら全16州で足並みが揃うわけではないし、連邦政府が細かいことに口を出すこともできない。しかし、今回は前代未聞の学校の閉鎖が始まった後で、連邦政府と州政府が話し合いで、閉鎖をまず4月19日まで続けることに合意し、また、イースター祝日明けの15日に再び話し合いを設け、 次の段階について大まかな方針をまとめることになっていた。その話し合いで、学校は早くても4月20日から、段階的にしか始まらないこと、幼稚園は多分8月にならないと再開しないことなどが明らかになった。過去5週間、特に小さい子供たちの面倒を見てきた親たちが悲鳴をあげたり、デジタル授業についていけない子供たちを心配したりする教育学者や倫理学者は少なくない。

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ドイツ、コロナ被害の対策に、過去最大の補正予算

©️Bundestag/Axel Hatmann

新型コロナウイルスが高速度で広がる中 、通常はあまり多く使われないのだが、このところドイツで毎日耳にする言葉が 「先例なし」だ。夏休みでもないのに学校や幼稚園が5週間も閉鎖したり、映画館、図書館、生活必需品以外の物を売る店やレストラン、そして喫茶店までが一斉に閉まってしまったりするのは、本当に前例なしだ。そして、できるだけ家にとどまり、一緒に住んでいる家族など以外の人とのコンタクトを避け、他人と接する場合には1.5  mの間隔を空けなくてはいけないなどということも前代未聞だ。注文が入らないので倒産寸前の企業もあるし、大企業でさえ、部品が届かないので工場を一部閉鎖するところも現れている。経済活動が停滞し、 収入が急激に減ったり無くなったりする人たちを援助することや、企業の倒産を避けること、そしてこのコロナショックが過ぎ去った後の経済・企業活動を考え、ドイツでは種々対策が練られている。その一つとして、ドイツ連邦議会は25日急遽、1560億 ユーロ(約18兆7200億円)の補正予算を可決した。これまた、先例なしの規模と速さだった。

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ドイツの難民、半数が正規雇用

ベルリンの雇用局も難民や移民のための「仕事メッセ」を開いて、就職斡旋に力を入れている。

2015年をピークに、大勢の難民がドイツに流入して以来、今年の夏で5年が経つ。内戦や身の危険を逃れてドイツに来たシリア人やアフガニスタン人、エリトリア人やイラン人。当初、彼らの運命に同情し、彼らを心から歓迎するドイツ人が大勢いた。しばらく前から労働力が不足気味のドイツにやって来た彼らを、将来の労働力として歓迎する経済人たちも少なくなかった。しかし、彼らを迎い入れるための経費は莫大だし、彼らを受け入れ、ドイツ社会に統合することは並大抵の作業ではない。彼らの中に初めからドイツ語を話した人はほとんどおらず、彼らの生活様式もドイツ人とは異なっているからだ。 しかも、彼らの多くはトラウマを背負っている。だが、ドイツ人が難民を受け入れる努力は、確実に実っていると思われる。 続きを読む»