Author Archives: ツェルディック 野尻紘子

これが“将来の家”?

消費するエネルギー全てを自給するハイテク一軒家がベルリンの町中に登場した。「エフィツィエンツ・ハウス・プルス(高効率ハウス)」と名付けられたこの家、ドイツ連邦交通・建設・都市開発省が情報提供兼研究目的のモデルハウスとして、現在導入可能な種々の技術を駆使して建てた快適な家だ。一方でエネルギーを生産し、他方ではエネルギーの浪費を極度に減らし、余剰電力で自家用電気自動車に電源を提供する。この3月から15ヶ月間の実用試験が始まり、抽選に当たった4人家族がそこに住み、技術や住み心地をテストすることになっている。

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脱原発でアウトバーンの疾走に終止符?

速い車と速度制限のない高速道路アウトバーンが有名なドイツ。カール・ベンツが自動車を発明して今年で丁度125年になるが、国の脱原発決定で、ひょっとするとガソリンエンジンがお払い箱になり、車の疾走に終止符が打たれるようになるかも知れない。

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放射能で女児の出生数減少

ドイツで、高濃度使用済み核燃料がニーダーザクセン州のゴアレーベンにある中間貯蔵施設に貯蔵されるようになった1995年以降、施設周辺で女児の出生数が明らかに減っている、とベルリンの日刊新聞「デア・ターゲスシュピーゲル(Der Tagesspiegel)」が報道している。ニーダーザクセン州厚生局の公表前報告書による。この報告書により、ミュンヘン在のヘルムホルツ・センターの科学者たちが既に発表していた調査結果が広範囲に渡り確証されたことになるという。

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ドイツ市民は脱原発をどう思っているのだろうか

ドイツ政府と議会は、福島の原発事故を契機に、原発から撤退することを早々と決定したが、同国の市民は脱原発及びそれに伴う変化をどう考えているのだろうか。電気料金の値上がりや、各地に新しい発電所が建ったり、高圧送電線が近所を通過することは避けられないとされている。

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ドイツの長い反原発運動の歴史

ドイツ初の原子炉は研究用として1957年にミュンヘン郊外のガールヒングに建設された。初の商業用原子力発電所は1962年にマイン川沿岸の小さな村カールに完成している。当時、ドイツ経済は急成長を遂げており、原子力発電は大いに歓迎され、第二の産業革命を生むとまでも言われた。1960年代末までに西ドイツで運転を開始した原子力発電所は 6カ所に及んだ。

1973年のオイルショックは原発建設に一層の拍車を掛けたように見受けられた。1970年代に西ドイツで運転を開始した原子力発電所は11カ所となっている。1980年代には新たに13カ所で発電が開始されている。殆ど全てが1970年代に計画されたものである。

しかし一方で、放射能の危険に対する知識が国民の間に次第に広まっていくと、原発に対する不安も徐々に出てきた。

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