トランプ政権誕生の衝撃の中で開かれた今年のベルリン映画祭
2月9日から19日まで開かれた第67回ベルリン国際映画祭は、ハンガリーの女性監督イルディゴ・エンエディ監督の映画「On Body and Soul」を金熊賞に選んで閉幕した。食肉処理場で働く男女の夢を中心にしたラブロマンスというユニークな設定と森の中の鹿のオスとメスの美しい映像が繰り返し現れるこの映画の金熊賞受賞は、政治的、社会的なテーマが中心と思われているベルリン映画祭としては異例の決定だと受け取った人が多かったようだ。しかし、映画祭の2日目に上映されたこの映画は、小品ながら素晴らしい映画として、私の印象に残っていた。今回は、トランプ政権誕生直後に開かれたベルリン映画祭の間、20本ほどの映画を見た私自身の個人的で独断的な感想をお伝えすることにする。
今年のコンペティション部門の審査員長を務めたオランダのポール・バーホーベン監督は、映画祭のはじめに「審査員が賞の基準にするのは、社会派映画であるかないかではなく、質のいい映画であるかないかである」と特に強調していたが、ハンガリー映画の金熊賞受賞は、その通りの決定だったと言える。
今年の金熊賞の最も有力な候補と見なされていたのは、絶大な人気を誇るフィンランドのアキ・カウリスマキ監督の難民問題をテーマにした「The Other Side of Hope」 だった。船に潜り込んで偶然ヘルシンキにたどり着き、不法滞在する若いシリア人男性が直面する差別や排斥、そうした動きに抵抗する住民たちの温かさや支援ぶり、それと並行して家庭も商売もうまくいかず、再出発をはかろうとする中年のフィンランド人男性の人生が、絡みあいながらドラマが進行するが、そこにはカウリスマキ監督独特のユーモアが散りばめられ、深刻なテーマを扱いながら楽しめる映画になっていた。特に新しくレストランを開いたがうまくいかなかったフィンランド人の中年男性が、従業員のアイディアを受け入れ寿司屋を開く場面には笑ってしまった。その寿司屋では、お寿司の上に大きなわさびの塊が乗り、繁盛しすぎて寿司ネタがなくなると、ニシンの缶詰を開けて代用するのだった。あとで聞いたところによると、カウリスマキ監督はお寿司が大好きで、わさびも大好きなのだそうだ。授賞式で、この映画が金熊賞ではなく、銀熊監督賞を受賞することが発表された時、会場内から驚きの声が上がったという。監督自身も銀熊賞のトロフィーを受け取りに来ないので、司会の女性と映画祭の最高責任者コスリック氏が、舞台を降りて、監督の席までトロフィーを届けるという一幕もあった。銀熊賞審査員グランプリを受賞したのは、アラン・ゴミ監督のアフリカをテーマにした映画、「フェリシテ」だった。コンゴ民主共和国の首都キンシャサのバーで歌手として働き、貧しいながら自立して生きようとする女性が、交通事故にあった息子の手術代を生み出そうと奮闘するストーリーだが、植民地時代の宗主国に対する批判が背景になっている。金熊賞以外はやはり、社会派映画が受賞している。
今年の映画祭のオープニングを飾ったのは、フランスのエチエンヌ・コマー監督の映画「ジャンゴ」だった。「ジプシー・スイング」の名手としてパリで人気を集めたギタリストで作曲家のジャンゴ・ラインハルトが、第二次世界大戦中ナチ占領下のフランスでシンティ・ロマとして迫害された実話を基に作られた映画で、上映直後は「政治的なテーマを取り上げると同時にギター音楽という娯楽性にも富んだ映画で、ベルリン映画祭のオープニングを飾るのにふさわしい作品だ」という評価もあった。これまでナチに迫害されたユダヤ人をテーマに作られた映画は数多くあるが、ナチのシンティ・ロマへの迫害を正面から取り上げた映画を、私は寡聞にして知らない。この映画は、生き延びたジャンゴが、ナチスドイツの犠牲となったシンティ・ロマの人たちを追悼して作曲した「レクイエム」の演奏で終わるが、この映画に、私自身は感動した。
冒頭の森の中で焚き火を囲みながらギターで、弾き語りをする盲目のシンティ・ロマの老人が突然ナチに撃たれて死亡する場面や、雪の中フランス側から国境を超えてスイスに逃れようとするジャンゴが、追われて大事なギターで必死で雪を掘り、雪の中にすっぽり姿を隠す場面など、印象的なシーンも少なからずあった。しかし、この映画はいずれの賞の下馬評にも上がらず、上映後は全く忘れられた形になったのは、私には不思議なことだった。ジャンゴの逃亡を助けた金髪の愛人の役割に、不自然な面もあったが、こういう映画を作ったフランス人監督に敬意を覚えた。コマー監督は映画の製作者及びシナリオライターとして豊かな経験を持つ人だが、監督としてはこの映画がデビュー作品である。ジャンゴ役を演じた俳優レダ・カテブはこの役のためギターの猛練習を積んだという。
今年の主演男優賞は、普段は離婚した母と暮らす反抗期の息子と父親とのギクシャクした関係を取り上げたドイツ映画「明るい夜」の父親役、オーストリアのベテラン俳優、ゲオルク・フリードリッヒが受賞したが、これも私にはあまり納得がいかなかった。日本のある記者は「主演男優賞は日本のサブ監督の『ミスター・ロン』の主役、殺し屋役を演じたチャン・チェンという選択肢もあったのではないか」と書いていたが、私はジャンゴ役のレダ・カテブという選択肢もあったのではないかとさえ思った。難民問題や少数派迫害をテーマにした映画を見ながら、いつも私の頭から離れなかったのは、難民やイスラム教徒排斥を前面に掲げるアメリカのトランプ大統領のことだった。そして、ベルリン映画祭ではやはり、トランプ大統領の主張や政策に反対する映画が中心になっていると確認し、ホッとしたのだった。
その点で歴史の皮肉を感じさせたのは、コンペ部門ではなく、ベルリナーレ・スペシャル部門で上映された英語のドイツ映画「グッバイ・ジャーマニー」(ドイツ語のタイトルはEs war einmal in Deutschland、サム・ガルバルスキー監督) だった。これもほぼ実話に基づいているとされている。時は第二次大戦がドイツの敗北で終わった1946年のフランクフルト。そこではホロコーストを生き延びたドイツ系ユダヤ人たちが、いずれアメリカに行くことを夢見て、キャンプのようなところで暮らしている。彼らの最大の関心事は、かつての故郷、加害の国ドイツにとどまるか、お金をためてアメリカに移住するかという問題だった。この映画の主人公は、代々フランクフルトで、シーツやベッドカバーなどの衣料品を商って成功した家の息子、デーヴィッド。彼の家族はホロコーストで生命を落とし、かつての店も爆撃で破壊されたまま。デーヴィッドは仲間のユダヤ人を誘って戦後のドイツに不足していた新しいシーツなどの移動販売を始めるが、機知に富んだ彼のやり方が功を奏して大繁盛。結局ほとんどの仲間がアメリカに移住するが、一人だけ残ったのはデーヴィッドで、父や祖父と同じように衣料品販売で成功して新しい綺麗な店をフランクフルトに構える。彼は第二次大戦中、生き延びるためにナチに協力した疑いが持たれ、戦後アメリカ占領軍に呼び出されて尋問を受けるというのが第2のテーマだが、そのアメリカ軍の女性将校と恋に落ちるというおまけもつく。深刻なユダヤ人問題を扱いながら、笑いや風刺に溢れた映画だが、かつては「自由の国アメリカ」として迫害されたユダヤ人たちの憧れの国であったアメリカで、移民や少数派排斥を唱える大統領が誕生し、彼らにとって一刻も早くさよならしたい国だったドイツが今や難民たちの目指す国となっている現実は、歴史の皮肉以外のなにものでもないと感じたのだった。
最後にもう一つ感動した映画について書いておきたい。それは、パノラマ部門に参加した日本の荻上直子監督の「彼らが本気で編む時は」である。トランスジェンダー(性同一障害)という難しいテーマを題材にした映画で、108の煩悩という仏教の概念を提示しながら、多様なカップルや家族の形をポジティブに示した良い作品になっていた。この映画の最初の上映には、荻上監督以下主要な出演者が出席したが、映画が終わった後、観客の拍手が鳴り止まなかった。上映が始まる前には、主役の一人である少女、トモちゃんを演じた柿原りんかさんだけがドイツ語で挨拶して、盛んな拍手を浴びていた。この映画はパノラマ部門観客賞第2位で、性的少数者をテーマにした映画を対象としたテディー部門の審査員特別賞を授与されている。
日本のベルリン映画祭参加作品には殺人や暴力を扱ったものがこれまで多く、社会性のある映画が少ないと感じていたが、性同一障害という難しいテーマをわかりやすい形で取り上げた映画が女性監督の手で作られたことを、とても嬉しく思った。ついでながら、福島の原発事故から6年経った段階で、福島の現状を扱ったドキュメンタリー映画や再生可能エネルギーをテーマにした日本映画はないかと探したが、1本もなく、残念に思った。