ベルリンで世界の平和を祈る
毎年8月にはここベルリンでも、原爆投下に関連して、さまざまな平和を願う催しが行われる。今年も平和に対する音楽の力を強調したコンサートが幾つか開かれた。その様子をご紹介する。
8月5日、金曜日の夕方、ベルリンの日本大使館のホールでは、広島、長崎の原爆投下の犠牲者を悼む平和コンサートが催された。各国の外交官や政治家、ジャーナリストらを招いての日本大使館主催の平和コンサートが始まってから今年で8年目、これまでは音楽が始まる前にドイツの政治家や学者などを招いての講演会が開かれてきた。例えば、みどりの党の女性政治家で連邦議会副議長を務めたアンチェ・フォルマー氏、ブラント元西独首相とともに東方外交を推し進め、東西両陣営の緊張緩和に務めた社会民主党のエゴン・バール氏、あるいは17年間もドイツの外相を務めた自由民主党のハンス=ディートリッヒ・ゲンシャー氏などが、それぞれの体験を通した平和への願い、あるいは具体的な平和への努力を語った。
今年はそうした講演会はなく、八木毅大使が挨拶し、今年はアメリカのオバマ大統領の広島訪問が実現したほか、それに先立つ外相会議で日本を訪れた各国外相が揃って広島を訪問した事実をあげ、原爆の悲惨さを各国の首脳が身を持って体験したことで、核兵器を無くそうという人類の悲願に一つの希望が見られたと強調した。また、ドイツ政府の軍縮問題担当顧問、パトリシア・フロア博士(女性)は、第二次世界大戦で近隣諸国に大きな被害を与えた日本とドイツは、世界平和を実現する上で特に重要な役割を果たす責任があると指摘した。八木大使は、対立や憎しみを和らげる上で音楽が大きな効果を持つと平和コンサートの意義を述べたが、確かにこのコンサートは素晴らしいものだった。アメリカ生まれの16歳のピアニスト、ガレット・宇見さん(母親が日本人)の弾くブラームスやショパン、ベルリン・コーミッシェ・オーパー・オーケストラのコンサートマスターを務める米沢美佳さん、クライフ・カルナリウスさん(チェロ)、小林雅英(ヴィオラ)さんからなる三重奏団のシューベルトの曲も素晴らしかったが、何と言っても圧巻は、この4人が演奏したシューマンのピアノ協奏曲変ホ長調、作品番号47番だった。この曲をうっとりと聞いて幸せな気分になったが、音楽に酔うあまり、悲惨な原爆の犠牲者に対する追悼の気持ちが、前面に出なかったことに、私自身は反省した。
翌8月6日、広島への原爆投下の日に、ベルリンのヴィルヘルム二世皇帝記念教会で行われた核戦争防止国際医師会議(IPPNW)主催の記念コンサートは、原爆の犠牲者を悼み、平和を念ずるコンサートに真に相応しいものだった。この教会は広島の原爆ドームと同じように、爆撃で破壊された建物を戦争への警告としてそのまま残していることで有名だが、同教会のマルティン・ゲルマー牧師、日本大使館の岩間公典公使などの挨拶の後、演奏の間に行われたIPPNW音楽担当、ペーター・ハウバー博士の「ノー・モア・ヒロシマ」と題する講演が特に心に響いた。
ハウバー博士はアメリカで原爆が生まれ、広島、長崎に投下されるまでの歴史を、関係者の言葉を引用しながら克明にたどった。相対性原理を発見したユダヤ系ドイツ人の物理学者アインシュタインが、当時のアメリカのルーズベルト大統領に原爆の開発を進めるよう出した手紙、ナチスドイツが先に原爆の開発に成功することを恐れての手紙だったが、後年アインシュタイン自身、そういう手紙を出したことを後悔したこと、開発に携わったアメリカのチームに属した学者たちは、最初はナチスドイツが原爆を悪用することを恐れたが、のちにはアメリカ政府の悪用を恐れるようになったことなどを博士は話した。ハウバー博士の講演の前半は、広島に原爆を投下したエノラ・ゲイ号のパイロットの言葉で終わる。
原爆投下後広島の街を見下ろした。それは燃えたぎる黒い油の入った巨大な鍋のようだった。
この燃えたぎる油の黒い大きな鍋の中には、大勢の人間がいた。即死した人は少なくとも7万人、原爆の後遺症でのちに亡くなる人の数は、正確には決してわからない。爆心地から1キロ以内にいた人は86%が即死、地上は摂氏1000度以上、ガラスや鉄も溶けアスファルトは燃え、巨大な火の玉が毎時250キロの速さで動いたという。
原爆投下時のドラマチックな描写を終わるとハウバー博士は、全員に黙祷をするよう求めた。
同博士の講演の後半は広島・長崎以後の世界の核兵器の現状について述べたものだが、引用されたブレスラウ(かつてのドイツ領、現在はポーランド領)生まれの哲学者、ギュンター・アンダースの言葉は痛切である。
ヒロシマはいたるところにある。(原爆の発明によって)我々人類は大きな攻撃を受けた。人間性全体が攻撃され、それに対して我々は、防御しなければならない。しかし、どうやって?
我々はノーモア・ヒロシマを実現しなければならない、しかしどうやって?
この問いで博士の講演は終わった。ハウバー博士はその後、音楽の効用、すなわち破壊や憎しみの対極にある音楽の、和解と慰めをもたらし、生きる喜びを呼び起こす力を強調し、その力を発揮するよう16歳のピアニスト、ガレット・宇見さんに求めた。天才少女の一人とみなされる宇見さんも、その求めに応じて情熱的に彼女の音楽を披露したが、博士の最後の問い、「どうやって?」という問いは重く残った。一人一人が考えなければならない重要な問題として。
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