二人の日本人のノーベル賞受賞

永井 潤子 / 2015年11月15日

10月に日本に一時帰国し、3週間あまり滞在した間、日本は日本人二人のノーベル賞受賞発表の喜びで沸き返っていた。10月5日、大村智(さとし)北里大学特別名誉教授のノーベル医学生理学賞受賞の発表に続き、翌6日には、東京大学宇宙線研究所所長の梶田隆章(たかあき)教授の物理学賞受賞が発表された。その直後に帰国した私も早速その興奮の渦に巻き込まれた。 

二人の日本人科学者のノーベル賞受賞の朗報は、日本の自然科学界だけではなく、社会全体に大きな希望を与えたが、日本では特に大村氏が山梨大学、梶田氏が埼玉大学という地方大学出身で、東大とか京大とかのエリート大学卒業でないことも注目された。

素粒子ニュートリノに重さがあることを証明した功績が評価された梶田氏の物理学賞の方は、私の理解を超える分野だが、医学生理学賞の方は非常にわかりやすい。2015年のノーベル医学生理学賞は、半分が大村智教授とアイルランド出身でアメリカ・ドリュー大学名誉研究フェローのウイリアム・キャンベル氏に、後の半分は中国人女性の中国中医科学院のトゥー・ユーユー氏に授与されることになった。大村氏とキャンベル氏は寄生虫病の特効治療薬「イベルメクチン」の開発が、トゥー・ユーユー氏は「寄生虫による感染症とマラリアの治療法の発見」の業績が評価されたものである。伝統的な中国医学の方法で成果をあげたトゥー・ユーユー氏は、中国人としては初めて、医学生理学賞を受賞した女性としては、ノルウエーのマイブリット・モーザー氏に続いて二人目の受賞者である。

山梨県韮崎市出身の大村氏は、1974年、静岡県伊東市川奈のゴルフ場近くで採取した土の中から、有益な物質をつくるカビに似た細菌、これまで知られなかった放線菌を発見、分離した化学物質を「エバーメクチン」と名付けた。このエバーメクチンは動物に寄生する寄生虫の退治に効果のある物質であることがわかった。大村氏はこれをより効率のいい薬剤とするため、共同研究をしていたアメリカの大手製薬会社メルク社に送った。当時、メルク社の動物寄生虫に関する専門研究者だったキャンベル氏は動物実験で効果を確かめ、エバーメクチンの分子構造の一部を変えた化学物質、今回の受賞理由となった「イベルメクチン」を開発した。

このイベルメクチンは実験段階で、寄生虫が5万匹もいるような牛に1回飲ませただけで、寄生虫のほとんど、99、6%がいなくなるという劇的な効果を示した。当初は動物の治療薬とみなされたが、その後人間にも効果があることがわかり、ヒト用のイベルメクチンが開発された。この薬は特にアフリカや中南米で広がる熱帯の感染症「河川盲目症」に効果があり、1987年以降WHO(世界保健機構)に無償で提供されている。 薬はアフリカを中心に広く使われ、1997年の1年間には3300万人が失明から救われた。今でも年間4万人が失明から救われ、WHOは2020年までに河川盲目症で失明する人をゼロにする計画だという。日本国内でも疥癬の治療薬や沖縄で発生する糞線虫症の特効薬としても使われているという。

「世界的な貢献をしたこんな素晴らしい科学者が日本にいるなんて全然知らなかった」と興奮したが、その大村氏と私が、わずかながら接点があったことを知った後は、私の「大村熱」はとどまるところを知らなくなった。実は私はここ数年、一時帰国するたびに友人の八ヶ岳の別荘に連れて行ってもらい、その帰りに韮崎の温泉に入り、温泉の隣にあるお蕎麦屋さんで美味しいお蕎麦を食べるのを楽しみにしてきた。地元のおばさんたちがのんびり入っているようなこの温泉も、隣のお蕎麦屋さんも、大村氏が地元の人たちのためにつくったものだと今回初めて知って、びっくり仰天した。その向かいが大村氏の実家で、近くに大村氏が建てた美術館があることも、「花より団子」派の私は全く知らなかった!

大村氏のあげた業績も素晴らしいが、人生そのものが素晴らしい。農家の長男に生まれ、大学へは行かないつもりだった氏が高校3年の時、「勉強したいなら大学へ行ってもいいぞ」という父親の言葉に発奮して急遽猛勉強し、地元の山梨大学の自然科学科に入った。卒業後は地元の教師になるつもりだったが、卒業の年は地元で応募がなく、東京都の墨田工業高校定時制の教師になった。これが科学者としての大村氏の出発点になった。そこで、昼間働いて夜真剣に学ぶ生徒たちの姿に感動し、自分も一念発起して東京理科大の大学院で化学を学び直し、山梨大学助手をへて北里研究所の研究員へ。同研究所の創立者、北里柴三郎の偉大な業績に感動して、尊敬の念を強める。大村氏は北里研究所の研究員時代も、抗生物質のロイコマイシンの各成分の分離と構造決定を行うなど、数々の業績をあげている。

1971年9月、36歳でアメリカのウエスレーヤン大学に客員教授として招かれた後は、ノーベル賞受賞者など世界一流の研究者との交流が広がっていく。3年の予定を1年残した時に北里研究所から帰国命令が下ると、研究条件の恵まれたアメリカでこのまま研究生活を続けたいという気持ちを抑えて帰国したが、帰国前には研究費の乏しい北里研究所のためにアメリカの企業を回って研究費を集めた。当時の日本では産学協同を唱える人など、まだ誰もいなかったが、アメリカ・メルク社との共同研究の道筋をつけたのも、この時だった。その共同研究からイベルメクチンが開発され、今回のノーベル賞受賞につながったのだ。メルク社が支払ったイベルメクチンの売り上げに対するロイヤルティー(特許による収益)、270億円のうち約250億円を財政困難だった北里研究所に入れ、研究所の立て直しを図ったという。

他人より遅れて科学者としての道を歩み始めた大村氏の研究の成果はイベルメクチンの開発だけに止まらないが、帰国後の日本で研究環境の改善、若い人たちの人材育成のために尽くした功績も研究の成果同様注目に値する。「微生物由来の有用物質の発見」に力を入れる大村研究室の関係者は、大村氏を先頭に全員がいつも小さなビニール袋とスプーンを持ち歩き、ありとあらゆるところの土を採取した。それらの土壌から微生物を分離する方法を改良し、新しい発見を次々に行った。そうした地道な努力を続ける一方で、大村氏は1975年4月北里大学薬学部教授に就任すると、国際的な学術集会、KMC セミナーを立ち上げ、外部から著名な科学者を呼んで講演してもらい、一流の学者と若い学生が直に触れ合う機会をつくった。2008年3月に講演が500回を迎えたが、500回の講演者は日本人が322人、外国人が178人、学生が76人だったという。内外の講演者の中にはノーベル賞受賞者も多数いるというから、すごい! 大村氏の幅広い研究活動、卓絶した識見と行動力、人柄、基本的な生き方、さらには経営能力や美術への造形の深さなどについては、科学ジャーナリストの馬場錬成氏が、その分厚い著書『大村智、2億人を病魔から守った科学者』(中央公論新社、2012年刊)の中で尊敬の念を込めて詳しく記している。

私はベルリンに戻ってから、ドイツの新聞が大村氏のノーベル医学生理学賞受賞をどう伝えていたかを調べてみた。大村氏は数々の国際的な賞を受賞しており、ドイツ科学アカデミー「レオポルディーナ」外国人会員であり、ドイツのロベルト・コッホ・ゴールドメダル受賞者でもある。そのため、ドイツでも専門家の間ではよく知られているようで、そのためか、ドイツの新聞各紙も私の予想以上に受賞理由の研究について詳しく伝えていた。分かりやすく説明していることに感心したのは私の購読する新聞の一つ、ベルリンで発行されている日刊新聞「ベルリーナー・ツァイトゥング」だった。「一人はたくさんの薬草を集め続け、一人は土を掘り続けた。そして二人ともこうした一見単純に見える方法で、熱帯地方で毎年何百万人という人間を救うことのできる特効薬を発見した。マラリアや河川盲目症などの熱帯病に対する薬を開発した学者たちに今年のノーベル医学生理学賞が授与されることになったのは、ノーベル賞委員会の異例の決定である」。同紙の科学欄の記事はこう書き始めた後、それぞれの業績についてかなり詳しく紹介していた。

私が購読しているもう一つの新聞、ミュンヘンで発行されている全国新聞「南ドイツ新聞」も次のように書いている。「マラリアの被害は世界の100カ国以上に及んでいる。WHOの最近の発表によると、今年だけでも、2億1400万人がマラリアにかかり、約43万8000人が死亡している。また、アフリカでは寄生虫による「河川盲目症」や「象皮症」にかかる人が年間4000万人にのぼっている。こうした病気に対する特効薬を開発した科学者たちは、多くの患者を助けただけでなく、発展途上国の貧困との闘いに貢献した。発展途上国に関する貢献は見逃されがちだが、今年のノーベル委員会の決定は政治的なメッセージを含んでいる」。同紙はまた専門家や関係者の様々な発言も紹介している。「これらの薬の効果はめざましいものだが、個々の患者にとっては病気が治ることはさらに貧困生活に陥らなくてもいいことを意味する」(ノーベル委員会審査員の一人、ハンス・フォルスベルク氏)。「二つの特効薬は自然界に存在する有機物質から作られた。我々が将来にわたってこのような特効薬を発見できるためには、生物学的な多様性を今後も維持することが非常に重要である」(ハンブルクのベルンハルト・ノホト熱帯病研究所の寄生虫研究家、エブゲルト・タンニヒ氏)。「マラリアなど忘れられた熱帯病などの研究が今回評価されたことは、非常に重要である。しかし、まだまだやるべきことは沢山ある(国境なき医師団)。

大村氏の業績だけではなく、その人間性に注目した記事はないかと探したが、それはなかった。「南ドイツ新聞」も伝統的な中国医学の方法で成果をあげた中国の女性科学者、トゥー・ユーユーさんについては、1ページをさき、中国の専門家であると同時に医学史研究家のパウル・ウンシュルト氏の詳しい記事を掲載していたが、大村氏個人の紹介記事はこれまでのところはみあたらない。逆に私は、同じアジアの日本の新聞が中国の女性医師の東洋医学の伝統に基づく画期的な業績をなぜ大きく取り上げないのか、ちょっと不思議に思った。

ドイツの新聞の多くが、大村氏が受賞後NHKとのインタビューで語ったという言葉「私が本当にノーベル賞をもらっていいのでしょうか? 私は微生物を研究してきただけ。本当は微生物たちに賞を与えるべきでは?」という言葉を伝えていた。医学生理学賞の受賞者が全員80歳以上で、その研究が1970年代に遡ることを指摘したドイツの新聞もあった。1番若いのが大村氏で80歳、共同研究者のキャンベル氏は85歳、中国のトゥー・ユーユー氏は84歳である。大村氏たちが開発した寄生虫の特効薬は、ドラマチックなほどの効果がある上、副作用がほとんどないが、マラリアの方は、特効薬のアルテミシニンに抵抗力を持つ菌がその後生まれていることも、私はドイツの新聞で知った。

私自身の「大村熱」の方は今のところ少し鎮静期を迎えているが、12月10日の授賞式の頃に再発しそうな予感がしている。

 

Comments are closed.