スポーツメディア・サッカー・難民

まる / 2015年10月4日

2015年9月は、シリアなどからドイツへやってくる難民の報道が、ドイツのメディアを席巻した。このテーマを扱ったのはテレビのニュース番組や一般紙だけではない。スポーツ番組やサッカーの専門誌も、すぐに反応したのが興味深かった。

8月末、サッカー•ブンデスリーガのスタジアムでは、「難民、歓迎」という文字が入ったバナーが掲げられていた。9月上旬、土曜日の夜に放送される人気番組「スポーツ・ショー」には、3人のゲストが招かれた。ベルリンから近いポツダム市で結成された難民だけのサッカーチーム、「Welcome United 03」のキャプテンで、難民認定を待つソマリア人青年、アブディハフィド・アフメドさん、ボルシア・ドルトムントのディフェンダーで、旧ユーゴスラビアから逃れた経験のあるネヴェン・スボティッチ選手、そしてミュンヘンで難民の子たちにサッカーを教えるドイツ人のオーラフ・ブッターブロートさんである。

特にアフメドさんの話には興味をそそられた。アフメドさんは、イスラム軍事組織アルシャバブに父親と弟を殺害され、自分もこの組織の兵士となって戦うことを求められた。拒否すれば殺されるし、従えば自分も人殺しをすることになる。どちらも嫌だったため、逃げた。まずはスーダンへ。そしてリビアへ。リビアでは捕まり、暴力を受けた上、持っていたわずかなお金も取り上げられた。そこからもどうにか逃げ出し、海岸まで辿り着いたアフメドさんは、他の難民たちと船に乗り、地中海をさまようが、この船はなんと崩壊し、海に沈んでしまう。乗っていた177人の難民のうち、生き残ったのはアフメドさんを含めて5人だけだった。現在アフメドさんは、ポツダムで生活しながら、難民として認定されるのを待っている。

ウェルカム・ユナイテッド03は、ポツダムのバベルスベルク03というクラブの一部として結成されたチームで、選手は難民の青年で構成されている。ソマリア人、ナイジェリア人、シリア人など、様々な理由でドイツへ逃れてきた人たちだ。バベルスベルク03(トップチームは4部リーグでプレー)のファンたちが、選手たちのスパイクやユニフォーム、練習着などを集め、選手たちが役所などへ行かなければならない際には一緒に付き添う。2014年に結成されたが、クライスリーガ(一番下のリーグ)への登録がうまく行き、今季、2015ー2016年シーズンからリーグ戦に参加している。公式に難民として認定されるまで、彼らは働くことができない。何ヶ月、時によっては何年間も待つことになるから、退屈で苦痛になることもある。サッカーの練習をすることで何もかも忘れ、気持ちが切り替わるという。肌が黒いことで、日常に差別を感じることもある。さげすまれているという感じや、冷たい視線を感じることもある。それを忘れることができる。試合に勝ったり、自分が良いプレーをしたりすれば、観客から声援が上がり、チームメイトたちが祝福してくれるので、自分が認められているという感じも味わうことができる。

二人目のゲストでボルシア・ドルトムントのネヴェン・スボティッチ選手は、日本代表の香川真司選手がドルトムントで2年連続リーグ優勝を決めた時のチームの主力で、現在もチームメイトである。3年前から、モザンビークでサッカーを教えたり、エチオピアの貧困地区で井戸を作るなど、アフリカで24のプロジェクトを行っている。普段から資金集めなどをし、夏のオフには必ず、アフリカで過ごしている。

1990年代、幼い時に、当時ユーゴスラビア紛争から逃れて両親とまずドイツへ逃れたが、滞在許可が失効して国外退去になるのを怖れて、1999年に米国に移住した。最初はソルトレイクシティーに住んでいたが、テニス選手を目指すお姉さんのためにフロリダへ引っ越した。その時にテニス場の隣でボールを蹴っているところを、米国U17代表チームのコーチに発見された。その後フロリダ大学に通いながらサッカーをし、ブンデスリーガのマインツの練習にテスト生として参加して合格。2007年にドイツへ戻って来た。ここではまずセカンドチームでプレーしていたが、当時マインツのトップチームを指揮していたのがユルゲン・クロップ監督で、後にトップチームに引き上げられた。そして同監督が2008年に名門ドルトムントに招聘された際に、スボティッチも一緒についていった。セルビア語と英語、ドイツ語を流暢に話すセルビア代表の彼は、見た目も言うことも実にスマートで、かっこいい。現在は自分のプロジェクトを進めるだけでなく、ドルトムントにいる難民たちの世話にも参加しているという。「自分も難民だったが、いろいろな場所でいろいろな人たちの助けがあったからこそ今の自分があるため、お返しをしたい」、そして「(自分のプロジェクトをやっている時に見る)子供達の笑顔が最高のフィードバック」なのだと言う。

3人目のゲストであるブッターブロートさんは、現在銀行務めだが、以前、海外協力隊員として外国で何年か過ごしたことがある。ドイツへ帰ってきた3年半前、ボランティアとして難民の少年たちにサッカーを教え始めた。それが噂で広まり、イラン人、イラク人、アフガニスタン人など、難民たちがどんどん集まった。チームを作って、ミュンヘンの企業チームやユダヤ人学生チーム、他の難民のチームなどを相手に試合をするようになり、今季からは正式に登録して、リーグ戦に参加している。サッカーボールの他、スパイクやら練習着やら、ユニフォームなど、いろいろなものが必要だから、時には自分の給料をつぎ込むこともあるという。それでもやり続けているのは、「返ってくるものが大きいからだ」といい、番組の視聴者たちにも、そういうボランティア活動に参加することを勧めた。そして自分がそうやって一生懸命ボランティア活動に精を出すことができるのは、「銀行口座が空っぽの夫でも、理解を示してくれる妻のおかげ」と言って、笑いをとっていた。

彼らのインタビューの中で一つだけ悲しいと思ったことがある。それは司会のアナウンサーが、アフメドさんに、「いつかお母さんをドイツへ呼び寄せるという夢はありますか?」と聞いた時に、アフメドさんがとても困った表情になって、「母がまだ生きているかどうかは、わからないんです。でも、もし彼女が生きていて連絡がついたとしても、呼び寄せるべきかはわかりません。確かにここでは命の危険はありません。でも、ここで僕が日常的に経験する冷たい目を、彼女には感じてほしくないんです」と答えたことだった。彼が生活するのがブランデンブルク州であるから特別なのか、他の場所でもそんな現実があるのか、それはわからない。アフメドさんが実に言いづらそうにしているので、よけいにかわいそうだったが、言ってくれて良かったと思う。”歓迎の文化”というのが流行って、なんだか全てがうまく行っているような、楽観的な雰囲気が広まっている(それはこの番組のスタジオでもそうだった)が、実は今でも難民施設に放火する人はいるし、少数とはいえ、黒人やアジア人を蔑視する人たちだっているのだ。現実をつきつけられた感じがした。

とにかく、このスポーツ番組だけでなく、新聞のスポーツ欄やサッカー雑誌でも、難民支援に乗り出すサッカーチームの活動については、多くの記事が掲載されている。ベルリンに関して言えば、2部ブンデスリーガに属する東ベルリンを拠点とするウニオン・ベルリンは、スタジアムに隣接して建てたばかりのクラブの建物を、難民に提供している。西ベルリンのヘルタ・ベルリンは、近くにある難民収容施設を選手たちが訪問して、ユニフォームや練習着、ボールなどを届けた。両クラブはもちろん、難民や彼らを支援しているボランティアたちを、ホームゲームに招待している。

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