デモの報道、日独の差
先日、非常に考えさせられることがありました。
10月8日、ベルリンでデモが行われました。ドイツの連邦国防軍がアフガニスタンに派遣されて10年になりますが、この節目にアフガニスタンからのドイツ軍の撤退を求めるデモでした。参加者は300人、主催者の予定をはるかに下回る参加者で、当初予定されていた首相官邸を囲む人間の鎖も、参加者不足のために実現しませんでした。しかし、このデモについて、ベルリン・ブランデンブルク放送(rbb)が当日の夜、詳細に報道しました。ベルリン・ブランデンブルク放送というのは、ベルリンとブランデンブルク州の公共放送機関で、大雑把に言えば、日本のNHKの地方局に当たります。ただ、地方局と言っても、日本の県よりもはるかに大きい州をカバーしているうえ、ドイツ全土でベルリン・ブランデンブルク放送の番組を見ることができます。ですから、この8日のベルリンのわずか参加者300人のデモのニュースも、ベルリンだけではなく、ドイツ全土で見ることができました。
日本では、東北大震災、原発事故からちょうど半年経った9月11日から9月19日までを脱原発アクションウィークとして、全国各地でデモをはじめ様々な催しが行われました。私自身は日本にいないので、この一連の行動がどのように報道されたかを確認できませんが、少なくともツィッター、フェースブックなどのソーシャルメディアを見るかぎり、このデモについて世界各国の報道よりも日本国内での報道が少ないことが指摘されています。
大江健三郎をはじめ、多くの有名人が参加した9月19日の東京でのデモのことだけは、日本のマスメディアのオンライン記事でドイツでも確認できました。ところが、NHKの夜7時のニュースでは、6万人が参加したと言われるこのデモについては報道されなかったことを、複数のブログから知りました。また、脱原発アクションウィークの1週間、東京以外の場所で何がおこなわれたのか、どんな意思表示がなされたのかについては、マスメディアの報道からは読みとれませんでした。
ベルリン・ブランデンブルク放送の夜のニュースでは、デモに参加した人たちにマイクを向け、彼らの主張を丁寧に拾っているという印象を受けました。日本では1週間にわたって脱原発の意志表示が行われたはずだと思うのですが、それについての報道がないので、日本全国のどこで何が行われ、どれくらいの参加者があったのかが伝わってきません。市民があげる声、それがどんな小さな声であっても、また有名人があげない声であっても、マスメディアにはそれらの声を拾い上げ、伝える姿勢が重要であることを、ドイツの公共放送を見て強く感じました。
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この記事にまったく同感です。ジャーナリズムの質を問うこのテーマ、大変重要なテーマだと思います。私もドイツのマスメデイアの報道姿勢が日本のそれに比べて実に異なることに今年の震災事故後の原発反対デモの報道の差で気がつきました。日本では市民の声がどういうふうに拾われているのか、まったく見えてこないのに対して、ドイツに住んでいるとテレビ・新聞などではとてもわかりやすい。
ドイツの過剰報道とありますが、反対に日本ではくだらない犯罪や事故報道がながながと時間をかけて過剰に報道されることがあります。これには驚きました。5分で住む内容がおよそ1時間にもわたって微細に報道されたりします。ドイツ人のパートナーがあきれて怒っていました。
「市民があげる声、それがどんな小さな声であっても、また有名人があげない声であっても、マスメディアにはそれらの声を拾い上げ、伝える姿勢が重要」ですよね。私は日本のジャーナリズムは成熟していないなあと感じていました。これは教育や文化の問題ではとも思っています。この記事、わたしも日本の人たち、とくに新聞・テレビなどのマスメデイア関係者、ジャーナリストの人たちに読んでいただきたいと思います。
もう一つ、日本での原子力発電とマスメデイアの報道については、もっと別の側面で報道に制限がかけられているのではと思われる面があります。
(Waldkirchのサクラ)
Waldkirchのサクラさま、コメントありがとうございます。