捨てた家電製品はいったいどこへ?くずを追え その3
ブラウン管テレビを持つ世帯の率が1975年にはドイツ国内の全世帯の93%を占めていたそうです。2011年の調査では薄型テレビの世帯普及率が50%を上回りました。使用済みの家電におけるゴミ産業は好景気。アフリカはヨーロッパのゴミ置き場?ドイツのジャーナリストグループ「Follow the Money」のレポート、その3をご紹介します。
再び港の管理所へ行ってみる。広さ4平米ぐらいの事務所にいる所員は自分の名前は言わなかったが、コンテナの登録番号のデータを直ぐに調べてくれる。その結果:TWS社がBuxlink丸で送った7個のコンテナのうち2つは事実まだゴールデン・ジュビリー・ターミナルに置いてある。1個はD棟、1個はG棟。ナンバーはCRSU7071001とZCSU8796574。
だれがこの2つのコンテナを送ったのか。我々はTWS社の親会社であるVan Uden社ガーナ支部に電話をしてみる。驚いたことに相手は、我々の身元も、なぜコンテナに関心があるかも聞かないで、依頼人の名前を教えてくれる。
今、分かったこと:Buxlink丸に積まれ、ハンブルグ港を出航し、まだテマ港に置かれている2つのコンテナの輸入業者はS. D.ブライマ。ハンブルグの「ビルシュトラーセ」でテレビを買い入れ、アフリカへ送ったのは彼なのか?
インターネットで検索してみると、この名前の子会社がシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州(ハンブルグの北部)にある自治体ブラークにあるとわかる。ブライマ・トランス社、中古車の輸出入。電話番号は載っていない。
ブラークにある他の中古車販売店に問い合わせてみる。「ブライマ?聞いたことがない」と店のものは答える。この名前でハンブルグに登録されている2つの電話番号にかけてみる。S. D.ブライマの遠い親戚と結婚していた女性の番号に突き当たる。もう大人になったブライマの娘の名前を彼女は思い出す。Facebookで娘を探し、連絡を取る。父親の携帯番号をもらう。
声の低い男が電話に出る。最近、コンテナをテマ港に送ったとブライマは話す。ありとあらゆる物が入っている。「ソファー、洗濯機、テレビ、衣類、靴など」。彼の言う「収集コンテナ」とは:一種の同乗便。1人がコンテナを借りて、数人が荷物を一緒に乗せてもらう。テレビも“便乗した”1人が詰めたのだろう。
彼は今51歳で、30年ほど前からドイツに住んでいると話す。5年前まで、中古車販売店を経営していた。しかし、もうやめた。今はコンテナをたまにしか送らない。「1年に1度でしょうか」。テレビを乗せても儲けはなかった「単なるお付き合いだった」と彼は言う。
ガーナでの6日目の晩。朝早く、いきなり新しいシグナルを受信する。テレビは動く。テマ港にはもう置かれていない。今は首都アクラにある、アベカ・ロードとジョージ・ブッシュ・ハイウェーとの角にある。シグナルは強い。そして正確だ。テレビがコンテナから下ろされて、野外に置かれたのは確かだ。
両道路の角に行ってみると、コンテナが丁度開けられている。何百台ものテレビが地面に置かれている。雨傘の下に1人の警官が座り、売買を見張っている。どこから荷が送られて来たのかと聞く。答えはイギリス。そうであれば我々のテレビはないはずだ。
数メートル先に銀色のソニーの家電機器が家の外壁の前に置いてある。裏側を見ると、我々がつけた目印がある。テレビを持ち上げて、振ってみる。直後、携帯に通報が入る:テレビは動く。
テレビをもとの場所へ戻す。これから旅がどう発展するのか知りたいから。
もう一度Van Uden社のガーナ支部に電話をかける。やはり、夜にターミナルを出たコンテナはブライマのものだと知る。もうひとつのコンテナはまだターミナルにある。
ある男が我々のテレビを買い、小型トラックに積んでいる様子を車の中から見る。荷台には20台ほどのテレビが積んである。古い漁網で荷を包み、男は走り去る。
後でその男に尋ねてみると、彼の名はナア・セイ、27歳、近くのカネシー・オドーコー・ロードにある小さな店を営む。ナア・セイは我々のテレビを“untested(無検査)”で買った。テレビが故障しているか彼には分からない。テレビを27ユーロで手に入れたと言う。
ハンブルグ・ビルシュトラーセの仲介業者からアクラ市のアベカ・ロードに渡るまでテレビの値が6倍近くになる。これはグローバリゼーションの逆方向のようだ:ココア、綿、コーヒー豆などを西洋の企業は生産地で安く買い取り、利益を上げてドイツへ輸入する。
家電くずはドイツでは価値がないが、アフリカでは高く売ることができる。
コーヒー豆と綿の取り引きでは、海運会社と通関業者が利益をあげ、荷役、船長とトラックの運転手を養う。家電くずの場合、同じようなことが言える。ただ、この場合は、更にテレビ、パソコン、冷蔵庫などの家電機器メーカーが得することだ。捨てられたテレビがアフリカへ船積みされると、メーカーは処理するために高い費用をかけなくても済む。そのかわりにテレビはナア・セイのような業者のところへ送られる。そして、売買と故障修理が繰り返される。いつかは再起動が無理となり、テレビはアグボグブロシーに捨てられる。
アグボグブロシーはアクラ市の1地区だ。この地区の名はアフリカ最大の家電廃棄物投棄場所の代名詞とも言える。ドイツから送られた家電くずがこの投棄場所にたどり着くと、残るのは正に「くず」だけだ。
ニューヨークにあるブラックスミス研究所の調査によると、アグボグブロシーは環境汚染が最も深刻な世界の10ヵ所の一つとされ、多量の鉛、カドミウム、水銀で汚染されている。15年ほど前まではここはヨーロッパの渡り鳥の繁殖地だった。現在はヨーロッパの家電・電子機器の墓場だ。
しかも、ここはイサク・イヴシャンのような人間の職場でもある。
彼は26歳、細く締まった体格、イギリスのマンチェスター・ユナイテッドFCの偽のユニフォームを着ている。前部には7、後部にはロナルドと名前が付いている。相当古いユニフォームだ。ポルトガル出身のクリスティアーノ・ロナルドは5年ほど前からマドリッドに所属している。イサクの額には青白く奇妙に光る水泡ができている。しゃべると胸が痛むかのように彼はゆっくりと話す。
イサクは農家の息子で、ブルキナファソとの国境沿いにあるガーナの小さな村の出だ。両親はヤム(ヤマノイモ属の一類)とトウモロコシを作っている。以前は作物の収穫で家族を養うことができた。しかし、このごろは日照りで雨が降らないことが多く、イサクと3人の兄弟は首都アクラへ移った。今、彼らはアグボグブロシーで働く。
彼らが寝泊りしているトタン屋根の小屋はゴミ置き場の近くにある。イサクは毎朝5時に起き、リヤカーを引き、ほぼ10km離れたアベカ・ロードへ行く。そこで完全に壊れたテレビを3、4台買う。一台に付き約75セントだ。テレビを積み、又ゴミ置き場のあるアグボグブロシーへ戻る。
ゴミの山のどこかで荷を降ろす。かなづちでテレビを砕く。受像管を取り出す。そして、ブリキ、プラチナ、コード、銅線を解きほぐす。ボディーは捨てる。時々ドイツ連邦の印であるワシが刻印されている。放射線防護令が守られているという証明だ。
イサクのそばで他の男たちが家電の中身を抜いている。あらゆる所で小さな火が燃えている。プラスチックを燃やして、高価な金属を得るためだ。分解された冷蔵庫の絶縁材が点火材として使われている。5歳児が裸足でプラスチックとガラスの山の中を探り返している。子供たちの足は切り傷だらけで、ただれている。残った銅を少しでも集めようとしている。ある若い母親がゴミ置き場の横で水を売っている。煙が立ち上がる中を母親は赤ちゃんを背負っている。
イサクは、銅を集める仕事は子供たちに任せる。子供たちは銅線を火に投げ入れる。ビニールがとけて銅だけが残る。
テレビの中の部材を渡すと、イサクは1.25ユーロもらえる。となるとテレビ1台に付き50セントの儲けがある。仕事がうまくいく日には、10台のテレビを分解することができる。毎日イサクはカドミウム、アンチモン、ダイオキシンなどが混ざった有毒なガスを吸っている。
イサクがテレビを分解して収集した金属は、以前にアフリカで採掘されたものかもしれない。ザンビアとコンゴで採掘された銅。南アフリカ産のパラジウムとニッケルは円筒コイル、配線基盤と蓄電器の製造に使用されている。ヨーロッパ、アジア、アメリカではラップトップと冷蔵庫そしてテレビに内蔵されている。
アグボグブロシーで資源が再び現れる。そしてアフリカはその資源をヨーロッパ、アジア、アメリカへ売る。又もや、仲介業者、通関業者そして海運会社が儲ける。そしてメタルリサイクル産業は荷役、船長とトラックの運転手を養う。再び家電メーカーが利益を得る。金属資源の再利用により、生産価格を安く抑えることができるからだ。
その間、ノイミュンスターにある、市営の廃棄物回収所へ持って行ったテレビから知らせがある。テレビはノイミュンスターを離れず、ベーレント・エレクトリック・リサイクル有限会社に置いてある。創立1903年の家族経営のこの会社は「大手の家電・電子メーカーの企業を顧客とする」と掲載している。ベーレント社の事業内容には「あるゆる家電・電子機器の徹底した処理フローとリサイクル」とある。二台目のテレビの処理方法については問題はないらしい。
2日後、アクラで:1台目のテレビからシグナルを受信する。アグボグブロシーに捨てるには、テレビはまだ十分に壊れていない。シグナルはアクラ・テマ・モーターウェーから送信されている。テレビは沿岸沿いを東へ進み、北へ曲がり奥地へと入る。
アクラから北へ350km走ったところで携帯に示す点が止まる。テレビはオティ川のほとりにある小さな町ダンバイにある。この町の住民は主に漁業で生活している。
イブラヒン・ウマー、34歳、は10年ほど前から小さな店を営む。トタン屋根の軒下には多数のTシャツが掛かっている。その下には扇風機。後ろにはテレビが積んである。ここから最後の送信があった。
だが我々のテレビはもうない。
定期的にアクラへテレビを買いに行くとウマーは話す。ドイツのテレビが一番気に入っている。「ボディーに傷がなくきれいです。それと違って、イギリスの使い古しのテレビはなかなか売れません」。
前回の仕入れのときに、テレビを7台買った。銀色のソニー製のトリトロンもそのなかにあった。だが、あのテレビはすぐに売れた。
テレビは動いたのか?
「もちろん、申し分なく」とウマーは答える。“テスト済み”とあったテレビが映るかどうかと、試すこともできた。アベカ・ロードとジョージ・ブッシュ・ハイウェーとの角で27ユーロでテレビを買った若い男はトリトロンを修理したに違いない。
ウマーはこの機能するテレビを70ユーロで買った。中古のブラウン管テレビに!ドイツでは考えられない価格だ。ガーナではブラウン管テレビのほうが価値がある。今時の薄型テレビは、停電の多い国ではかえって故障が多い。
我々のテレビはどこにあるのか?GPS送信機のバッテリーが空なのか?テレビは厚い壁の後ろにあって送信できないのか?ウマーはテレビをここダンバイに住む家庭に売った。買い主の名前も、尚且つ値段も教えたくはない。しかし、テレビを買い戻してもいいと申し出る。数時間後に彼は戻る。この家電を100ユーロで売るとウマーは言う。我々は承諾する。アグボグブロシーにある家電廃棄物投棄場所のゴミを増やしたくない。テレビがいくら今使用されているとはいえ、いつかはこのゴミ置き場に捨てられるのは確かだ。ガーナの環境庁の推測によると、輸入された全家電機器の3/4は最終的にはアグボグブロシーに捨てられる。
77日間、2600回の送信後、テレビは我々の元に戻る。ブラウン管テレビは又機能する。船でハンブルグへ送り返す。
テレビをガーナで買い戻した日に、2台目のテレビからシグナルを受信する。ノイミュンスターにある、市営の廃棄物回収所からベーレント社へ至ったテレビだ。長い期間、テレビは位置を変えなかった。そして今、ハンブルグの港からそれほど離れていないウィルヘルムブルグ地区から出るシグナルをキャッチする。切れていたコードを修理したとベーレント社は後に報告する。とすればテレビは無破損・無故障製品となり輸出は許可される。最終的にはアグボグブロシーのような酷いゴミ置き場に捨てられる可能性が高いのにもかかわらず。
改めて、再び48日後にシグナルを受信する。
経度;3.191230
緯度;6.457621
シグナルはナイジェリアの首都ラゴスからほぼ35km離れた町オジェから来る。テレビはアラバ・インターナショナル・マーケットの付近にある。ここは全国最大の中古家電・電子機器の取り引き場所だ。終り
このルポはオンライン版ディ・ツァイト(Die ZEIT Online)だけではなく、ドイツ公共第1放送の「Pmorama」、仏独公共放送アルテの「Arte Future 」で報道されました。その後、どのような影響を与えたか次回お伝えしたいと思います。 くずを追え その1とその2
写真、アグボグブロシー https://www.flickr.com/photos/qampnet/