さよなら、原発
波瀾に満ちた人生だったが、穏やかな最期を迎えたー。ドイツの原発の歴史を人間の一生に例えるとすれば、このように表現できるかもしれない。4月15日、派手なお祝いや格式ばった別れの式典もなく、ドイツで稼働していた最後の3基の原子炉が送電網から切り離された。そして、ドイツにおける61年に渡る商業用原子力発電の歴史が幕を閉じた。
今回停止したのは、オランダ国境近くの町リンゲン(ニーダーザクセン州)にあり、1988年6月に運転開始したエムスラント原発、南ドイツのハイルブロン市(バーデン•ヴュルテンベルク州)の近くにあり、1989年4月に運転開始したネッカーヴェストハイム原発2号機、そして同じく南ドイツのランズフート市(バイエルン州)近くにあり、1988年4月に運転開始したイザール原発2号機だ。原子力法で原子炉の運転許可は、4月15日24時に失効することが決まっていた。そのために、24時を迎えたその瞬間にボタンが押され、原子炉が停止すると思っていた人がいたかもしれないが、実際は違う。イザール原発2号機の運営事業者プロイセンエレクトラ社によると、同原子炉内の核分裂は4月15日の22時ごろから徐々に抑えられ、 23時52分に同機は送電網から切り離されたという。
この3基を含めて、ドイツには商業用原発が通算37基存在し、2022年末までに5600テラワット時 (TWh) を発電したという。イザール原発2号機に限れば、年平均の発電量は1.2 TWhで、バイエルン州の電力消費量の12%を賄っていたそうだ。しかしこれは再生可能エネルギー促進を怠ってきたバイエルン州の数字であって、ドイツ全体でみると、2022年の電源ミックスにおける原発による電力の割合は6.5%、停止直前の今年3月の割合は約5%しかなかった。そのため送電網などを管轄する連邦ネットワーク庁は、原発が停止しても、電力量に関しても送電網の安定性に関しても、ドイツの電力供給に問題は生じないないと述べている。
ここに来て原発稼働延長を唱え出した人たちが増加し、二酸化炭素(CO2) をほとんど排出しないクリーンな原発による発電をやめて、石炭など化石燃料を使う火力発電を行うのは、気候保護の観点から間違っていると指摘した。実際にドイツは2022年、ロシアのウクライナ侵攻がもたらしたエネルギー危機が原因で、発電に前年より8.3%も多くの石炭を 使ってしまった。また、原発の稼働が延長されたことで、今年の1月から3月末までの3ヶ月の間に、130万トンのCO2の排出を防いだという数字もある。こうした主張に対して、ベルリンのオルタナティブで脱原発派の新聞 「die tageszeitung (taz)」は、その週末版「wochen taz」(2023年4月15日-21日版)で、「脱原発のせいで、気候保護目標が達成できないのではない。もっと早くから脱石炭に取り組むべきだったのに、そうしてこなかったのがその原因だ」と反論している。
この点について、2002年に脱原発を法制化したゲアハルト•シュレーダー首相(社会民主党、在任期間1998 年〜2005年 )の下で原発を担当した環境•自然保護•原子力安全相を務めたユルゲン•トリティン氏(緑の党)は、同紙のインタビューで、「脱原発というプレッシャーがなければ、私たちは再生可能エネルギー促進のために、1年に200億ユーロも投資しなかっただろう(略)。そう言う意味で、両者は、お互いに関連しあうテーマだ」と、その相乗効果を指摘した。フランスで自然エネルギーが伸び悩むのは、トリティン氏が言うように、フランスが原発の存在にあぐらをかいているからではないだろうか。その原発が、頻繁に故障を起こし、温暖化による水不足などで支障をきたすなど、発電源として頼りにならないことは、すでに証明されているのに、だ。
ドイツで「脱原発」が行われても、「脱原子力」が達成された訳ではないことも、脱原発を推進してきた人たちは、この機に改めて指摘した。まず、原発の解体は15年から20年かかると言われている。例えば、エムスラント原発の運営事業者RWE社は、同原発から放射性物質がなくなるのは、2037年だと予想しているのだ。高レベルの放射能物質の最終貯蔵所が完成するのは、それよりさらに先の2050年が目標だが、 実際にはこれから100年かかるかもしれないと、貯蔵所選定作業を行っている連邦最終貯蔵協会 (Bundesgesellschaft für Endlagerung/BGE) の広報が語っている。その日が来るまで、高レベル放射性物質は原発の敷地で保管されることになり、100%の安全は保証されていない。
また、エムスラント原発のあるリンゲンには、フランスの原子炉メーカー•フラマトム社の子会社の燃料棒工場があり、これからもベルギーなどに輸出する燃料棒が製造され続ける。それどころか、同工場でロシア国営原子力企業ロスアトムと共同事業を始めようという計画まであるのだ。ウクライナを武力で制圧しようとするロシアと、原子力の分野で協力するなど、倫理的にも許されるものではない。そして、リンゲンから50kmほど離れたグローナウには、イギリスに本社があるウレンコ社の工場があり、そこではウランを毒性の高い六フッ化ウランに加工する作業が行われている。 かつて反原発運動に参加していたという、ベルリンの日刊紙「Tagesspiegel」のカロリーネ•フレッチャー記者は、「原発が停止し、脱原発が達成されたかのような幻想を持ってはいけない」(2023年4月16日版)と、警鐘を鳴らしている。
原発は静かに最期を迎えたと冒頭に書いたが、騒いだ政治家もいた。その代表は、バイエルン州の州首相マルクス•ゼーダー氏 (キリスト教社会同盟/CSU) だ。「エネルギー危機が終わるまで、 イザール原発2号機を稼働させたい。そのために原子力法を改正して、原発の管轄権を連邦から州に移すよう、連邦政府に求める」と、「脱原発」の翌日、4月16日に発言したのだ。連立政権の一旦を担う自由民主党 (FDP) の政治家たちも、2021年の連邦議会選挙後には連立を組むSPDや緑の党に歩調を合わせて、2022年の脱原発を支持すると約束したが、その後、エネルギー危機や気候保護を理由に、原発稼働延長に意見を変えた。脱原発が確定的になってからは、いざという時に再稼働できるよう、しばらく廃炉作業は見合わせるべきだと主張し続けた。
こうした反脱原発派の意見を代弁したのは、全国紙「Frankfurter Allgemeine」だ。ドイツの原発は大きな事故を起こしたことがない。それなのに原発を停めるのは納得できない。優れたエネルギー政策とは、エネルギーの安定供給や価格の抑制、そして環境保護から成り立っている、などがその主張だ。これからも原発を使えば、電気代は10%ほど抑えられただろうという経済学者の見解を紹介し、フクシマの事故を経験した日本でさえ、エネルギー政策上の転換を果たし、新しい原発の建設も打ち出したと伝えた。
そして反脱原発派は、世論調査の結果を使って自分たちの正当性を主張した。世論では昨年秋頃から、脱原発反対派が賛成派を上回っていたが、脱原発の前日にドイツ公共第一テレビARDが発表した調査でも、「脱原発は正しい」とする人は34%、「間違っている」とする人は59%という結果が出た(調査期間は4月11日〜12日)。ちなみに、アンゲラ•メルケル前首相(キリスト教民主同盟/CDU、在任期間2005年〜2021年)がフクシマの事故を受けて脱原発を加速させることを決めた2011年6月は、「脱原発に賛成」が54%、「反対」が43%だった。国民の意識を変えたのは、気候変動に対する不安だけでなく、ウクライナ危機がもたらしたエネルギー価格の上昇であることは明らかだ。今回の調査で、「再生可能エネルギーへのエネルギー転換が進んでも、エネルギー価格が上昇するであろう」と「大変心配している」が26%、「心配している」が40%と、合わせると66%になり、「あまり心配していない」25%、「全く心配していない」7%の合計32%を大きく上回った。しかし「Frankfurter Allgemeine」紙でさえ、原発運営事業者で、原発が再び稼働する可能性があると考えている者は誰もいないことを認めている(4月13日版)。また、脱原発から1ヶ月近く経った今、反脱原発派の声は、ほとんど聞かれなくなった。
市民運動と一緒に反原発運動を展開してきたtazや、リベラルな全国紙「Süddeutsche Zeitung(南ドイツ新聞) 」は、脱原発に合わせて、反原発運動の歴史を紹介した。一握りのぶどう栽培農家やワイン醸造業者が1969年に始めた運動が、70年代半ばには環境保護運動や平和運動と連携して西ドイツ全体に広がり、80年代には緑の党を連邦議会に送り込み、21世紀初めには脱原発を決めたというその歴史は、まさに市民運動の勝利を物語っている。「南ドイツ新聞」のミヒャエル•バウシュミュラー記者は、脱原発運動の歴史は、 発電の歴史だけではなく、新しい技術に託す夢や不安、リスクにどう対応するのか、そして市民と国家や経済の関係の歴史でもあると意味付けている(2023年4 月15/16日版)。そしてバウシュミュラー記者は、1999年から2014年まで原子炉安全委員会のメンバーで、2002年から2006年までその委員長を務めたミヒャエル•ザイラー氏の「市民が国のやることを望まない時、国はどうすべきか?」という言葉を紹介している。つまり、これは民主主義の問題なのだ。
ドイツの脱原発を受けて、日本の西村康稔経済産業大臣は、「ドイツは電力が不足すれば、いつでもフランスから電力を輸入することができます。そのフランスの電力は70%、原発によって賄われています」と発言した。この発言により、あたかもドイツがフランスから電力を輸入しているかの印象を持った人が多いようだ。確かにヨーロッパでは各国それぞれの電力網が国境をこえて繋がり一つの大きな電力網が形成されており、絶えず電力の輸出入が行われている。しかし、ドイツは従来電力純輸出国であり、フランスに対しても輸出超過であることを、東京に本部をおく「自然エネルギー財団」が指摘している。この状況は、今後も続くと予測されている。
関連記事:脱原発、ドイツの歩み1)(2011年8月15日) / 脱原発、ドイツの歩み2)(2011年11月27日) / 脱原発、ドイツの歩み3)(2011年12月11日) / ドイツの長い反原発運動の歴史 (2011年9月1日) /ドイツの脱原発、遅くとも2023年4月15日に達成(2022年10月19日)
参考記事:Sayonara Nukes Berlin「リンゲンでの祝脱原発デモ参加報告 」(2023年5月6日)/自然エネルギー財団「ドイツと欧州各国の電力輸出入の状況」(2023年4月25日)