ドイツから見た東京オリンピック

永井 潤子 / 2021年8月18日

ドイツには、古臭くなった事柄を表すのにSchnee von gestern(きのうの雪)という言い方がある。8月8日に閉会式を終えた夏季東京オリンピックについて、今頃 原稿を書くのは「きのうの雪」の感じがしないでもないが、閉会式前後にとっておいたドイツの新聞の記事の内容を少しまとめてみようという気になった。

もともと、オリンピックの東京誘致のプロセスに違和感を持ち、コロナの新規感染者数が増え続ける中で、オリンピックは開催しないほうがいいという意見だった私は、開会式も見なかったし、日本の選手の活躍ぶりに一喜一憂することもなかった。しかし、ドイツのテレビが伝える選手たちの一所懸命な姿を見るともなく見るうちに、次第にスポーツの良さというか、選手たちの真剣さを「やっぱりいいな」と思うようになった。そこには様々なドラマもあり、徐々に引き込まれていったが、それはコロナ禍でのほぼ無観客という“歴史的な”オリンピックが終わりに近づいた頃だった。その延長線で国立競技場での閉会式は見たのだった。と言っても全部を見たわけではないが、空中に金色に描かれた美しい五輪や宝塚歌劇団の女性たちの袴姿が印象的だった。閉会式に参加したドイツの選手団が「ドイツ」とカタカナで縦に書かれたチョッキのようなものを着ていたのにも気がついた。後になってから、このドイツ選手団のカタカナと、彼らが日本とドイツの小旗を持って感謝の意を表していたことが、日本人の間で非常に好評だったと日本の知人からのメールで知った。

そのドイツの選手団のメダル獲得総数は37個、金メダル10個、銀メダル11個、銅メダル16個で世界第9位だった。これは、ドイツ統一後最悪の成績だったそうだが、それにしては、帰国してフランクフルトの市庁舎で歓迎された選手たちは皆嬉しそうだった。様々な意味で困難だったオリンピックを無事に済ませて帰国できた喜びを味わっているように見えた。どの種目の選手だったか忘れたが、メダルを獲得できなかったドイツの男性選手が、「メダルを獲得できなかったけれど、東京オリンピックに参加できたことを自分は非常に誇りに思っている。この誇りは誰も奪うことができない」という意味のことを語っていたのも思い出した。

1990年に統一して以来、ドイツはオリンピックで常に世界ランクの6位以内に入っていたが、今回は9位に下がった。ドイツの新聞のオリンピック総括は、こうした最悪の成績の分析や今後の強化策が中心だった。そうした中で閉会式の翌日の8月9日のドイツの新聞の東京オリンピックを論じた論調を幾つか紹介する。

「聖火が消えて、東京オリンピックは終わった」と書き出しているのは、南ドイツのアウグスブルクで発行されている新聞「ディー・アウグスブルガー・アルゲマイネ」だ。

コロナ禍でも、大規模な催し物を実施することができた。それが可能であることが実証された。しかし、大きな犠牲を払ってのことではなかったか? 今回は観客のいないオリンピックだった。オリンピックの勝者たちも無人のスタジアムでは、「ドイツ連邦青少年スポーツ大会」で賞状をもらうような感じだったに違いない。誰か一人が喜びの声を上げ、3人のコーチが拍手し、それで退場となる。全ては索漠として、人工的だった。オリンピックを生き生きとしたものにする人間が欠けていた。選手たちを支援するボランティアの人たちの好意や親切な態度にもかかわらず、コロナ規制措置の厳しさは、いたるところで感じられた。それについて議論する余地は全くなかった。こうしたことは、パンデミック予防のためには意味があったかもしれないが、世界規模の友好的なスポーツの祭典には、相応しいものではなかった。

ドイツ北部、ニーダーザクセン州のオスナブリュックで発行されている新聞「ディー・ノイエ・オスナブリュッカー・ツァイトゥング」は、国際オリンピック委員会について苦情を述べている。

国際オリンピック委員会(IOC)は、良い印象を残さなかった。IOCのトーマス・バッハ会長を中心とする役員たちは、コロナ禍でも東京オリンピック開催の意志を何としても押し通し、結局実現させた。しかし、その功績は評価されてはいない。オリンピックの選手やコーチ、それに世界中から集まったジャーナリストたちが不自由な生活を強いられた一方で、IOCの役員たちは贅沢なホテルに泊まり、特権を得て、日本人と同じように行動の自由も享受していた。

南ドイツのカールスルーエで発行されている新聞「ディー・バーディッシェン・ノイエステン・ナハリヒテン」は、「大規模な“スポーツ・サーカス”が実施される一方で、日本人はテレビの視聴者としてしか関わることのできなかったこの大規模イベントのために、大変な散財をすることになる」と指摘していた。

「パンデミックの最中に開かれたオリンピックだったが、日本にとっては、それでも成功だった」と書いたのは、フランクフルトで発行されている全国紙「フランクフルター・アルゲマイネ」の東京特派員、パトリック・ヴェルター記者だ。

成功のまず第一にあげられるのは、スポーツの面だ。日本は金メダルを27個も獲得した。これは、金メダル30個の獲得を目指すというコロナ前の目標をほぼ実現させただけではなく、1964年の東京オリンピックや2004年のアテネ・オリンピックの記録を破るものだった。日本は、伝統的なスポーツである柔道だけではなく、新しい種目のスケートボードでも成果をあげた。これは、外国からは均一的な国だと見られがちな日本が、実は多様性のある国だという良い証拠である。

オリンピックが日本にとって成功だったという次の理由は、パンデミックという困難な状況の中で開かれたオリンピックで、競技参加の選手や役員、その他の参加者の間で、爆発的なコロナ感染者が出なかったことである。日本は実際的で効率良くオリンピックをオーガナイズした、マスクの下で微笑みながら。日本は、世界各国からやってきた数万人のスポーツ選手や役員、ジャーナリストたちに、優れた「おもてなし」を示した。(略)

とりわけオリンピックが日本にとって成功だったと思えたのは、オリンピックが日本の保守的な社会の中での女性の地位向上に貢献したからだ。これは、オリンピック組織委員会での男女平等をめざす不自然な試みのためばかりではない。日本の女性選手たちは男性より多くのメダルを獲得したのだ。メダル獲得総数58個のうち30個を女性たちが獲得している。ということは、日本の若い女性たちは、オリンピック組織委員会の女性割り当て制よりも、進んでいることを示している。

このように「東京オリンピックは日本にとって成功だった」と数え上げたヴェルター記者だが、次のように結論づける。

こうしたオリンピックの良い影響について、日本の人たちが同じようにとらえるかどうかは、不明である。オリンピックにかかった費用の急激な増大の原因、東京にオリンピックを誘致した際のスキャンダルなどは、少しも解明されていないからだ。東京オリンピック組織委員会の橋本聖子会長にとって、東京オリンピックが日本に明らかな成果をもたらしたと証明するのは難しいだろう。日本人のオリンピックに対する喜びは限られたものだった。.

「フランクフルター・アルゲマイネ」のヴェルター記者の東京オリンピックを振り返っての解説は、意外にもかなり好意的なものだった。

「二つの世界が並立したオリンピック」という見出しのホルガー・ゲルツ記者の解説を載せたのは、南ドイツのミュンヘンで発行されている「ジュートドイチェ・ツァイトゥング(南ドイツ新聞)」である。

男女の日本人、特に大会を支援する大勢のボランティアたちは、大会そのものに生気を与えてくれた。しかし、常時陰性テストを受けさせられ、監視されてスタジアムの中にいた私たちは、残念ながら外の空気をほとんど知ることができなかった。一般の人たちはパンデミックのためスタジアムの中に入ることができなかったので、東京オリンピックには、人々と共にいるという感情が欠けていた。スタジアムの内と外では、二つの世界が並立して存在しているようだった。

しかしながら、東京オリンピックは、統制がとれ、良くオーガナイズされていたため、国際オリンピック委員会は、「これはコロナという衝撃に対する日本人の人間的な強さを示したものである」と称賛した。IOCのバッハ会長は「オリンピアで地球上の人間は一つにまとまった」と述べたが、これはテレビの視聴者を意味したにちがいない(略)。

閉会式ではオリンピック旗が次期オリンピック開催都市であるパリの市長アンヌ・イダルゴ氏の手に渡され、エッフェル塔の下に集まった大勢の人が喜び、祝う姿が映し出された。喜ばしい映像だったが、コロナ対策としては適切だったとは言い難い。蒸し暑い東京でマスクをし、無観客のオリンピックに耐えた日本の人たちは、これを見てどう思っただろうか。

このように書いたゲルツ記者は、「2024年のパリ・オリンピックが、再び大勢の観客とともに開催される事を願う」という言葉で記事を締めくくっている。

なお、同記者は翌8月10日には次のような個人的な感想も記している。「“妬みと嫉妬の国”ドイツから来た自分は、外国から来た自分たち報道記者たちがオリンピックの競技を見る事が出来るのに反し、主催国の日本人がスタジアムに入れないアンバランスな状況を把握していた。そのため、それなりの反応を覚悟してやってきた。それなのに来てみると、人々の反応は開会式の前から予想とは全然違っていた。スタジアムの外に集まっていた人たちは、記者用のバスがスタジアムに入るのを微笑んで手を振って見送った。こうした態度は最後の閉会式の日まで変わらなかった。自分はこの非常に特殊だった日本でのオリンピックの後、少しばかり我が身を恥じる思いで帰国の途に就いた。そして後には感動と豊かな気持ちが残った」。

 

One Response to ドイツから見た東京オリンピック

  1. ヨウコ ツイーリンスキ says:

    潤子さん、東京オリンピックに関するドイツの新聞報道非常に興味深く読ませて頂きました。 アウグスブルガーアルゲマイネのレポートで:オリンピックを生き生きとするものにする人間が欠けていた!!私はまさにこれが閉幕後も日本社会で燻っている不満、あんなにお金を使ったのに得る感動は少なかった!っというものだと思います。

    テレビの視聴率は良かったのですが、何か自国開催のオリンピック!とういう感じがしない方が多数だったのでは?っと思います。バブル方式でコロナ架に行われたビッグイベントではオリンピック村、関係者の感染率は0.02%で感染蔓延の東京では奇跡と思われる数字でした。 また日本社会特有の自負心なのか”日本だから大会は安全にできた”っというコメントがネットでは満載です。確かにその点もあるでしょうが、開催中の人々の気の緩みでコロナ感染は広がるばかりな状況はどうしてなのか、ワクチン接種も行きわたっていない状況でオリンピックを強行した政府と東京都、IOCの体質に原因は有ったと思います。ある意味IOCの正体もさらけ出し、オリンピックの意味を今一度考えさせてくれたのは不幸中の幸いでしよう。 それに日本の政治の不甲斐なさと後手後手感も。 

    私個人的には”国を背負ってスポーツを競う”そのために国も個人も膨大な時間とお金を使う? メダルの数で国の威信が左右されるバカげた事はもうやめませんか? っと思いますが。 

    潤子さん、有難うございます。次回も楽しみにしています。ドイツメデイアのアフガニスタンの今後をどう見る? はどうでしょうか?