野田首相の”事故収束宣言”はドイツでどう伝えられたか
ドイツメディアで”Fukushima“という文字を見ることのない日々がしばらく続き、原発事故から8ヶ月、このテーマは早くも忘れられつつあるという印象さえ持った。そんな中12月16日、「福島第1原発の原子炉が冷温状態に達し、発電所事故は収束に向かっている」という野田首相の発言。ドイツ各紙はこれをどう伝えたのかをおさらいしてみます。
まず、各紙の見出しを見るだけでも、日本政府に対する信用度が明らかになります。
− ヴェルト(Die Welt)”日本は福島の原発廃墟を安全だとする”
− ジュートドイチェ・ツァイトゥング(南ドイツ新聞、Die Süddeutsche Zeitung)“この災難がなぜ停められないか”
− シュピーゲル(Der Spiegel)“TEPCOには快適、国民にはどうでもいい”
− ツァイト(Die Zeit)”福島はまだまだ収束されていない”
野田首相の発言に対しては日本国内でも多くの批判が集まっているようですが、シュピーゲル誌(電子版)の記事の中ではドイツの原子炉安全協会(GRS, die Gesellschaft für Anlagen- und Reaktorsicherheit)による批判が紹介されています。それによると、まず「冷温停止」という言葉の解釈、使い方が間違っているという。冷却停止というのは英語の“cold shutdown“に当たり、定義はいろいろあるものの、普通使われるのは米国の原子力監視委員会(NRC)が定めたもので、それには以下3つの条件が揃うことが必要だそうです。
−施設が運転停止状態にあり、核分裂がされていないこと
−原子炉内での圧力が高まっていないこと
−原子炉内の温度が100℃以下であること
GRSによれば、福島でもこの3つの条件は満たされているようだが、それなら東電が発表した原子炉内の放射線測定値は違っているはずだという。また、オーストリアの環境保護団体Global 2000のラインハート・ウーリッヒ氏は、福島の原子炉内温度が本当はもっと高く、燃料棒は融けて原子炉圧力容器の底を抜け落ちているはずであり、「ここで冷温停止というのは、意図的な嘘に近い」と批判している。
ジュートドイチェ・ツァイトゥングの東京特派員クリストフ・ナイトハート氏は、3月11日以降、数々の思慮深い記事をドイツに発信していますが、「日本は福島のドラマを終わったと宣言した − 原子炉の状態を考えると、これは喜劇である。政府は冷温停止と言いながら、あたかもこれが燃料棒を簡単に取り出せる、普通に機能している原発であるかのように振る舞っている」と書いている。そして、「野田首相が”収束宣言”をするのは、自分と東電の成功を国民に示し、国内の”平常化”を信じ込ませようという願いからだ「と言い、最後に「まだ東電を信用できるのか?」と問いかけている。そしてその答えは「野田首相は既にそうしている」。それは、日本政府がベトナムへの原子力発電所輸出のためのコンソーシアムのリーダーを引き続き東電に任せるつもりであることにも表われていると指摘している。
日本での成り行きを世界は見ています。最後にツァイト紙の社説の中で出てきたひと言で終えたいと思う。「(福島)原発事故の収束作業進捗を疑うわけではない。しかし、楽観的すぎると仕返しがあるかもしれない。野田首相は、国民と世界を、自分が保証できない安全に導くという間違いを冒している」
日本政府は冷温停止や除染と言う漢字の持つあやふやな意味を意図的に国民を欺く為に使っているとしか思えないのです。除染などと云う都合の良い処理方法が放射能汚染に存在するわけがない以上これは移染に過ぎず、冷温でも停止でもない以上冷温停止では断じて無いと思います。玄海原発についても佐賀県知事は自ら減俸を表明する事で延命策をとり九州電力との癒着をうやむやにしようとしています。佐賀と言い鹿児島と言い国は九州内でも過疎の街を丸ごと原発のために犠牲にしようとしています。何かあっても日本の端っこ、中央の東京には影響が無い場所ですし切り捨てれば済む(福島のように)。僕の愛する九州、しかしそこには素晴らしいお茶の畑がありえいえいと築き上げられた棚田があり日本一素晴らしい果樹が繁り、素晴らしい水が湧き、豊かな水産資源があるのです。九州内では福島の問題は東日本程深刻に捉えられていません。普通ならとっくに知事のリコールなり原発の徹底した安全性調査なりをすべきなのにと不思議に思います。身近な若者に訊いても雇用、経済、電力事情の為に原発は止むを得ないと云う意見が大半です。一体僕は間違っているんだろうか?