ドイツの脱原発とエネルギー転換の現状

じゅん / 2018年1月14日

昨年の大晦日に、ドイツ南部、バイエルン州のグンドレミンゲン原発で、B原子炉が操業を停止した。ドイツは2011年の夏に、2022年までに段階的に全ての原発から撤退することを決め、段階的脱原発の具体的な工程表を決定した。グンドレミンゲン原発のB原子炉の操業停止は、この工程表に従ったもので、これによってドイツで稼働する原発は残り7基となった。この原発の操業停止は、ドイツのマスメディアでもほとんど取り上げられなかったが、そのこと自体、ドイツの段階的脱原発が順調に進んでいることの証ではないかと私には思われた。

グレドレミンゲン原発。(Wikipediaより)

周知の通りドイツが原発からの撤退を決めたのは、2011年3月の福島第一原発の重大事故がきっかけだった。もともとは原発推進派だったメルケル首相が、過酷な原発事故に衝撃を受け、これまでの方針を180度転換させた。当時ドイツで稼働していた原発は17基あったが、メルケル内閣は同年6月6日の閣議で、事故後運転を一時中断していた老朽原発7基と故障続きの原発1基の計8基の操業停止を決定した。残りの9基は2015年、2017年、2019年に1基ずつ、2021年、2022年にはそれぞれ3基ずつ操業停止し、遅くとも2022年末までに全ての原発から撤退するという工程表を閣議決定したのだ。それと同時に風力など再生可能な自然エネルギーへの転換をはかっていく方針も決定した。この閣議決定と原子力法の改正案がドイツ連邦議会で賛成多数で承認されたのは、同年6月30日で、福島の原発事故から3ヶ月あまりという急テンポの展開だった。

この工程表に従って昨年の大晦日に操業を停止したドナウ河畔のグンドレミンゲン原発B原子炉は、1984年3月に稼働を開始しており、34年近くにわたって大量の発電を続けてきた。ドイツのバーバラ・ヘンドリックス暫定内閣環境相は「グンドレミンゲン原発B原子炉が無事操業停止したことは、喜ばしいことである。これによってドイツの脱原発は、さらに重要な一歩を進めたことになる。原子力は危険なエネルギー源で、再生可能エネルギーではない。原子力から完全に撤退するまで、各原発を安全に稼動しなければならないのはもちろんだが、原子炉の解体作業の安全もはかっていかなければならない」と語った。同環境相は同時に「B原子炉の操業停止によって、電力が不足することはない」と強調した。

かつてはドイツ最大の原発だったグンドレミンゲン原発は、B原子炉の操業停止で、残るのはC原子炉だけになった。B原子炉の操業開始と同じ年の10月に稼働を開始したC原子炉は、工程表では2021年末までの操業を許されている。これに対してドイツの反原発運動家たちは、C原子炉もB原子炉と同時に廃止するべきだと長年要求してきた。「グンドレミンゲンの原子炉は、事故を起こした福島の原発と同じ沸騰水型原子炉で、技術的に欠陥がある。その上、プルトニウムを含むモックス燃料を使用しており、特別危険な原発だ」とバイエルン自然保護連盟の代表は主張する。バイエルン州議会の緑の党のエネルギー問題スポークスマンも、B原子炉の操業停止に当たって「今はその危険が半分になったが、グンドレミンゲン原発は時限爆弾を抱えているようなものだ」と語り、改めてC原子炉の即時操業停止を求めた。

同原発は、B原子炉の解体作業をなるべく早く、今年中にも開始したい意向を示している。これまでの原発作業要員が失業せずに解体作業に従事することができるようにという考えのようだが、解体作業の当局の許可はまだ出ていないという。

グンドレミンゲン原発は、初期の頃、実際に大きな事故を起したことで知られている。同原発のA原子炉は、1967年に稼働を開始したが、当時は世界最大の商業用原子炉だったという。ところが1975年11月、ドイツ最初の原発事故で死者二人を出した。また、1977年1月13日の夜には、高圧送電線の事故がきっかけとなり、その後の対応ミスが重なって原子炉内の緊急冷却装置に大量の水が流れ込み、放射能を含む熱湯が大量に溢れ出るという大事故が起こった。この事故で収拾がつかないほどの被害が出たため、A原子炉は廃炉に追い込まれたという経緯がある。この時はかろうじて過酷事故を免れたとも伝えられる。B原子炉ではA原子炉のような事故は起こっていない。2017年12月31日の正午、操業停止の最終ボタンを押したB原子炉の技術担当マネージャー、ミヒャエル・トロビッツ氏は「我々は、B原子炉の33年余りの操業期間中、大きな事故を起こさなかったことを誇りに思う」と語っていた。

グンドレミンゲンは、人口1500人にも満たない小さな村で、近郊のアウグスブルクで発行されている新聞「アウグスブルガー・ツァイトゥング」によると、グンドレミンゲン原発の従業員には、家族ぐるみで働く人が多いという。ファイルさん親子はその典型的な例である。父親のエルンスト・ファイルさんは、今は年金生活者だが、1984年3月9日にB原子炉を稼働開始させた技術者だった。その息子の36歳のトビアス・ファイルさんは、昨年の大晦日、集中制御センターで操業停止の作業をしたという。ファイルさん親子は、ともに歴史的な瞬間を経験したことになるが、息子の方は4年後のC原子炉の操業停止も経験するつもりだという。

こうした人間的ドラマとともに昨年の大晦日にドイツの原子炉がまた一つ閉鎖されたわけだが、翌日の2018年元日には、別のドラマが起こっていた。多くの人が大晦日のパーティーで新年を迎えるカウントダウンをし、花火とシャンペンで賑やかに新年を祝った後、まだぐっすり眠っていた元日の朝6時、そのドラマは静かに起こった。この瞬間にドイツの歴史上初めて、総電力需要の100%が、一時的に再生可能な自然エネルギーでまかなわれたのだ。

元日の朝のドイツの総電力需要は、祝日だったので通常のウイークデーの半分あまりの約41ギガワット時という少なさだった。そこへ早朝強い風が吹き、風力だけで需要の85%がまかなえた。それに水力とバイオマスが加わって100%に達したという。その時間には太陽はまだ全然顔を出しておらず、太陽電力が加わったのは、ようやく正午頃になってからだった。「まさか冬の日の早朝に再生可能電力が総電力需要の100%に達するなど、誰も考えていなかった」、こう語るのは連邦経済エネルギー省のエネルギー担当事務次官、ライナー・バーケ氏だ。これまで一時的に100%近くに達したのは、例えば祝日の5月1日や夏の日曜日など、同じように休日で電力消費量が少ない日だったが、お天気がよい日で、これまでは太陽光が大きな役割を果たしていた。

「風力を中心に再生可能電力が100%に達したことによって、エネルギー転換は新たな局面を迎えた。再生可能電力が増えることによって、我々にはこれまで以上に柔軟で多様な対応が必要となる。柔軟性に欠ける大規模発電所は、エネルギー転換の妨げになる」ともバーケ氏は言う。また、「(エネルギーのシンクタンクである)アゴラ・エネルギーヴェンデ」の所長、パトリック・グライヒェン氏は「今年元日の記録は、一時的にしろ総電力需要の100%を再生可能電力でまかなうことが可能であることを実証した」と語っている。

風力の最高記録は元日の後も続いた。1月3日には暴風を招く低気圧「ブルクリンド」が猛威を振るった。ブリュッセルに本部を置くヨーロッパの風力産業連盟である「ウインド・ヨーロップ」の発表によると、この低気圧のため、この日一日のドイツの風力による総発電量は、925ギガワット時という記録的な数字に達したという。

なお、福島第一原発の事故が起こった2011年3月当時、ドイツの再生可能電力の電力総需要に占める割合は約17%だったが、その後風力や太陽光による発電を中心に急速に増え、現在は、全体のおよそ3分の1に達している。もともとは2050年までに80%を再生可能電力でまかなうことが目標だったが、この分ではこの目標が達せられるのは、もっと早くなる可能性があるかもしれない。

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