新連邦大統領にシュタインマイヤー氏 ー 現大統領ガウク氏が退任にあたって国民に語りかけたこと 

あや / 2017年2月12日

2017年2月12日、これまでドイツの連邦外相を務めてきたフランク=ヴァルター・シュタインマイヤー氏が、新たに連邦大統領に選出された。本稿では、シュタインマイヤー氏に大統領職を引き継ぐ現連邦大統領ヨアヒム・ガウク氏が、1月半ば、大統領府ベルヴュー宮殿で行った任期終了にあたっての演説について取り上げる。

2012年、旧東独出身者として初の連邦大統領となったガウク氏。旧東独時代、プロテスタント教会の牧師として従事していた同氏は、体制批判運動に身を置き、1989年に設立された市民運動「新フォーラム」にも名を連ねた。1990年のドイツ統一後は、政治家ではなく、国家公安局(シュタージ)が集めた個人情報などを検証する政府の委託機関の長として、およそ10年の任期を務めた。

ガウク氏について、週刊紙「ZEIT」のカタリナ・シュラー記者は、「言葉が持つ力の使い方を熟知していて、情緒に溢れた語り口で多くの人々の心の琴線に触れる大統領」と評した。しかし、そのガウク氏の言葉も、最近では自身の出身である旧東独地域の人々の心に届きづらくなっていた。

統一から四半世紀過ぎても、なかなか埋まる事のない西と東の格差の中で、旧東独地域の少なからぬ人々が、国家やエスタブリッシュメント、そしてそれらが標榜する価値規範に不満を抱いている。とりわけ、メルケル政権下で膨大な数の難民を受け入れる政策がとられてからは、その傾向が著しい。イスラーム圏出身の移民や難民の排斥を唱える組織「西洋のイスラーム化に反対する愛国的欧州人(通称PEGIDA)」や右派ポピュリスト政党「ドイツのための選択肢(AfD)」の支持も、旧東独地域に根強い。大統領として、ヨーロッパの連帯、民主主義の擁護を訴え、社会の右傾化に警鐘を鳴らしてきたガウク氏だが、2016年6月ザクセン州のゼプニッツを訪問した折には、一部の市民から「消え失せろ!」、「国民の裏切り者」などと、激しい罵声を浴びた。

2017年1月18日、ガウク氏は、任期終了にあたっての演説で、政治エリートは、市井の人々の好ましくない政治的な考え方に「ポピュリズム」というラベルを貼って、すぐに議論から追い出してしまってはいけないと訴えた。「交流と議論は開かれた社会の酸素のようなものである」と例えるガウク氏は、異なる考え方を持った人々が論争することは、社会が分断されることなく、お互いが合意出来る妥協点を見いだす上での第一段階であり、そうして鍛えられることによって民主主義は発展するのだと強調した。

そして、また同時に、ガウク氏は、そのように懐の深い、開かれた民主主義においても、乗り越えてはならない限度があるということにも力点を置いた。その限度というのは、民主主義の価値規範や法秩序のこと。「我々の民主主義において人々を決定的に分けるものがあるとすれば、それはその人が元々そこに住んでいた人なのか、それとも新たに市民となった人なのかということではない。そして、また、その人が、キリスト教徒なのか、ムスリムなのか、ユダヤ教徒なのか、あるいは無神論者なのか、ということでもない。人々を分けるのは、その人が民主主義を支持する人なのか、そうではない人なのかということ。出自ではなく、姿勢が問題なのである」という言葉は、特に印象的だった。

ガウク氏が大統領職に就いた2012年から五年の間に、世界は大きく動いた。シリア情勢は悪化の一途をたどり、難民問題は深刻化し、イギリスはEUからの離脱を決めた。ヨーロッパ各国で、移民・難民の排斥や愛国主義を標榜する右派ポピュリスト政党が力を伸ばし、アメリカではドナルド・トランプ氏が大統領に就任した。暗澹たる激動の時、「民主主義は、(顧客が注文すればそれがすぐに宅配されるような)政治の通信販売ではない」と言うガウク氏は、国が自分たちの要望をかなえてくれるものと、ただ受け身でいるのではなく、市民一人一人が自覚を持って、主体的に社会に関わり、民主主義を擁護していく必要があると訴えた。

今日、世界は、そして、社会は、「あれ、なんだか、おかしいな」、「きな臭いな」と思っているうちに、驚くべきスピードで動いていってしまう。そのことを、私たちは日々のニュースで、これでもかというほど、見せつけられている。取り返しがつかなくなってしまう前に、微力ではあっても声をあげて、社会に積極的に関わっていく姿勢を持ちたいと、ガウク氏の演説を聞いて改めて思う。

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