トルコ・クーデター未遂 — ドイツに暮らすトルコ人の心境をめぐって

あや / 2016年8月7日

7月15日、トルコでクーデター未遂事件が起こってから、ドイツでは、この政変に関するニュースが、テロ関連のニュースと並んで新聞やテレビを賑わせている。たくさんのトルコ系の人たちが居住するベルリンにとって、連日の報道は決して対岸の火事ではない。

今、ベルリンのトルコ・コミュニティーは、レジェップ・タイイップ・エルドアン大統領及び与党公正発展党(AKP)を支持する人々と、それに反対する人々の間で、大きく揺らいでいる。先日、ある対話の集会に調査の関連で行ったら、トルコ系の自助団体を組織し、長年移民の統合のための草の根の活動をしてきたことで知られるカウンセラーのカジム・エルドアン氏(大統領と同姓だが縁故はない)が、苦々しい顔をしてこのことについて話をした。エルドアン大統領を厳しい言葉で憚りなく批判するこの人は、ドイツで育ったトルコ系の若者たちの間に、トルコ国旗を振って、AKPを支持する人たちが数多くいると言って嘆いた。アメリカに亡命中のイスラーム指導者ギュレン師にシンパシーを抱く人々が経営する商店などのリストと、そうした商店で物を買わないようにせよと呼びかける内容のメールが、AKP支持者から送られているとも語った。

「でも、一体どうして?」「非常事態宣言が出され、それに乗じて、報道の自由がひどく制限され、軍、司法、警察、教育機関の公職者の多くが解雇され、さらには研究者の出国までもが禁止された。死刑制度を復活させようという流れも強まっている。そういうことを知っているのに、どうしてトルコ人たちは、エルドアンを支持するの?」とその場にいたドイツ人たちは分からないという顔をした。

先のカジム・エルドアン氏は、「それを論理的に説明するのは難しいが、エルドアン政権下で好調な経済成長が続いたこと、AKPに対抗できるほどの野党が存在しないこと、厳格な政教分離を嫌う保守的なムスリムの層がAKPの宗教をめぐる方針を評価していること、クルド人問題や頻発するテロなどの影響も、理由として考えられる。だが、ここに住むトルコ人たちが大統領を支持する動機の大半は、結局、彼らがまだドイツを故郷として感じきれていないということと深い関係があるのだろうと思う」と言った。私は、これを聞きながら、6月の終わりに参加した催しのことを思い出していた。

この催しは、ドイツ連邦議会がオスマン・トルコによる第一次世界大戦期のアルメニア人迫害を「ジェノサイド(虐殺)」と認定する決議をしたことについて、ゲストの連邦議会議員フリッツ・フェルゲントロイ氏(SPD)が、市民の質問に答えるというものだった。

ちなみに、当初から予想されていたことではあるが、トルコ政府はこの連邦議会の決議に激しく反発し、ドイツ・トルコ間の深刻な外交問題に発展した。緑の党のジェム・エズデミール議員など、決議に賛成票を投じた11人のトルコ系の議員に対して、怒りをあらわにするエルドアン大統領は「(トルコ人の血が流れているかどうか)彼らの血液を検査するべきだ」とまで言い、物議を醸した。ベルリンに住むトルコ系の人々の多くもこの決議の採択に強く苛立っていたから、彼らとトルコ側の反応を激しく批判するドイツ社会との間の亀裂は深まっていく一方だった。

対話集会に参加した市民の三分の一近くは、トルコ系の人たちだった。フェルゲントロイ議員は、採択された決議文のコピーを配り、決議文の要点や決議がどのような経緯で採択されるに至ったのか、などについて説明をした。議員が一通り説明し終えると、すぐにトルコ系の市民から質問の手が挙がった。

「なぜ、このタイミングなんだ」
「トルコ側の見解は全く顧みないで、アルメニア人側の歴史認識を一方的に採用している。政治的に偏った決議ではないか」
「どうしてトルコのことばかり問題にするのか。欧米諸国は植民地支配で、もっとひどいことことをたくさんやったのに」

皆、一様に感情的だった。不公正だ、という気持ちが前面に出ていた。
私は、正直に言って、彼らが訴えるロジックにあまりうなずくことは出来なかったが、どうして彼らがこんなにも苛立っているのか、その感情の流れは少なくとも理解できた。そのきっかけは、ある中年女性の言葉だった。

「ドイツで、私たちは色々な差別にあっている。今のような状況では特にそうよ。嫌な思いをたくさんしてきたの。あなたたちには分からないわ。私はトルコという国に自分の起源があることを誇りに思う。その私の大切な心のよりどころを、よりにもよってドイツに侮辱されるなんて、耐えられない」

彼女は、この発言をもとからしようと思ってしたわけではなさそうだった。議員や他の参加者とのやりとりで感情が高ぶって、思わず出てしまった本音のように、私には聞こえた。そこには、ロジックではなく、傷ついてささくれた人の心があった。

7月31日、クーデター未遂事件にちなんで開催されたケルンのデモには、数万人のトルコ系の人々が足を運んだ。翌日の新聞各紙には、トルコ国旗で真っ赤に染まるケルン大聖堂前の大きな写真が載った。関連記事には、エルドアン大統領に強く共鳴する人々の異様さを描き、「統合の失敗」と結論付ける内容のものが目立った。けれど、先の中年女性のやぶれかぶれの言葉が耳の奥にまだ残っている私には、そういう結論の仕方はなんだか安易であるように思われた。エルドアン大統領を支持するトルコ系の人々の行動の異様さよりも、今論じなければいけないのは、むしろそういう人たちの、心のやわらかい部分が、どのような刺激にさらされてきたのかということ、そしてそういうことを了解した上で、彼らと対話し、同じ社会の中で(別々にではなく)共に暮らしていくためにどうすれば良いのかということではないだろうか。

One Response to トルコ・クーデター未遂 — ドイツに暮らすトルコ人の心境をめぐって

  1. 折原(埼玉県) says:

     トルコのクーデター未遂事件の問題や波紋が伝わってきました。
    「ドイツで、私たちは色々な差別にあっている。今のような状況では特にそうよ。嫌な思いをたくさんしてきたの。あなたたちには分からないわ。私はトルコという国に自分の起源があることを誇りに思う。その私の大切な心のよりどころを、よりにもよってドイツに侮辱されるなんて、耐えられない」
    「エルドアン大統領を支持するトルコ系の人々の行動の異様さよりも、今論じなければいけないのは、むしろそういう人たちの、心のやわらかい部分が、どのような刺激にさらされてきたのかということ、そしてそういうことを了解した上で、彼らと対話し、同じ社会の中で(別々にではなく)共に暮らしていくためにどうすれば良いのかということではないだろうか。」

     このコメントに共感しました。このような姿勢、どんな場合でも必要ですね。