川内原発再稼働を伝えるドイツの報道

あきこ / 2015年8月30日

2015年8月11日、日本では川内原発が再稼働された。福島原発の事故後、ドイツでは福島の状況はことあるごとに報じられているだけではなく、日本のエネルギー政策についても頻繁に報道がなされてきた。川内原発再稼働のニュースも当然のことながら、新聞、テレビ、ラジオなど多くのメディアが取り上げたが、ここではドイツ公共第一放送(ARD)のテレビ報道を中心に、特に興味深い視点を持つものを拾ってみた。

 

ARDは、川内原発が再稼働される前から、何度かニュース番組で取り上げた。8月9日午後5時過ぎのニュースでは、「川内原発は小さな原発だが、大きな象徴的意味を持つ。多くの反対にもかかわらず、政府と産業界が望んだ再稼働は日本社会を二分している」と冒頭で述べた。そして、原子力発電所へのデモ行進に参加している人々の「日本は民主主義の国だ。国民の60~70%が原発に反対している。これらの声に耳を傾けるのが政府の仕事だ」、「広島と長崎に原爆が投下された。福島では過酷事故が起きたのに、政府も電力会社も何も学んでいない」といった主張を伝えた。「事実、地震の危機、避難計画、原発近くの火山爆発のリスクについて、行政も電力会社も、川内原発に適用される基準を大まかに解釈している。原子力規制委員会も九州電力も我々の取材に応じなかった。経済界は再稼働を歓迎している」というコメントに、経団連の根本勝則氏とのインタビューが続く。「我々が欲するのは軟着陸である。再生可能エネルギーはエネルギー源として高いポテンシャルがある。しかし性急な導入が産業界に起こす混乱は大きすぎる」という経済界の声が伝えられる。再生可能エネルギーを真剣に推進するのではなく、化石燃料に多額のお金を払っている日本のエネルギー供給の現状が紹介された後、「現在停止中の原発がいつ動かされるのかわからない。日本の原子力産業は深い危機にある」というコメントで報道は終わった。

同日午後11時過ぎ、「本日のテーマ」という番組で、長崎市で行われた原爆犠牲者慰霊祈念式典を取り上げた。この中で、広島の平和祈念式では非核三原則を言わなかった安倍首相が、長崎ではこの点について述べたこと、日本では将来の安全保障をめぐって現在激しい論争が行われていること、日本の平和憲法が安倍首相によって危機に晒されていると見る批判者がいることを伝えた。その直後のテーマが、川内原発再稼働であった。「2011年3月11日、津波が福島原発を襲い、その後に起きた大惨事に、世界中は息を止めた。核エネルギーについて、世界中でかつてなかったほどに真剣な議論がなされ、ドイツは記録的な短時間のうちに、脱原発という厳しい選択をした。しかし、日本はそうではない。事故後、初めて原発が再稼働する。そしてこのテーマは日本社会を二分している」という導入に続いて、番組は川内原発の近くで植物や野菜を栽培する一人の女性(ババソノ・マサコさん)の姿を追う。彼女は高齢のため、猛暑の中、原発までの数キロに及ぶデモ行進に参加せず、デモ参加者のためのお握り作りに協力する。「行政、電力会社は地震の危険や火山爆発のリスクを過小評価し、ずさんな避難計画を出している。原発前では市民的不服従は警官に押し戻される。参加者は列を乱すことはないが、抗議の声を上げる。デモ行進から戻ってきた参加者たちは、ババソノさんたちが作ったお握りで空腹を満たす。ババソノさんは自分にできることは、抗議行動する人たちの腹ごしらえをすることだと言う。『私たちの声が原子力ムラに届くかどうかはわからない。しかし、こんなにたくさんの人が集まったことに希望を見る。まだまだ頑張らないといけない』とババソノさんは言う」。ARDの番組は、「反対運動が根を張り、抵抗は基本権であり調和を乱すものではないことを認識するまで、日本人は多くのお握りを食べなければならない」という皮肉なコメントで終わる。

さらに8月10日早朝のニュース番組「朝のニュース解説」の論調はもっと皮肉が込められていた。それは再稼働を決めた政府、電力会社の臆病さに向けられたものだ。つまり、以下のような内容である。

あなた方は大きな騒動なしに原発を再稼働したいのですか。それなら、交通の便が悪いところにある小さな原発を選びなさい。再稼働の時期は休暇中にすればいいのです。町にはほとんど人がいません。ジャーナリストが他の用件、たとえば、広島、長崎、あるいは戦後70年といった用件で忙しくなるまで待ちなさい。それでも原発にやってくる人がいれば、うんざりするまで検問するのです。さらにビジターセンターを閉鎖し、気温が35℃になることを期待しましょう。これで、あなた方はすべて正しくやりました。文句をいう人たちがいなければ。

ここで映しだされるのが、「ここは民主主義の国だ。国民の60~70%が原発に反対している。これらの声に耳を傾けるのが政府の仕事だ」とか、「安全審査の方法が疑わしい。それに安全基準そのものが疑わしい」といった“文句”を言う人である。ここから先は、どう考えればよいのか私は戸惑うのだが、番組は次のように続く。

 川内を再稼働したのはよかったのです。というのも、あなた方を困らせる人間は、たった2000人しかいないからです。もしこれがドイツだったら、少なくとも20万人はいたでしょう。それでも、東京から川内まで可能なかぎりの警官を動員したのは正しい判断でした。集まった人たちが何をやりだすかわからないからです(ここで、音楽に合わせて踊り出す女性が映される)。正しい場所を選択してよかったですね。もし福島が北海にあったとしたら、あるいは日本人が抗議の文化を持っていたとしたら、それこそ絶対に過酷事故になったでしょう。

 以上3つのニュース報道、あるいは解説番組はすべて8月11日の再稼働以前に放映されたものである。

8月11日、川内原発が再稼働された後は、テレビではARD、ドイツ第二テレビ(ZDF)、ドイチェ・ヴェレ、ニューステレビ(n-tv)などが再稼働を報じた。原発再稼働に反対するデモ参加者の怒りの声、「世界で最も厳しい安全基準を満たした」という官房長官の声、さらには川内で再稼働反対を表明する菅元首相の姿を映しだすニュースもあった。上述のような皮肉たっぷりの報道をしたARDは、再稼働後のニュースで、「30年間、車庫にいれたまま一度もエンジンをかけなかった車で、遠くに休暇に出かけるようなもの」と、技術的な問題を指摘し、再稼働について「政治的、経済的、技術的な問題を考えれば、電力会社の最後の悪あがきだ」と結論づけている。

ラジオではドイチュラントフンクが、2週間の日本訪問を終えて8月10日にドイツに戻ったばかりのベアベル・ヘーン連邦議会議員(緑の党)とのインタビューを放送した。日本での反原発運動を後押しするために日本を訪問したというヘーン議員は、福島以前と以後では日本の反原発運動に大きな違いがあると述べた。福島事故がトラウマとなり、反原発の動きが強まっていることを指摘する一方で、前回の総選挙で圧勝した現政権が原子力ムラと協力して再稼働を推進していることと、現政権が住民の帰還政策を目指していることについても批判した。

多くの新聞が再稼働を報道しているので、挙げればキリがない。その中で、全面を使って、川内市の反原発運動を担ってきた人たちに取材し、日本の議会、原子力規制委員会、電力会社の問題点を明らかにしたベルリンの日刊新聞「ターゲスシュピーゲル」の特集は読み応えがある。以下、その特集の要約である。

薩摩川内市議会の佃昌樹議員(社会民主党)は現在72歳だが、人生のほぼ半分を反原発にかけてきたという。川内原発の建設とともに、彼の政治家としての人生が始まった。教育に専念しようと思っていたが、原発建設で彼の人生は反原発一色に染まったという。彼はデモの準備のために仕事場に集まってくる教師、幼稚園の先生たち、年金生活者たちに指図するのではなく、彼らの話を聞き、集会ではこれらの人たちを表舞台に立たせようとしている。しかし、市議会では原発推進派の議員たちが多数を占めている。九州電力は、川内市の重要な雇用主であり、例えば九州新幹線が停車するための新しい駅舎を作るといった大事業を財政的に支援している。日本では国会をはじめ、地方議会でも野党は小さい。2011年の福島事故以後でさえ、原発推進派がどの選挙でも勝利をおさめている。経済政策には原発が欠かせないというキャンペーンがいきわたり、原発は仕事と繁栄の保証となっている。安倍首相は2年半前の就任直後、できるだけ早い原発の再稼働を約束した。そして、昨年夏、福島事故以前に比べて厳しい基準を設けている原子力規制委員会は初めて再稼働の許可を与えた。しかし、それ以後も再稼働は何度も先送りされてきた。その理由は明らかにされないのが普通だ。ただ短い通知と新しい期日が発表されるだけだ。佃議員は、「どんなに小さな事故でも、みんな怯えている。誰も責任を取りたくないのだ」と言う。

政府は長い間、政治的な影響力を持つ電力会社に対して、かなり好きなようにさせてきた。2001年、アメリカで同時多発テロ事件が起きた後、アメリカの技術者たちは、原発の自動停止装置を開発し、原子炉に通電されない状況が起きても大惨事が起きないシステムを作り、日本にも売り込んだが、当時の政府の担当部署はそんな危険はないという理由で断った。2007年、中越沖地震では日本最大の出力を持つ柏崎刈羽原発の原子炉から放射性物質が外部に漏れ出た。原発は活断層上に建てられているのではないかという疑いがもたれた。同原発の事業者である東電は書類のねつ造や隠ぺいが非難されたものの、安全基準を強化することなく、原発の運転を続けた。それから4年後に福島の大惨事が起きた。そして今なお政治家たちは、事故の結果を過小評価している。

鹿児島県議会の松崎真琴議員(共産党)は、原発事故について記録を取り続けている。彼女はその分厚い記録資料を見ながら、川内原発が安全だという原子力規制委員会の主張を信じることはできないと言う。九州は至る所に活火山がある上に、川内原発は建設からすでに31年を経ている。松崎議員は「議論が変わってきている。かつて議会では原発は絶対に安全で、制御可能だと言っていた。しかし、今は残余リスクという言葉が使われる。残余リスクと経済的必要性を天秤にかける議論だ。100%安全なものは何もない。福島事故以後、原発反対者の圧力に対して、全員が慎重になっているのは良いことだ」と言う。

佃議員は松崎議員や他の反対者とともに原子力発電所前に立ち、原発の安全神話の嘘を正すビラをまく。彼らのデモは再稼働を防ぐことはできなかった。慎重に稼働を始めた川内原発は、9月からフル稼働で電力生産を始める予定だ。それでも活動家たちはすぐにチャンスを得るだろう。13か月後には、1ヶ月間、安全点検のために原子炉は停止するからだ。「闘いがまた始まる」と松崎議員は言う。

もう一つ、週刊新聞ツァイト紙が、「原子力 - 最後の生き残り」と題する記事を出し、再稼働にはアメリカの原子力ロビーからの圧力があったことを明らかにしている。すでに日本語訳されているので、訳者の許可を得て、リンクを貼らせていただく。
http://donpuchi.blogspot.de/2015/08/blog-post.html

ARDの番組「朝のニュース解説」が報じているように、確かに日本の反原発のデモの参加者はドイツに比べれば桁違いに少ない。また、過去にドイツの原発反対運動で見られたような原発建設現場に侵入するといった実力行使もなく、立ちはだかる分厚い警備の壁に向かって、声を上げるのが精いっぱいだ。それでも、「ターゲスシュピーゲル」を読めば、福島事故以後、原発の安全神話が崩れ去り、「どんな小さな事故でも、とてつもないスキャンダルになる」(松崎議員)ことを恐れる原子力推進派の実態が見えてくる。

 

 

 

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