“美しかった国・日本” - ヴィム・ヴェンダースが写した福島

あきこ / 2015年8月23日

 

Wim Wenders _ Fukushima

ヴェンダース監督が写した福島

「パリ、テキサス」、「ベルリン・天使の詩」や「Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」で、日本でも多くのファンを持つ映画監督ヴィム・ヴェンダースの生誕70周年を記念して、彼が生まれた町デュッセルドルフにある「クンストパラスト」美術館で彼の写真展が開催されていることを聞き、デュッセルドルフに滞在した折に訪ねた。

ライン河沿いに立つクンストパラスト、直訳すれば「美術宮殿」で開催中のヴィム・ヴェンダース写真展には、「4 REAL & TRUE 2」というタイトルが付けられている。同美術館の館長ベアート・ヴィスメールとヴィム・ヴェンダース監督自身がキュレーションしている。

展示されているのは大判の写真79枚で、初期の白黒写真から壮大なパノラマ写真、さらには最近の写真までが網羅され、ヴェンダース監督の写真家としての歩みを回顧する展覧会となっている。6歳で父親からもらったローライフレックスが写真の原点という同監督は、アナログカメラにこだわり、三脚は使わないことを撮影の原則にしている。タイトルの「4 REAL & TRUE 2」は、写真は現実をありのままに写すという本来の使命にこだわるべきだというヴェンダース監督の主張を反映している。「現実と真実を写しだすために」とでも訳せるだろうか。

ドイツではベルリン、ブランデンブルグ州内のいくつかの町、ドレスデンなど、アメリカではニューヨーク、テキサス、カリフォルニア、デンバー、ラスベガスなど、オーストラリア、エルサレム、カナダ、アルメニア、キューバなど世界各国の場所がヴェンダース監督の目を通して写しだされた風景が展示されている。ほとんどの写真に人は写っていないが、あたかもすぐそこに人間の息吹が聞こえそうな風景があるかと思えば、人々に捨て去られた場所があり、また誰もが憧れを抱くような場所など、実に様々な場所にヴェンダース監督がカメラを向けていることがわかる。「場所はそれぞれの物語、歴史を語っている」という同監督は、カメラを通してその物語を書き留めようとしているかのようだ。

日本からは尾道と福島の風景が写されていた。尾道は、ヴェンダース監督が敬愛して止まない小津安二郎監督の映画「東京物語」の主人公である年老いた夫婦が住む町である。夕闇迫る尾道の風景について、「夕方、尾道までの道を歩いて帰る道すがら、私は神聖な土地に着いたような気持ちを覚えた」と同監督は述懐している。尾道の写真は2005年に撮影されたもので、山の上から瀬戸内海を見下ろす大判の写真は、どれも実に美しい。

もう一つの撮影の対象となったのが福島である。尾道の写真は大きな部屋に他の写真と一緒に並べられているのに対して、福島の3枚の写真は、照明を暗くした一つの部屋に展示されている。部屋に入ると正面の壁にヴェンダース監督のテキスト、左側の壁に奈良で撮影された竹林の写真が1枚、右側の壁に件の3枚の写真がピッタリと並ぶというレイアウトである。3枚の写真すべてに同じ波状の線が見える。この線は何だろうと思いつつ、ヴェンダース監督のテキストを見て衝撃を受けた。以下、そのテキスト全文の訳である。

2011年秋、私は福島に旅した。東京の郊外でガイガーカウンターが示した毎時0.1マイクロシーベルトという数値は、大都市では正常な値である。福島市の人影のない駅では、数値は毎時0.4マイクロシーベルトに上がった。夜に「PINA」のチャリティ上映会と討論会が行われる映画館での数値は毎時0.6マイクロシーベルトだった。事故を起こした原子力発電所周辺の立入り禁止区域近くに車で行き、飯館村まで行った。そこでは数値は毎時0.8~2.2マイクロシーベルトになってしまった。

若い農婦が、無人となった農場に案内してくれた。そこではガイガーカウンターは毎時8.19マイクロシーベルトという恐ろしい数値を出した。美しく穏やかな秋の夕べで、太陽は沈んでいた。鳥たちがさえずり、遠くで家鴨の鳴く声がしていた。目にも耳にも平和な風景だった。しかし、もはや目も耳も信じることはできなくなっているのだ。この一帯は今後数百年、人は住めない。被害がこんなにも目に見えないものだということは、ここの人々にとっても理解不能だ。ここで再び何かを築き上げることはない。夜、映画館では多くの人々が、世界中から置き去りにされたと感じていると涙ながらに語った。

数週間後にようやく写真を現像に回した。福島のネガは腐食したかのようにダメージを受け、すべてが同じ正弦曲線を示していた。目に見えない放射線だが、ネガフィルムでは見えるにようになっていたのだ。

原発が一たび事故を起こせば、放射能が空気中に放出されることを私たちは知っているのに、まさに目に見えないがゆえに、放射能をなかったことにしてしまう罠に陥りやすい。しかし、ヴェンダース監督のアナログカメラは放射能を捕えたのだ。8月11日に川内原発が再稼働されてしまった日本。2030年の電源構成における原子力の割合を20~22%と計画している日本。もしこの計画が実現されるようなことがあれば、ヴェンダース監督が2005年に撮った尾道が「美しかった国・日本」の象徴になってしまうことを恐れるのは、私だけではないはずだ。ヴェンダース監督のテキストと3枚の写真に見入っていた数多くの訪問者にとっても、福島の事故が起きた日本で、よりによって原発が再稼働されたことは理解不能だろう。

なお、この展覧会は8月16日が終了予定だったが、訪問者多数のため8月30日まで延長されることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

One Response to “美しかった国・日本” - ヴィム・ヴェンダースが写した福島

  1. 大変貴重な記事を、転載させていただきました。