脱原発へさらに前進、ドイツ南部のグラーフェンラインフェルド原発が操業停止

永井 潤子 / 2015年7月5日

ドイツで稼働中だった9基の原発のうち最も古いグラーフェンラインフェルド原発が、6月27日、土曜日の23時 59分 をもって計画通り稼働を停止した。1981年12月9日の稼働開始以来、33年以上にわたって町のシンボルとなってきた原子炉の2本の冷却塔から出る蒸気も、翌日曜日朝には完全に消えたことが確認された。長年反原発運動を続けてきた地元の市民たちは、土曜日夜から日曜日にかけて原発の敷地前で「稼働停止ピクニック」を開き、停止の瞬間をカウントダウンしながら「脱原発」の進展を祝った。

バイエルン州の工業地帯、シュヴァインフェルトに近いマイン河畔のグラーフェンラインフェルド原発は、加圧水型原子炉で、毎年平均100億kWhの電力を作り出してきた。操業開始以来、33年の間には、3330億kWhの電力が作られ、この量はバイエルン州が必要とする総電力量の4年分に相当する計算になるという。

福島原発の事故後ドイツのメルケル首相はそれまでの原発推進政策を180度転換し、17基の原発のうち、もっとも古い原発7基と事故続きの原発1基合わせて8基を直ちに停止し、残り9基を2022年までに段階的に停止することを決定した。その9基のうち、最初に停止したのがこのグラーフェンラインフェルド原発である。エネルギー大手のE.ONはこの原発を今年12月31日まで稼働させることを許可されていたが、その期限の半年前に停止した。その主な理由は、もし年末まで稼働するとしたら、燃料棒を新しくしなければならず、そのために8000万ユーロ、(約109億円)もの核燃料税を払わなければならなくなるためだったと見られている。

ここで簡単にドイツの脱原発の歴史を振り返って見ることにする。最初の脱原発政策が決められたのは、緑の党と社会民主党の連立政権だったシュレーダー政権の時で、シュレーダー政権と大手電力会社との話し合いに基づき、2002年原子力法が改正された。その改正原子力法の骨子は、1. 原発の新設は行わない。2. 各原発の稼働期間は平均32年とし、すべての原発の稼働を順次2021年頃までに終わらせるというものだった。しかし、その後保守のキリスト教民主・社会同盟と自由民主党の連立政権が誕生し、最初原発推進策をとったメルケル首相は、2010年秋に前シュレーダー政権の決定を反故にし、各原発の稼働期間を平均12年間延長した。その際、原子力業界の求める稼働期間の延長を認める代償に核燃料税を設け、2011年1月から導入した。その直後の2011年3月、福島原発事故が起こり、その凄まじさにショックを受けたドイツ国民の圧力に押されてメルケル首相は、段階的な脱原発に舵を切った。メルケル首相の方針転換後も電力会社は、核燃料1グラムにつき、145ユーロの核燃料税を徴収されている。核燃料税は廃炉の費用など、原子力にかかる社会的コストの一部を電力会社に負担させるものと考えられており、当面2016年まで続けられる見込みである。

グラーフェンラインフェルド原発は、シュレーダー政権の決定によれば2014年に操業停止をしなければならない事になっていたが(その後の稼働期間延長で一旦は2029年までの延長が認められた)、ようやく今年、2015年6月末に稼働停止が現実のものとなった。長年ドイツでは原発は「紙幣印刷機」に例えられるほど儲かる事業とみなされてきた。何十年もの間、原子力業界の利益は毎日、100万ユーロ(136億円)以上にのぼったと推察されているが、しかし、最近では再生可能エネルギーの急激な増大によって市場での電力価格は大幅に低下、原発事業は経済的に割の合わないものになっていることも、E.ONの原発からの早期撤退を後押ししたと見られる。

「33年もの長い間稼働し続けた古い原発がやっと停止した」と喜ぶのは、緑の党の連邦議会議員、ジルヴィア・コッティング=ウールさんだ。一方、「グラーフェンラインフェルド原発の停止によって、電力供給の安定が脅かされる恐れはない」と強調するのは、バイエルン州のイルゼ・アイグナー経済相だ。「この原発の稼働停止が問題なく行われたことは、バイエルン州及びドイツのエネルギー転換がいかに進んだかを示すものである。原子力によって生産されなくなった電力は、ドイツ及びヨーロッパの再生可能エネルギーと従来の火力発電所などの発電で補うことができる。『送電網安定のために必要な技術的な措置』はすでに取られている。稼働停止は、エネルギー転換についてポジティブな意味を持つ」と彼女は言う。いずれにしてもバイエルン州では、今後ドイツの他の州や外国、特に原発のない隣国オーストリアからの電力供給が増えることが予想されている。

「ドイツには電力があり余っている。たとえ残りの原発8基が稼働を停止しても、電力不足の事態は多分どこにも起らない」と最近の調査報告の中で指摘したのは、ドイツ経済学研究所(DIWベルリン)である。また、エネルギー転換のためのベルリンのシンクタンク「アゴラ」も先日、「ドイツのエコ電力の増加は2015年前半だけでも、グラーフェンラインフルド原発の総発電量の2倍を超えている」と発表した。

残された8基の原発のうち、次に稼働停止するのは2017年に同じバイエルン州のグンドレミンゲンBで、2019年にバーデンビュルテンベルク州のフィリップスブルクⅡが続く。残り6基のうち3基は2021年に、最後の2022年に残り3基が稼働停止して、原発からの撤退が完了するというのがドイツの段階的脱原発計画である。こうした脱原発計画はあまりにもゆっくりすぎると批判するのは、反原発の市民運動組織、「アウスゲシュトゥラールト」のスポークスマン、ヨッヘン・シュタイ氏だ。「電力不足という事態を招かずに残り8基の原発をすべて今年中に稼働停止することもできるはずだ。それだけの十分な電力供給能力がこの国にはある。だが、政治家たちは原発を操業する大手電力企に時間的な余裕を与えて、まだしばらくは利益を挙げさせようと目論んでいるようだ。2017年には核燃料税が撤廃される予定で、そのあと原発事業は、また利益の多い事業になる」とシュタイ氏は見る。

稼働停止されたグラーフェンラインフェルド原発の廃炉作業は、すぐ開始されるわけではない。この原子炉では193本の燃料棒が使われており、そのうち40本は毎年新しいものに変えなくてはならなかったという。使用済み燃料棒の冷却には約5年かかるが、E.ONによると、廃炉作業の第1段階、技術的な設備の解体などの作業は2018年に開始されるという。また、原子炉内の貯蔵プールで約5年間冷却された燃料棒は、鋼鉄製のキャスクに入れられ、原発敷地内の中間貯蔵所に置かれる。その作業は2020年末までに終わる予定だという。そのあと、原子炉圧力容器の解体を含む困難な第2段階の作業が始まる。2028年頃には最終的な建物の解体作業が始まり、2030年には中間貯蔵所をのぞく原発の敷地は元どおりの草地に戻るというが、この計画通りに作業が進む保証はない。地元の市民たちは廃炉作業中の事故を警戒する。また中間貯蔵所の許可は2046年までとなっているが、その先の放射性廃棄物の最終貯蔵所は、ドイツでもまだ決まっていない。

 

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