日本人だから安全という時代は終わった

まる / 2015年3月7日

黒い装束にナイフを持った覆面男の横で、オレンジ色の囚人服を着てひざまずく後藤健二さんの映像が頭から消えない。

ドイツの各メディアも日本人人質事件について報道したが、他の新聞よりも詳しい解説的な記事を掲載したのは、本来経済紙であるハンデルスブラット(Handelsblatt)だ。見出しは「ISのテロが日本に達する」で、後藤さんが殺害された翌日、2月1日に掲載された。書き出しには「長年、日本は国際紛争にほぼ全く関わらないできた。ISによって二人の人質が殺された後、この事件が日本の対外政策にとって何を意味するものかが推測される」とある。この記事から抜粋する。

日本人は最も安全な国の一つに住んでいる。しかし、イスラム国によって二人の日本人人質が殺されたことにより、日本人は今、世界最大の脅威の一つを直接感じさせられている。

日本は200年もの間、将軍家の支配下で世界から孤立していた。その後には、台頭する軍事主義と第2次世界大戦前の隣国支配が、惨たんな結果を招いた。日本は再び孤立していたのである。そしてここ20年来、日本は及び腰ながらも、またその軍国主義への食指を伸ばしてきている。

首相になってからのこの2年間、安倍晋三はこれまでになかった強い意志をもって、日本に国際政治の舞台で、より大きな役割を担わせようとしている。人質事件がその対外政策にどんな影響を持つかについては、まだ見えてこない。しかし、過去の経験から見れば、日本はしばらくしたら再び、自らの軍事的役割を拡大しようとするだろう。そのための大きなテストはこの春になるかもしれない。自衛隊の仕事を拡大しようという安倍の提案について国会で審議されるのだ。

安倍は就任してから今まで、前任者たちよりもずっと外交に力を入れてきた。ラテンアメリカ、アフリカ、ヨーロッパ、東南アジアの多くの首脳陣たちと会ってきた。一番最近の旅先は中東で、ISと戦う国々に対して人道的な援助を約束した。1月17日、カイロで行ったスピーチで2億ユーロの支援を約束。3日後、ISは日本が「我々の女子供を殺すために寄付した」として弾糾した。

後藤さん殺害を見せるビデオでISは、さらなる邦人殺害を予告した。「日本にとっての悪夢が始まった」と宣言した。日本がこのような危機的状況に陥るのは初めてのことではない。

2004年に日本は、イラク復興のために数百人の自衛隊員を派遣した。これは戦闘要員ではなかったものの、それまでの政策とは手を切るものであった。自衛隊の権限を拡大する特別法を作った。そこでも自衛隊員が人質にとられている。その1人は首を斬られた状態で、その体は米国の国旗にくるまれて見つかった。その前に当時の小泉首相は、自衛隊を撤退させることを拒んでいた。

そのような暴力はどこで起きてもショックだが、日本では特にショックである。世界でも最も殺人が少ない国の一つで、武器所有率も低い。中東の問題も、これまでは欧州や米国にとってよりも、遠く感じられていた。

ニューヨークやパリとは違い、東京ではイスラム過激派による攻撃はこれまでになかった。今までに一番ひどかったテロ事件は、国内から出てきたものであった。1995年に新興宗教団体による地下鉄サリン事件がそれである。

同記事の最後には「日本人だからといって安全に感じることができた時代は、もう終わった」という毎日新聞の一文が引用されている。

 

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