原子力エネルギーをテーマにしたドイツとフランスのテレビ映画

あきこ / 2015年2月8日

ドイツとフランス両国が合同で運営する公共文化テレビ局アルテ(arte)が、1月8日と9日の2日にわたって、原子力エネルギーをテーマとした劇映画を上映した。これはアルテが新たに始めた「タンデム」と呼ばれるプロジェクトで、一つのテーマについてドイツとフランスのチームがそれぞれ映画を制作するというものだ。最初のプロジェクトに選ばれたテーマは原子力エネルギー。ドイツとフランスの作品を見ると、原発に関する両国の違いが明らかではあるが、原子力エネルギーの問題をオープンに提示するというところでは一致している。

ドイツチームによって制作された映画は「真実の日 (Tag der Wahrheit)」と題するもので、ドイツとフランスの国境アルザスにある架空のオー・ラン原子力発電所でのテロ事件を描いている。フィクションであるが、この原子力発電所がドイツとフランスの国境から約25㎞のところにあるフェッセンアイムであることは容易に想像できる。フェッセンアイム原子力発電所は1978年に稼働して以来、多くの事故が起きており、2016年に停止が決められているが、最近オランド大統領がこの決定を白紙に戻そうとしているいわくつきの原発で、ドイツにとって大きな脅威となっている。

話はライン川のドイツ側に男性の遺体が見つかるところから始まる。どうやら自殺らしいことがわかる。遺体はドイツ側に上がったが、死者はフランス人ということでフランスの警察に回される。身元を調べると、男性は放射線防護専門委員であることが判明する。ドイツ人女性検事とフランス人男性検事がこの専門委員の自宅を捜索したところ、撮影が終了したビデオカメラが放置されたままになっていて、メモリーカードが見当たらないため何が撮影されたのかわからない。

ちょうどその頃、原発への機材搬入業者に成りすました不審な男性が原発に侵入、銃を片手にあっという間に中央制御室に立てこもる。現場に呼ばれたドイツ人女性検事は、原発に立てこもっている男を知っていた。2008年4月24日、オー・ラン原子力発電所が一般公開され、職員であったダニエル・コルヴァインは娘に自分の職場を見せようと原発に連れてきた。ところがその時、原発に事故が起こり、娘は被ばくし、2009年に10歳の若さで白血病のために亡くなった。ダニエル・コルヴァインがオー・ラン原子力発電所を告訴したときに、この女性検事が彼の訊問を担当したのだった。告訴は却下され、コルヴァインは解雇される。

その後、姿を消していたコルヴァインが突然、原発に侵入したのである。「午後8時までに環境相、電力会社社長、放射線防護専門委員による記者会見を開き、オー・ラン原子力発電所が老朽化し、安全な状態ではないことを明らかにする」ように彼は要求し、「もし要求が実現しない場合は原発の冷却システムを破壊し、メルトダウンを起こす」という。放射線防護専門委員はすでに遺体で発見されているため、コルヴァインの要求に応えることはできない。電力会社と環境相が何とかしてコルヴァインの要求から逃れる術策を検討している間、女性検事は放射線防護専門委員のメモリーカードを探しに出かけるが、電力会社からの妨害を受ける。コルヴァインとのやり取りで、メモリーカードは彼の娘の墓に置かれているはずだと感じた女性検事は、娘の墓まで車を飛ばし、そこでメモリーカードを見つける。

時間切れが目前に迫った原子力発電所に、パリから環境相が到着する。午後8時のニュースが始まり、現場から環境相のインタビューが始まったとき、独仏の検事は中継カメラが設置された車に制止を振り切って乗り込み、メモリーカードに残された放射線防護専門委員の遺言を放映させる。中断された環境相のインタビューに代わって映し出されるのは、オー・ラン原子力発電所が25年前から何度も事故を繰り返し、それらの事故についてずっと黙って来たという告白だった。コルヴァインはテレビに映し出される専門委員の遺言を聞いて、原発の運転を正常に戻そうとする。そこに国家警察介入部隊がなだれ込み、コルヴァインに向けて発した銃弾の一つが制御盤を破壊してしまう。フランス、ドイツ、中央ヨーロッパに放射能がまき散らされることを予感させるところでドラマは終わる。

フランスの映画は「分断された村 (Mon cher petit village)」という作品で、核廃棄物処理場調査会社の技師アントワーヌ・ドゥガが、パリから架空の村サン・ラスーにやってくるところから始まる。ナビにも記されていないような過疎の村で、彼は住民たちに建設調査が進めば、雇用が増え、人口も増え、村は潤うことを説得しようとする。ところが、この村をエコの村にするためにドイツ国籍を捨てフランス国籍を取得して、村長になったドイツ人女性アンナは、環境保護を主張し、核廃棄物の処理場などまっぴらごめんという強力な反対者。村長は反対者を集め、集会を開き、核廃棄物の処理場がいかに危険であるかを村人に説く。人口が減ったために学校も閉鎖された村では、子どもたちは1時間以上もバスに乗って通学しなければならない。アントワーヌは核廃棄物処理場の建設調査がもたらす経済効果を述べ、核廃棄物処理のために500メートル以上も地面を掘るので、安全であると主張する。「福島の事故で、いっぺんに生活の場が失われたのよ」という村長の言葉よりも、「村が豊かになることのほうが大事」という人が増え、村長は人々の信任を得られなくなったということを実感し、辞任を決意する。ところが、村の豊かな自然の中で暮らすうちに、アントワーヌの気持ちが揺らぎ始める。豊かな緑を破壊し、森の樹木を伐採することが果たしていいのだろうか、と自問し始める。最終的に、アントワーヌはサン・ラスーに残ることを決めるが、核廃棄物処理場調査会社はアントワーヌに代わる次の技師を村に送る。

フランス作品は、核廃棄処理場の建設という重大な問題がもたらした住民の分裂を、深刻にならず、軽いコメディータッチで描いている。それでも、いくつかの場面で原子力エネルギーに関する根本的な問いが投げかけられる。その一つが、建設反対の村長の娘が技師アントワーヌに対して発した「そんなに安全だというなら、なぜ私たちの村じゃなくて、パリに建てないの?」という質問だ。アントワーヌは答えられない。映画の最後に、「フランスは核廃棄物を地下500メートルに貯蔵することを正式に決定した。この政策は2025年から有効となる……」というテロップが流れる。

ドイツ作品は原発とテロという問題に正面から取り組む。撮影は主に、完成したものの送電網とつながれることのなかったオーストリアのツヴェンテンドルフ原子力発電所で行われた。この映画を見て恐怖を感じたのは、原子力発電所の安全性にはテロ対策が欠かせないと言われているのに、主人公コルヴァインが「おまえたちのファイアーウォールってこんなに簡単なものか!」と言ったときだ。ドイツ語で「悪魔を壁に描くな」という言い回しがある。悪魔を描くと、本当に悪魔がやってくるという言い伝えから来ているらしいが、この映画が「壁に描かれた悪魔」でないことを願う。

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