温泉地でチェコの原発に思いを馳せる

永井 潤子 / 2014年8月3日

休暇でチェコの有名な温泉地、西部ボヘミア地方のカルロヴィ・ヴァリ(ドイツ名、カールスバード、カールの温泉という意味)に行って来た。日本の草津と姉妹都市関係にあるこの温泉地を訪ねたのは初めてで、ボヘミア地方が褐炭生産地として有名なことも今回の旅行で初めて知った。ベルリンでの忙しい毎日を離れてのんびり保養するために行ったのだが、現地でチェコの置かれた状況を知り、私の関心はこの国の原発問題にも向かった。

ベルリンの中央駅からウィーン方向に向かう準急列車に乗ると、2時間ほどでザクセン州の州都ドレスデンの二つ先の駅に到着する。この駅がもうチェコ領で、ここでチェコ鉄道の列車に乗り換え、さらに2時間ほど走ると、もうカルロヴィ・ヴァリだった。ベルリンから4時間ほどで到着する近さでありながら、心理的には遠くに感じられる町なのだった。チェコ領に入ってからは鉄道の沿線にさまざまな工場が立ち並び、チェコが工業国であることを思い起こさせられたが、やがてボヘミアののどかな風景の中に褐炭の発掘所や火力発電所も現れてきた。チェコは良質の石炭の産出国でもあるという。

回廊の一つ、パーク・コロンネ

回廊の一つ、パーク・コロンネ

長い間ドイツ名のカールスバードとして知られたこの温泉保養地は、ドイツ王でありボヘミア王であり、のちに神聖ローマ帝国の皇帝となったボヘミア出身のカ―ル4世が14世紀半ばに発見した温泉で、そのためカール(チェコ語ではカルロ)にちなんだ名前が付けられている。ここには昔からヨーロッパの王侯・貴族などだけではなく、ドイツの文豪、ゲーテやシラー、あるいはベートーベンやショパンなどヨーロッパの文化人や芸術家たちが温泉治療のため長期滞在したので、この町は単なる温泉地以上の文化の中心としての役割を果たし、ドイツ文化とも深い関わりを持ってきた。また、チェコの作曲家ドヴォルザークの交響曲「新世界」が1893年12月にニューヨークで世界初演された半年後、ヨーロッパ初演されたのは、ここカルロヴィ・ヴァリでのことだった。

12メートルの高さに吹き上がる間欠泉

12メートルの高さに吹き上がる間欠泉

今でもテプラ川(川の中から温泉が噴き出している)に沿ったメインストリートには18世紀から19世紀後半の美しい建築物が立ち並び、温泉保養地独特の豪華な雰囲気を醸し出しているが、建物の多くは今ホテルやレストランとなっている。町には、さまざまなデザインの回廊のついた建物があるが、そこにはいろいろな温度の温泉の蛇口があり、人々は思い思いのカップでその温泉水を飲みながら町をそぞろ歩く。町の中心には新しい温泉センターもつくられ、そこには温泉水が高さ12メートルほども噴き出している。ここでは30度、50度、65度、72度といった温泉水が飲めるようになっているが、1番おいしかったのは72度の温泉水で、お茶を飲むような感じで飲むことができた。もちろんこの町には本格的な温泉治療をする施設がいくつもあり、私も伝統的な療養施設の一つ、エリザベート温泉で泡風呂にも入った。本格的な治療をする人は長期滞在して医師の処方により、それぞれの症状にあった温泉治療をする。カルロヴィ・ヴァリには70以上の源泉があるが、そのうち14が温泉治療に利用されているという。温泉治療は身体全体の血行を良くし、新陳代謝を促すため、特に消化器官系の病気に効果があり、血圧を下げる効き目もあるという。温泉水を飲むのは、鉄分不足を補うためだろうか。

このカルロヴィ・ヴァリと日本の草津温泉の姉妹都市関係を実現させ、この町に日本風の石庭をつくったのは、ミュンヘン在住の作家、村木真寿美さんで、そのため彼女はこの町の名誉市民になっている。今回私がこの温泉保養地を訪ねる気になったのは、その村木さんが日本の左手のピアニスト、舘野泉さんと現地のオーケストラとのコンサートをカルロヴィ・ヴァリで開くと聞いたためだった。舘野さんがこのコンサートで弾いたのは第1次世界大戦で右手を失ったオーストリアのピアニスト、パウル・ヴィットゲンシュタインのためにフランスのラベルが作曲した「左手のためのピアノ協奏曲」だった。舘野氏はその数日後ベルリンでもコンサートを開いたが、ベルリンではソロ演奏で、オーケストラとの競演はカルロヴィ・ヴァリしかなかったのだ。

伝統的なグランドホテル・プップ

伝統的なグランドホテル・プップ

温泉保養地の雰囲気をのんびり味わい、コンサートを楽しんでいるうちに私は妙なことに気がついた。テプラ川に沿った町のメインストリートには、ホテルやレストランに混じって多くの高級宝石店や高級ブチックが並んでいるが、どのお店もいるのは店員だけ、お客さんの姿が見当たらないのだ。第2次大戦後、チェコ・スロヴァキア政府は、当時約300万人いたドイツ系住民の財産を没収し国外に追放した(ベネシュ大統領の布告による)が、カルロヴィ・ヴァリも例外ではなかった。長年この土地に住んでいたドイツ系住民はナチではない人たちも追放され、子々孫々にわたってこの地に戻ってくることを禁止された。第2次大戦後はこの町からドイツ文化の痕跡を消すことにも努力されたが、ドイツ人に代わってこの地に進出したのはロシア人だった。特に鉄のカーテンが開かれた後、不動産の70%から80%までが裕福なロシア人の所有になり、観光客もごく最近まで大半がロシア人だったという。こうした事情を聞くと、高級宝石店や高級ブチックではロシア語が主要言語であるのも納得がいく。だがウクライナ紛争の激化とともにロシアのプーチン大統領が国民に西側への旅行を禁止したため、ロシア人観光客はぱったり来なくなり、高級宝石店などは軒並み閑古鳥が鳴くようになったのだという。そう言われれば私が無理して泊まった由緒ある高級ホテルも閑散としていた。ウクライナ紛争の影響がこんなところにも現れていたのだと驚くと同時にウクライナ紛争が長引くと、この町が経済的に立ち行かなくなるのではないかと他人事ながら心配になった。ついでだが、この温泉地で見かけるアジア人はほとんどが世界中に散らばる中国人で、日本人はほとんどいなかった。

長い間ヨーロッパの大国のはざまで、その時々の国際政治に翻弄されて来た小国チェコ。ようやくそのくびきから解放されて独自の道を歩み始めた時にまた新たな問題に直面しているのだった。ちなみにチェコの人口は、2013年の推定で1070万2000人、東京都の人口1335万人より少ない。チェコの経済やエネルギー問題にもウクライナ紛争の影響がこれからますます出てくるのではないか。チェコは2004年にEUに加盟したが、ユーロ圏には属さず、通貨は今なおコルナである。

チェコがEUに加盟するとき、エネルギー問題でも自主・独立を保つためとして、自国の原子力に頼ることを基本政策に掲げていたように思う。チェコでは現在南モラビア地方にあるドコバニ原子力発電所で4基、南ボヘミアのテメリン原子力発電所の2基、計6基が稼働し、総発電量に占める原子力の割合は2009年の段階で33%あまりだった。テメリン原子力発電所では3号機と4号機が2023年と2024年の運転開始を目指して新たに建設される予定で、それに対してテメリン原発から国境まで50キロしか離れていないオーストリアや60キロしか離れていないドイツの政府はチェコに対し、新設しないよう強く要求してチェコ側の反発を買ってきたいきさつがある。オーストリアは30年前に脱原発を実現しているし、2022年までの脱原発を目指すドイツでは、特にチェコと国境を接するバイエルン州北部の住民の間に“チェコの福島化“を恐れる気持ちが強い。

カルロヴィ・ヴァリからベルリンに戻ってチェコのエネルギー事情を少し調べてみたところ、ロシアのウクライナ介入がすでにチェコの原発建設にも波紋を投げかけていることを知った。2兆円近くにのぼると見られたテメリン原子力発電所の原子炉2基の増設計画には、ロシアの原発建設企業アトムスロイエクスポルトなどの企業連合と三菱傘下のアメリカのウェスティングハウスなどが入札参加予定だったが、チェコ電力会社は今年4月初め、入札中止を発表していたのだ。チェコ電力は欧州市場での電力卸売価格が低水準で、投資額を回収できるかどうか見通しがたたなくなったこと、政府の価格保証が得られなかったことを入札中止の理由に挙げているが、チェコ政府内にはロシアの入札参加に反対の意見もあったという。

チェコ電力は今後も原子力重視政策に変わりはないとしているが、本当にそうなのか、エネルギー問題でも自主独立をめざすチェコの今後の動きを見守っていきたいと思う。私が経験した限り、ボヘミアののどかな風景の中に、いまやドイツのいたる所に見られるようになった風力発電機はまったく見当たらず、屋根の上のソーラー施設も目にしなかった。ボヘミア地方の温泉地、カルロヴィ・ヴァリとフランス映画「去年マリエンバードで」で知られるマリエンバード、それにフランチスカバードを加えた3つの温泉は“温泉3角形“として有名で、この地域では地熱の活用も、その気になれば、できるはずである。一般的にヨーロッパでの原発新設は難しくなってきており、チェコもウクライナ紛争をきっかけに再生可能エネルギーを増やす方向に転換して欲しいと私は願っている。

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