日本人は原発報道に飽きてしまったのだろうか?

みーこ / 2014年4月13日

先日、私が書いた「ベルリンで行われたおしどりマコさん講演会」という記事に対し、ベルリン在住のある日本人からメールをいただいた。その方は、「マコさんが言っている福島の実態には、日本では報道されていないこともあるようだが、本当のことなのだろうか?」という疑念を抱いたようだった。それを受けて、あれこれ調べるうち、私は日本のメディアの報道姿勢に疑問を持った。

メールをくれた方が「これは本当のことなのかな? 日本のメディアで報道されているのを見たことがないのだけど。いくら何でもこんな大事なことを、日本のメディアがまったく報道しないことはあるだろうか?」と疑問を呈してきたのは、私の書いた記事の次のくだりだ。

— マコさんが今一番危険だと思っているのは、福島第一原発の1号機と2号機の間にある120メートルの煙突。この煙突には地上60メートルのところに、東西南北に裂け目が入っており、いつ折れるかわからない。この煙突の根元には高線量の箇所が2箇所あり、それぞれ、毎時25シーベルトと毎時15シーベルトである。あまりにも危険で作業員が近づけないので手の打ちようがない。(マイクロもミリもつかない、単なる「シーベルト」! しかも25と15! 即死レベルの高線量のはずだ……。)

「あれ? 私の書いた記事は間違っていたのかな?」と不安になり、早速調べてみた。そしたら、マコさんの言ったことは事実だということがわかった。東京電力は、2013年10月7日12月6日の公式発表資料で、「煙突に、東西南北すべての面に破損がある」という件と、「煙突の下部の線量が非常に高く、毎時25シーベルトと毎時15シーベルトの可能性がある」ということを認めている。ただし、東電の見立てでは、煙突は簡単には倒れないとのことである。

また、時事通信社(2013年12月6日付)朝日新聞社(2013年12月7日付)など、日本の大手メディアもこのことを伝えている。ネット上から記事は消えてしまったが、読売新聞社も伝えたようだ。

「ああ、私の書いた記事は間違ってなかったんだ。一安心!」と思ったが、次に疑問がわいてきた。「あれは本当のことなのかな?」とメールをくれたベルリン在住の日本人は、とても知的な方で、東日本大震災の被災者のためのボランティア活動を行い、原発事故のことにも特段の関心を寄せている人だ。今回メールをくれたのも、「疑問を感じたことはきちんとダブルチェックし、原典に当たりたい」という慎重で学術的な動機によるものだ。(「マコさんと私は『煙突』という言葉を使い、東電やメディアは『排気筒』という言葉を使ったため、インターネットの検索に引っかからなかった」ということもあるが。)

「では、なぜ、こんなに大切な事実が、今までこの方の耳に届いていなかったのだろう……?」と考えると、日本のメディアの報道姿勢への疑問と批判の気持ちがわいてくる。上記の時事通信社の記事も、朝日新聞社の記事も、ニュースの重大性、危険性を考えるとずいぶん短いもので、毎時25シーベルトと毎時15シーベルトという放射線量については「極めて高い」というあっさりした説明しかない。「人間が近づけば即死レベルである」「作業員は近づけない」「煙突が倒れたら非常に危険で、作業員の身が危ない」なんてことは書いていない。しかし、それでいいのだろうか? 「こんなに危険な場所が日本国内にある。これは異様な事態だ。作業員が危ない。煙突が倒れたらどうする?」ということを、繰り返し繰り返し伝えるべきではないのだろうか? そういう報道はもう、日本ではウケないのだろうか? 日本人は原発報道に飽きてしまったのだろうか?

いきなり話は飛ぶが、私は、中学生のときに読んだ、かんべむさし著のSF小説『38万人の仰天』を思い出した。本が手元にないので記憶だけで書くのだが、日本の上空にUFOが現れて、みんな大騒ぎをするという話だった。新聞、テレビなどがやってきて、中継リポーターが大騒ぎをする。そして、みんなで空を見上げて、次に何が起こるかを固唾を呑んで見守る。が、1時間、2時間経っても、UFOはただ上空にずっと留まっているだけで、何も起こらない。「UFOだ!」と大騒ぎしていた人たちも、みんな次第に飽きてくる……という話だった。「いくらびっくり仰天するようなことが起こっても、人間だんだん飽きてくるものだ」というような記述があって、「ああ、そうかもしれないなあ……」と思ったのだった。

最近の原発報道とその受け止められ方を見ていると、私はしばしばこの小説を思い出す。3年前、福島で原発が爆発したときは、日本にいなかった私も、びっくり仰天して、恐ろしくて、心臓がドキドキした。その後、「全面避難しないといけない自治体が出た」「間違った方向に逃げて放射能を浴びてしまった人がいる」「関東のあちこちで放射線ホットスポットが発見される」「放射能汚染水が漏れていることが確認される」といったニュースが次々に報道され、そのたびに驚き、恐怖を覚えてきた。

しかし、驚きや恐怖もあまりにも続くと、耐性がついてきて、ちょっとやそっとでは動揺しなくなる。また、「驚き疲れ」してしまうこともある。それに、イヤなニュースばかり聞いているうちに「悪いニュースはもう聞きたくない」と思ってしまうこともあるだろう。福島原発の危険な排気筒についての日本のメディアのあっさりした報道は、日本人のそういう態度を反映したものでもあるのかなと思った。(「原発を推進したい勢力からの圧力」という要因もあるだろうが、これはまた別口の大きな問題なので、ここでは置いておく。)

それでも、これほどの国土の汚染、懸命に作業を続けてくれている現場の人たちに迫る危険性ということは、もっとしつこく、繰り返し繰り返し伝えるべきだろう。危険を素早く察知して声を上げる人のことを「炭坑のカナリア」に例えることがあるが、これはメディアの役割の一つだと思う。私たちのウェブサイトも、「炭坑のカナリア」の役割を果たしているかな……などということを、今回のメールのやり取りを通して考えたのだった。

2 Responses to 日本人は原発報道に飽きてしまったのだろうか?

  1. 山本耕二 says:

    日本の原発事故の報道はあなたの危惧している通りです。東京新聞、赤旗、NHKの特番はまだ頑張っ
    て追及しているが、政官財は極力無害説を流し、自治体には金をつかませ、オリンピックを利用して国民
    の目を逸らそうとしています。でも闘っている人もたくさんいます。
    このサイトを会う人に伝えています。2014年は憲法、集団的自衛権、エネルギー問題の大きな節目の年
    になりますね。

    • みーこ says:

      このサイトを、お知り合いに広めてくださって、ありがとうございます。
      私自身、悪いニュースにだんだん鈍感になっているところもあるので、
      気を付けなければ、と思っています。