NHK新会長の問題発言に思う公共放送の中立性

じゅん / 2014年3月16日

ドイツの公共国際放送「ドイチェ・ヴェレ」のウェブサイト。http://www.dw.de

しばらく前のことになるが、NHK新会長の籾井勝人氏の公共放送に関する問題発言にショックを受けた。籾井会長は「国際放送は国内とは違う。政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」などと公共放送の政治的中立性が疑われるような言葉を公然と述べたのだ。この言葉を耳にしたことは、ドイツの公共国際放送での私自身の経験を振り返るきっかけになった。

日本のNHKやイギリスのBBCなどは、公共放送が国内放送と同時に外国向けの国際放送も行っているが、ドイツはそうではない。国内放送は行わない独立した組織、ドイチェ・ヴェレ(Deutsche Welle、ドイツの波という意味。略称DW)が外国向け公共放送のみを担当している。 NHKの籾井会長の発言を聞いて、私は忘れかけていた40年以上前のことを思い出したのだった。当時ケルンにあった西ドイツのドイチェ・ヴェレで日本語番組の記者として私が働き始めたのは1972年5月のことだったが、初めての外国生活と新しい仕事への不安で緊張していた私にいくつか注意するべきことが上司から申し渡された。

人事部の担当者からは、ドイチェ・ヴェレの財政は国民の税金でまかなわれていることを忘れないようにということと身分は公務員に準ずるので、職務に関して賄賂を受け取ったら厳しい収賄罪に問われるので気をつけるようにといった警告を受けた。アジア部長からは、公共放送の記者あるいは編集者として注意すべきこととして、ドイツの国内政治に関しては政府与党の立場ばかりを伝えないこと、政府の主張と同時に少数派または野党の意見も伝えること、また国際政治に関しては外国に対して直接内政干渉になるような報道はしてはならないなどといった基本的な姿勢についてレクチャーを受けたのだった。ドイツの政治、経済、社会、文化などについての情報を外国向けに伝える放送局でありながら、ドイツの国内政治に関しては時の政府から距離を置き、放送の独立、中立性を守ると同時に国際問題については外交上特別な配慮が必要なことを示唆されたのだ。

放送局の組織の中でも各政党のバランスが配慮されていたのは、大きな驚きだった。ドイツのジャーナリストは所属政党を明確にしている人が多いが、当時のドイチェ・ヴェレ会長は社会民主党、編集局長は自由民主党、そして総務・管理局長はキリスト教民主同盟とその所属政党がバランス良く配分されていた。西ドイツの公共国際放送としてできるだけ公正・中立を目指したドイチェ・ヴェレだったが、東西両陣営対立の時期を通じて局全体が社会主義陣営から反共放送のレッテルを貼られ、ドイツ語やロシア語の番組は旧ソ連の妨害電波を盛んに受けた。その一方で、禁を冒して西側の放送を聞く旧東ドイツや旧東欧諸国の反体制派の民主化運動に大きな影響を与えたのも事実だった。

国際放送のみの公共放送、ドイチェ・ヴェレの起源は、ワイマール共和国時代の1924年にベルリンに設立された「ドイチェ・ヴェレ有限会社」にある。1926年にドイツで初めて定期的な外国向け放送を開始したドイチェ・ヴェレは、「ワイマール共和国の世界放送局」(Weltrundfunksender der Weimarer Republik)と呼ばれたが、この「世界放送局」は1933年、ナチの権力掌握とともに「ドイツ短波放送」に組織替えされ、ナチの宣伝に使われた。第二次世界大戦後ドイチェ・ヴェレは、ナチ時代の反省に基づき、ワイマール時代の自由な伝統につながることを目指して短波放送局として再出発した。

当初は短波による放送のみだったが、東西ドイツ統一後は旧東ドイツの放送局も吸収し、本社はボンに移転、テレビ番組の中心はベルリンに置かれている。現在は縮小した短波放送とテレビ番組、それにオンラインの放送の三本建てでドイツの実情を外国に伝えている。ドイチェ・ヴェレの財源は連邦予算から出ているため、連邦政府の監督下にあるが、連邦政府は法的な監査のみ権限があり、公共放送としての独立性と報道の自由は放送評議会によって保証されている。

こうした権利の保証は、ナチの独裁体制時代の反省に基づいているのだが、NHKも戦後は、大本営発表の放送で国民を洗脳した戦争中の反省に基づき、政治的中立性をうたう放送法のもとに再スタートしたのではなかったか。新会長の「従軍慰安婦」や秘密保護法についての発言、さらには安倍首相に近いNHK経営委員たちの歴史認識に関する問題発言などが相次ぐのを見ると、最近の日本では責任ある立場にいる人たちが、民主主義や近隣諸国との友好にとって基本的に重要なことすら守らなくなっているのではないかと深い危惧の念を覚える。

公共放送のトップとしてあまりにも見識のない新会長の安倍政権寄りの発言の直後には、予想通りというか早速その影響が放送現場で出始めたことが分かった。NHKの朝のラジオ番組に出演予定だった東洋大学中北徹教授が1月30日放送予定の番組の中で原発再稼働のコストとリスクの問題を取り上げようとしたところ担当者からテーマの変更を求められ、教授がそれを受け入れなかったため放送自体が中止になった。「東京都知事戦中は原発問題の話はやめて欲しい」というのがNHKの理由だったという。中北教授は朝の「ビジネス展望」というコーナーに20年前から出演しているといい、「ウェブロンザ(WEBRONZA)」に発表された原稿は具体的なデータを挙げた学者らしい、しかし、分かりやすい文章である。「経済学の観点から問題提起を試みた。議論の活性化を望む」という言葉で中北教授の原稿は終わっている。

東京都知事選では脱原発が一つの重要なテーマだった。原発推進派の政治家や評論家のなかには電力の値上がりはひとえに脱原発のせいだと主張する人たちがいるが、本当のところはどうなのか、再稼働や廃炉のコスト、核廃棄物最終処理の問題など、学者の分析や意見を聞いて東京都の知事選前に議論を巻き起こすべきだと担当者は思わなかったのだろうか。テーマ変更を求めたのが上層部からの指示だとすると問題だし、担当者の自主規制だとしたらこれまた大変な問題である。言論の自由、報道の自由は議論の自由を認めることから成り立っている。もし番組担当者が自主規制したのなら、多彩な情報を提供して、権力を監視するのがジャーナリストの役目だという原点に立ち返って勇気を持って欲しいと切に願う。第二次大戦中の先輩報道人たちも個人的にはいろいろなことを分かっていた人たちが多かったが、異を唱える勇気がなかったばかりに結果的には軍部に協力して破局へとともに突き進んでしまったことを思い起こしてほしい。

議会制民主主義の国では、国会(立法)、内閣(行政)、裁判所(司法)の三つの独立した機関が相互に抑制し合いバランスを保つことにより権力の乱用を防ぎ、国民の権利と自由を保証する「三権分立」の原則を決めているが、現在のドイツにはさらに第四の権力が存在するといわれる。批判的なジャーナリズムのことである。批判的なジャーナリズムは、第二次大戦後、過去の歴史から学んだことから生まれたもので、報道関係者はある事柄について批判も含めてできるだけ多くの情報を提供し、後は読者や視聴者の判断に任せるという姿勢が定着しているようだ。多彩な情報、多様な意見、激しい議論から当初鋭く対立していたグループの間に何となくコンセンサスが生まれることもある。

安倍首相やNHK会長の発言などを聞くにつけ思い出すことがもう一つある。それは2006年、ドイツ在住の外国記者協会の創立100周年に招かれて挨拶したメルケル首相の言葉である。メルケル首相は居並ぶ大勢の外国人記者を前に開口一番「こんなドイツと100年もつきあってくださってありがとう!」と笑わせた後、旧東ドイツ時代の体験をふまえて言論、報道の自由の大切さを強調し、「外国人のドイツ像は皆さまがたの報道によってつくられます。これからもドイツについて正確な報道を、そして批判的な報道をしてくださるよう願っています」と挨拶を結んだのだった。

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