独仏友好条約50周年、エネルギー政策でも協力
先日、雪に覆われたベルリンに、パリからフランスの政治家たちが大挙してやってきた。オランド大統領をはじめ、政府閣僚、国民議会の議員など数百人が、ドイツの政治家たちとともにエリゼ条約(独仏友好条約)締結50周年を祝うために、ベルリンに集まったのだ。50周年の公式記念式典は1月22日に行なわれた。
国境を接した隣同士の国ながら何世紀にもわたる「宿敵」で、2回の世界大戦でも敵として悲惨な戦争を経験したドイツとフランス。その関係に終止符を打ったのがこのエリゼ条約だった。第2次世界大戦が終わって18年目、まだ戦争の痛手が両国民の心の傷として残っていた1963年1月22日、両国の和解を目指し、ヨーロッパの平和維持を目標とするこの条約が、パリのエリゼ宮殿で調印された。条約締結の立役者は偉大な二人のヨーロッパ人、フランスのド・ゴール大統領と西ドイツのアデナウアー初代首相だった。第2次大戦中、ナチスドイツ軍と戦い、ロンドンに亡命政府「自由フランス」を樹立してレジスタンス運動の先頭に立ったフランスのシャルル・ド・ゴールとケルン市長時代、ヒトラーとの握手を拒否したため市長の座を追われたドイツのコンラート・アデナウアー。敵同士だったふたりだが、戦後すぐにお互いに理解し合ったという。そして、将来にわたってヨーロッパの平和を維持するためには独仏両国の和解と協力が不可欠だという点で意見の一致を見たのだった。
二人によって締結されたエリゼ条約には、両国の首脳たちが定期的に会談し、外交上、安全保障上のすべての重要な問題で協議して行くほか、文化・学術交流や青少年交流でも緊密に協力して行くことが謳われている。同年6月には両国の青少年交流促進条約が効力を生じ、両国に独仏青少年事務所が創設された。エリゼ条約に先だってアデナウアー首相はフランス各地を訪問し、フランス国民との理解を深めたが、それに応えてド・ゴール大統領も1962年、ドイツ各地を訪れた。訪問最後の地、シュトゥットガルト近郊のルードヴィヒスブルク城で、72歳のド・ゴール大統領がドイツの若者に向けてドイツ語で行ったスピーチは、ナチの蛮行に打ちひしがれていたドイツの若い世代の心に直接響いた歴史的なメッセージとして評価されている。「まずはじめに、みなさんが若いということに対して、そして次にみなさんが偉大な国民の若者であることに対して、お祝いを申し上げます」という言葉で始まるフランスの大統領のこの情熱的なスピーチを今ではネット上で見ることができる。独仏の首脳が期待したのはヨーロッパの未来を築くべき両国の若者たちで、若者たちの相互理解が何にもまして重要だと考えられたのだった。条約締結以来、相手国を訪問した独仏両国の青少年の数は、この50年の間に述べ800万人近くに達したという。今では青少年交流の促進は、独仏両国にとどまらず、全ヨーロッパの若者を対象に広がっている。
50周年の記念式典は1月22日午後2時すぎからドイツ連邦議会の本会議場で行われ、議場はそれぞれの国旗の色のリボンを付けた両国の政治家たちで埋まった。50周年記念式典に「独仏の金婚式」という見出しをつけた新聞もあったが、司会役のラマート連邦議会議長の冒頭の言葉、「長い間の関係には、情熱的な時期とどちらかというと理性的な時期があるものだが、現在の独仏関係は、ロマンチックな愛の時期というよりは情熱的な理性の時期と言えるだろうか」という言葉に、議場に笑いが広がった。以後2時間半ほどの間、独仏の政治家たちが交互に思い思いの記念のスピーチをしたが、独仏両国合同の公共テレビ局arteがそのすべてとそのあとのベルリン・フィルハーモニーでのドイツのガウク大統領の挨拶と記念コンサートの実況中継を行った。ドイツ語とフランス語によるこのテレビ局自体も、エリゼ条約に基づいて1990年に創設されたものである。
独仏の政治家たちはそれぞれ友好条約の意義や成果、ド・ゴール大統領とアデナウアー首相の先見の明をたたえる演説をしたが、私にはフランスのオランド大統領が、改めて「若者こそ我々の未来である」と強調し、若者に対しては「ヨーロッパ統合という冒険に積極的に参加するよう」呼びかけたことが印象に残った。オランド大統領は、アフリカのマリへのフランス軍派遣に対するドイツ側の支援にわざわざ感謝の意を表したが、フランスの政治家のなかには「マリの問題はフランスの問題ではなく、ヨーロッパの安全に関わる全ヨーロッパの問題だ」と強調する人もいて、フランスの政治家にとっての深刻なテーマであることがうかがえた。オランド大統領のスピーチで私が聞き耳を立てたのは、「独仏はエネルギー問題でも協力関係を深めていく」と話し始めた時だった。「フランスはドイツとエネルギー問題でもよりいっそう協力して再生可能エネルギーの普及に力を入れ、50年後のヨーロッパのエネルギーがよりクリーンなものになるよう務めたい」と私には聞こえたのだが、大統領はそれ以上踏み込まなかった。しかし、「これは原発国、フランスの変化の兆しではないか」と私は受け取ったのだ。
オランド大統領は記念式典の前日にメルケル首相と会談し、夕食をともにしたが、この日以来二人がSieという公式の呼びかけではなく、親しい者同士が使うDu でお互いを呼ぶようになったことが明らかになった。“メルコジ“などと呼ばれたサルコジ前大統領との親密な関係にくらべ、社会党のオランド大統領と保守陣営に属するメルケル首相の間は冷たく、意見の相違も大きいと見られていたのだが、独仏友好条約50周年のさまざまな記念行事で何度もキスしたり抱擁し合ったりしているうちに、親近感が生まれたのだろうか。メルケル首相は「オランド大統領との関係がうまく行っていることは、これまで上手に隠されていた秘密」というような意味のことを言い、オランド大統領の方は「メルケル首相と私の間は、電力の助けを借りなくても心の電流が流れているような間柄」というのだが、EUの中心となる両国首脳の間に政治家として基本的な理解が生まれたのだとしたら喜ばしいことである。いずれにしてもオランド大統領とメルケル首相は今回の首脳会談で、5月までに経済成長とユーロの安定を促す合同提案をまとめ、6月のEU首脳会議にかけることを決めたと伝えられる。
ドイツの政治家では野党、左翼党のギジ議員団団長と社会民主党のシュタインマイヤー議員団団長の話が印象に残った。祖母がパリに住んでいたというギジ議員はフランス料理のすばらしさをたたえた後で「しかし、クロワッサンとマーマレードだけのフランスの朝食はいただけない、ドイツ人の朝食の方がすばらしい、フランス人はドイツの朝食に学ぶべきである」とユーモラスに語ったのだった。またシュタインマイヤー議員は、青年時代に友達と中古車で初めての外国、フランスに行き、同年代のフランスの若者と赤ワインを飲みながら語り合って「きのうの敵がきょうの友」になりうることを実感したという人間的な体験をアンドレ・ジードの言葉を引用しながら語った。
いろいろな問題に直面しているヨーロッパではあるが、ドイツとフランスの間に戦争が起こることなど、もはや考えられず、それどころか両国がヨーロッパ統合の原動力となっているという現実がある。二人のビジョンに満ちた政治家が50年前に開いた道が次の世代にきちんと引き継がれていることが伝わって来る記念式典で、静かな感動を覚えた。アジアの情勢は違うかもしれないが、日本と中国、日本と韓国の間にもこういう関係が築けないものか、考えてしまった。