一味違う夏のベルリン映画祭

池永 記代美 / 2021年6月20日

緑豊かなハーゼンハイデ公園内の野外上映会場©️Jan Kraus/Berlinale 2021

カンヌ、ベネチアと並ぶ世界三大映画祭の一つであるベルリン映画祭を、ベルリン市民たちは、真冬に行われる恒例行事として受け止めている。そのベルリン映画祭が、今、真夏のような天気の下で開催されている。このような異例の事態になったのは、もはや驚くこともないが、コロナ禍のせいだ。

今、振り返ってみると2020年の第70回ベルリン映画祭は奇跡だったのではないかと思う。映画祭が開かれたのは2020年2月20日から3月1日までだった。2月の下旬までにコロナ•ウイルスに感染した人は、ドイツではまだ30人余りだったが、世界中を合わせると8万人を超えていた。そんな状況の中で、世界133カ国から映画関係者やジャーナリストが2万人以上もベルリンにやって来たのだ。ドイツ入国後の隔離措置がなかったどころか、マスクを付けている人もほぼいなかった。ベルリン映画祭は市民のための映画祭と言われているが、誰でもチケットを購入さえすれば、映画が見られる。昨年の合計観客数は約48万人で、これだけの人が映画を見たのだから、どの上映会場もほぼ満席で、密閉、密集、密接のいわゆる“3蜜状態”が、ベルリン市内のあちらこちらで、11日間も続いたことになる。にもかかわらずクラスターが発生しなかったのは、幸運だったとしか言いようがない気がする。

その後、コロナ禍は勢いを増したり収束の気配を見せたりしたが、変異株も登場し、コロナとの闘いは長期戦になることがわかってきた。果たして2021年のベルリン映画祭は実施できるのかと心配する声が上がって来た昨年12月中旬、映画祭の主催者は驚くようなことを発表した。それは2021年の第71回ベルリン映画祭は 、3月に業界関係者向けの見本市「ヨーロピアン•フィルム•マーケット」をオンラインで行い、それに合わせて国際審査員が受賞作を選ぶ、そして6月に一般向けの上映会と授賞式を行うというものだった。このような異例の分割開催になったのは、映画事情に疎いため推測でしかないが、3月中に見本市を開いておかないと映画の製作や配給、公開などで世界中の映画市場に悪い影響を及ぼすからだろう。そして6月に上映会をすることにしたのは、ベルリン映画祭は市民の映画祭だという伝統を大切にし、感染の危険の低い野外上映が可能な時期を選んだのではないだろうか。

金熊賞を受賞した『Bad Luck Banging or Loony Porn』。コロナ禍の社会がテーマになっている©️Silviu Ghetie/Micro Film 2021

ちなみに3月5日に行われたオンライン受賞発表で、最優秀作品賞である金熊賞を獲得したのはルーマニアのラドゥ•ジュデ監督の『Bad Luck Banging or Loony Porn』という、インターネットに流出したポルノ動画から身元を特定された女性教師を主人公に、偏見やモラルについて問う内容の作品だった。また、世界的に注目されたことだが、映画祭主催者は、今まで最優秀男優賞と最優秀女優賞という俳優に出されていた銀熊賞を廃止し、今年からは最優秀主演俳優賞、最優秀助演俳優賞というジェンダーフリーの銀熊賞を設けることにした。この決定を勇気あるものと歓迎する人もいたが、ドイツの映画産業で働く女性たちが作る組織は、映画の主人公も脇役も男性が演じることが多いので、結果的に両方の賞を男性が取ることになるのではないかと批判した。しかしそれは杞憂に終わった。最優秀主演俳優賞はドイツ映画『Ich bin dein Mensch (I´m Your Man)』で、ロボットに恋する女性を演じたマレン•エッガートが受賞、最優秀助演俳優賞はハンガリーの作品『Rengetek- mindenhol látiak (Forest – I See You Everywhere)』で、自然だが深みのある演技を見せたリラ•キズリンガーが受賞と、二人の女性が賞を獲得したのだ。日本の濱口竜介監督も、『偶然と想像』という3本の短編で構成されたオムニバス映画で審査員グランプリの銀熊賞を受賞した。

グリュッタース連邦文化担当相(中央)、マリエッテ•リッセンベーク総監督(左)、カルロ•シャタリアン芸術監督©️Ali Ghandtschi/Berlinale 2021

コロナ•ウイルスのアルファ変異株が広まり、ドイツでは5月上旬の時点で毎日1万人を超える新規感染者が出ており、本当にベルリン映画祭の上映会が開かれるのか危ぶまれた。しかしワクチン接種が順調に進んだこともあり、その後、新規感染者の数は減り、6月9日、「ベルリナーレ•サマースペシャル」と名付けられた上映会の幕が上がった(上映会は6月20日まで)。開会式が行われたのは、世界遺産に指定されているベルリン中心部の博物館島の中に設けられたメイン会場だった。外国から参加したスターは少なく、また、会場に入場できる人数が限られていたため、地味で小規模なオープニングとなったが、人々の顔からやっとみんなで映画を見られるという喜びが読み取れた。そんな気持ちは、開会式で挨拶したモニカ•グリュッタース連邦文化担当相のスピーチにもよく表れていた。

この瞬間を私たちは、どれだけ思い焦がれて待ち望んだことでしょう。やっと一緒に、物語に引き込まれ、現実を忘れることができます。やっと一緒に、ハラハラしたり、感動したり、感慨にふけったり、楽しんだりできます。やっと一緒に熱中し、感情を分かち合うことができます。やっと、素晴らしい映画の世界が戻って来ました。

縦8m、横12mの大画面が設置された博物館島の上映会場©️Ali Ghandtschi/Berlinale 2021

例年ならベルリン映画祭開催時には、メイン会場となるポツダム広場だけでなく、映画祭のプログラムが上映されるベルリン市内各地の映画館周辺も、映画祭や出展作品のポスターが貼られたりして、ベルリンの街中が映画祭一色になる。それに比べて今回のサマースペシャルは、サッカーの欧州選手権と時期が重なったこともあり、かなり地味だ。今の季節は暗い冬と違って、街に様々な色が溢れているから目立たないのかもしれない。それでも6月15日、銀熊賞受賞作『偶然と想像』の チケットを手に、博物館島にある上映会場に近づくと、ベルリン映画祭のロゴやレッドカーペットが見えてきて、いつもの映画祭の雰囲気を味合うことができた。

しかし、コロナ禍での映画祭であることは、色々なところで感じないわけにはいかなかった。まずチケットの購入時には、名前を登録し、座席を指定しなければならなかった。博物館島の会場には900脚の椅子が並べてあるが、一つずつ席を開けて座るので、入場者の上限は450人だ。そして入場者は、24時間以内に検査したコロナ迅速検査の陰性証明かワクチン接種完了を示すワクチン手帳、もしくはコロナに一度感染して回復していることを証明する物を用意しなければならない。そのため、会場の入り口では、チケットとコロナ証明と身分証明の3つの書類の確認があった。また、座席に座っている間は、マスクはつけなくていいが、会場内の移動時には、マスクの着用が義務付けられていた。

『偶然と想像』の第3話「もう一度」の二人の女性の会話は、心に響くものだった。©️2021 Neopa/Fictive

通常メイン会場となるポツダム広場界隈は、ベルリンの壁の崩壊後何もなかった所に作られた新市街で、モダンな建物がそびえ立っているが、この日の会場は19世紀前半から20世紀前半にかけて建てられた格調ある歴史的建造物に囲まれていて、随分雰囲気が違った。真っ暗な映画館の中と違い、19時の野外会場はまだ明るく、景色や周囲の音に気が散るのではないかと心配したが、いつの間にかすっかり濱口監督が描く世界に引き込まれていた。『偶然と想像』は、そのタイトルの通り、偶然の出会いや出来事がもたらすものを描き、それと同時に、もしその偶然がなければどうなったのだろうかと、見る人の想像力を掻き立てる作りになっている。俳優たちの口から出る言葉は、シンプルなものが多いが、とてもよく考えられた重みを持っている言葉であった。どの作品でも女優たちが素晴らしく感じたのだが、それも“偶然”なのだろうか。

銀熊賞を手にする濱口竜介監督。カンヌ映画祭にも作品が招待されている©️Alexander Janetzko/Berlinale 2021

やはりベルリン映画祭だなとその良さを感じたのは、映画について監督自身の考えが聞けたことだ。通常は上映後に行われることが多いが、今回は映画祭の芸術監督カルロ•シャトリアン氏が、作品上映前に濱口監督に話を聞いたのだ。濱口監督は短編映画を作ることに興味を持っていて、ストーリーの展開が必要になる長編でなく、短編なら一瞬の出会いが持つ意味や重みをよく表現できると考えたそうだ。そしてこの映画が賞を獲得できたのは、素晴らしい役者と、役者が演じるために最高の環境を用意してくれたプロデユサーや助監督のおかげだと、感謝の気持ちを述べた。このような会話のあと、映画の上映があり、それが終わったのは21時半ごろだった。まだ外は明るく、近くの公園には人々が芝生に寝そべっていた。久しぶりに映画の世界に浸れた幸せなひとときだった。夏に上映会を開くと決めた主催者たちの勇断に、感謝している。

今年のベルリン映画祭のポスター©️Internationale Festspiele Berlin/Claudia Schramke, Berlin

 

 

 

2 Responses to 一味違う夏のベルリン映画祭

  1. 鈴木波江 says:

     池永さんの<–夏のベルリン映画祭>のレポートを今読み終えました。偶然の招待があって、滝口竜介監督の「偶然と想像」を鑑賞する機会を得、池永さんと感動を共有できたのだと喜んでおります。いい映画でしたね。一話をやや退屈に思いながら観た後、二話から引き込まれていき三話では感動に涙が出てくる有様でした。自然に込み上げる笑いも多々あり、銀熊賞受賞に納得もしました。女優二人が交わす会話の一つ一つが心に響き、脚本の良さが感じられました。監督自身が書かれているという事で、今後の作品が楽しみ と思った事でした。
     ⭐️良い記事を有難うございました。
     (N.Suzuki)

    • 池永 記代美 says:

      鈴木様、会場で「偶然」お会いでき、嬉しかったです。また、原稿の感想をお寄せてくださりありがとうございます。あまり書いてしまうとネタバレになるので控えますが、私も第3話が一番気に入り、最後はなぜか、涙が出てしまいました。涙を拭いていると、隣のドイツ人女性が、「のぞみという名前が最後に出てくるけど、日本語ではその言葉にどんな意味があるの?」と尋ねてきて、名前にも意味が込められていたのだと気がつきました。見た後で、見知らぬ人とも話をして感動を共有できたりするのが、映画を一緒にみることの素晴らしさですね。