歴史的なドイツ連邦議会の決定

永井 潤子 / 2020年3月29日

ドイツ連邦議会は3月25日、コロナウイルス危機により経済的打撃を受ける個人や企業に対する連邦政府提案の大規模で具体的な経済支援策を賛成多数で承認した。この連邦議会では、議員全員が起立して医師や看護師、介護関係者、警察官、交通機関やスーパーの従業員など、コロナ危機でも必死に働いている人たちへ一斉に拍手を送るなど、感動的な場面が見られた。この連邦政府の経済支援策は、2日後の3月27日、連邦参議院でも承認された。この異例の超スピードの審議プロセスからも、政府が緊急事態での対応をいかに重視しているかわかる。政府の取り組みや、コロナ危機についてドイツ各紙がどう評価しているのか、紹介する。

「昨日連邦議会が承認した政府の経済措置は、強力な救済策である」と書いているのは、南西ドイツ、ハイルブロンで発行されている新聞「ハイルブロンナー・シュティメ」だ。

1560億ユーロ(約18兆7200億円)の新しい債務と6000 億ユーロ(約72兆円)にのぼる、経済安定ファンドなどによる大企業のための企業債務保証など、連邦政府は危機的状況の中で唯一正しいことを行なった。しかも、連邦政府はそれを断固とした意志を持ってスピーディーに行なったが、ドイツではこれは滅多に経験できないことである。すでに救済クレジットの申請が多数行なわれているが、早くも来週以降支払いが行われるという。経済界からの支援要請がますます大きくなっているなか、コロナ危機に直面してのスピーディーな対応が重要性を増している。

 

ミュンヘンで発行されている全国新聞「南ドイツ新聞」は、次のように論評する。

連邦議会は昨日、歴史上おそらく最大の経済救済措置を大急ぎで承認したが、同時にこの日は議会が危機に際して最良の面を示した日でもあった。この日の連邦議会では、民主主義の良い面が発揮されたが、今この危機的な瞬間にこれ以上重要な事はない。野党の自由民主党(FDP)であれ、左翼党であれ、緑の党であれ、彼らは皆、強靭な民主主義にとって重要な点を証明した。つまり、(与党の)個々の決定に対しては批判的であっても、危機にあたっては与野党が協力するという姿勢である。彼らは事実に即した議論をし、その際節度ある調子で論じた。野党各党は、危機にあたっての民主主義とそのメカニズムに同意する態度を強調したのである。一方、この事がもう一つの野党、右翼ポピュリズム政党「ドイツのための選択肢(AfD)」にも当てはまるかというと、それには疑問が残る。

 

FDPのリントナー党首の発言を取り上げているのは、フランクフルトで発行されている全国新聞「フランクフルター・アルゲマイネ」である。

リントナー党首はウイルスから身を守るために必要な措置が、自由の異常な制限と結びついている問題をテーマに取り上げた。彼自身はコロナウイルスによって打撃を受ける企業に対する国の巨額の支援に疑問があるが、それでも党としてのFDPは、今回の国による大幅な経済支援政策を承認せざるを得ないという。というのも、それ以外の選択肢は、現在のコロナウイルスの科学的な知見から見て、リスクが大きいと見るからであると述べている。残念ながらその通りである。今は「国家が行動するべき時」だが、その可能性にも限界がある。リントナー党首は、この危機が終わった時に連邦政府が多くの古い計画を見直し、新しい優先順位を決めるよう求めている。その時が来たら、彼の要求を思い出したい。

 

同じくフランクフルトで発行されている新聞「フランクフルター・ルントシャウ」も、次のように警告する。

感染病は緊急事態だ。だから、すべての手続きが早いテンポで行われるのは、状況にふさわしいと言えるかもしれない。議会によるコントロールが、十分な審議を経ずに行われるような状況のことである。しかしこの例外的な状況が、通常のルールになってはならない。議論されるのがいつも救援策とは限らない。制限であり、介入であり、削減であることがあり得る。携帯のデータを市民のコントロールに利用するよう提案するなどが、その一例である。連邦政府はこういう事態を、たとえ危機的状況の時でも、当然のこととしてはならない。

 

ベルリンで発行されている日刊新聞「ターゲスシュピーゲル」は次のように論じている。

そうこうするうちに、コロナウイルスの経済的悪影響に対する不安が蔓延しだした。最終的に病気による被害より経済的な打撃の方が大きいのではないか?という心配だ。新たな心配はもっともだが、そうかと言って古い心配を排除することはできない。もし経済が崩壊し、そのために国の税収入がなくなったら、医療システムを危機に適応させることができなくなり、死者が増大するという結果を招く。それに、数カ月以上、働けないため収入がなくなり、国の直接の支援もいつかは得られなくなるとしたら、家族がどうやって生きていけるだろうか。そのため政治家の間からは、経済が全く機能しなくなるのを避けるため、人との接触を避けるという規制を緩めるよう求める声が早くもあがり始めている。この点について議論することは許されるが、しかし、規制緩和を決定するのは時期尚早である。

 

「コロナ危機が、世界中の経済(のあり方)を変えるだろう」と見るのは、東部ドイツのケムニッツで発行されている新聞「フライエ・プレッセ」だ。

コロナ危機の後、商品の供給網や供給ルートが新しくなり、これを機にデジタル化が一段と進むだろう。国家もまた企業も、こうした技術や投資インフラの変化にふさわしい態勢を整えなければならない。伝統的なビジネスモデルの崩壊は、容赦なく進むだろう。ドイツもヨーロッパも、そうした事態に備えなければならない。

 

「危機だけが真の変化をもたらす」という経済学者、ミルトン・フリードマンの言葉を引用して将来の変化について予測しているのは、南西ドイツのウルムで発行されている新聞「ジュートヴェスト・プレッセ」だ。

コロナ菌から我々は何を学ぶのか?医療、教育、職業の分野にかかわらず、デジタル化が社会に浸透する。新しい授業形式やオンラインによる医者の診療の付加価値が明らかになったため、こうした形式が徹底することになる。将来会社の上司は、父親や母親が時々ホームオフィスで働きたいと希望した時、それを拒否するのは難しくなるだろう。朝晩のラッシュアワーの交通渋滞も緩和され、出張も少なくなるだろう。多くの国際的なチームは、今でもすでにヴィディオ会議が日常的なルーティーン・ワークになっている。これに反して経済効率を追求する傾向は、人類の生存のための備えに比べれば、支持されなくなるだろう。効率性を求めるマッキンゼー社のコンサルタントでさえ、病院のベッド数が足りないより、そこここで空いたベッドがあって採算が合わなくても、それほど悪くないと思うようになるだろう。

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